怪異の少女
時は、数年前に遡る。
日本、月見町。その郊外にある、フルムーンコープ社の第三研究棟。日々魔素に関しての研究を続けるこの研究棟の廊下を、二人の科学者が歩いていく。
魔素を自分で産み出す人間の実験のため、牢獄に囚われた多くの人たち。そんな彼らを興味のない目でチラ見した白衣の科学者は、その奥にある厳重な守りの扉の前に立ち、ロックを解除した。
ここから先にいるのは、いわゆる怪物と呼ばれる人ならざるものや、それに匹敵する存在。詳しくは知らされていないが、上層部はこいつらを非公式に「テスタメント」、もしくは「パグローム」という名称で呼んでいた。
白衣の科学者の目的は、とあるパグロームだ。この個体が産み出す魔素の量は凄まじく、だが同時に反抗的でもあった。それに、フルムーンコープ社の最高機密個体でもある。
そのため、魔素を効率よく産み出してもらおうと、自らの後輩である科学者に面倒を見させようと連れてきたのだ。
そんなことは知らず、連れてこられた後輩科学者――咲。ただ、この施設で最も貴重で凄まじい力を持つ存在の世話だという仕事内容だけ聞かされ、内心とても怖がっていた。
「先輩、私、怖いです……」
「仕事だ、怖いなんて許されん。見た目だけはいいやつだから安心して臨め」
「でも、私誓約書書かされましたよ!? 仕事中に過失で殺されたとしても、責任は負わないってどういうことですか!?」
「そのまんまだ。お前が殺されてもこちらは責任を取れん。心配するな。遺体が残っていれば葬式くらいはしてやる」
「遺体が残らないかもしれないと!?」
涙目になって胸ぐらに掴みかかる。先輩科学者は、それを振り払うととある牢獄に案内した。
そこに囚われていた存在を見て、咲は目を見開く。そこにいたのは、まだ幼い少女だった。
中学生くらいの見た目の彼女は、ごく普通の人間と大差ない。夜闇のような艶やかな黒髪と、光る月のような金色の瞳が美しい。
てっきり、物語などに出てくる化け物のような存在の世話をさせられると思っていた咲は拍子抜けだ。この少女が、自分を殺すかもしれないなどと思えるはずもなかった。
「被験体ナンバー2だ。こいつの世話をしろ」
「え、あ、はい!」
「気を付けろよ。生き残ることを祈るよ」
先輩科学者は帰っていく。残された咲と少女の間には、気まずい沈黙が流れた。
「えーと……自己紹介しようか。私は村雲咲。今日から貴女のお世話をするらしいの。よろしく……ね?」
「…………」
「それで、貴女のお名前は……」
「……あるわけないでしょ。うるさいから黙って。殺すよ」
冷たい目で睨まれ、背筋が凍りつく。放たれた殺気は、とても少女のものとは思えない。改めて、この子は怪物なんだと認識した。
それでも、諦めない。ヤバい化け物に頭からバリバリ喰われることを想像していた数時間前と比べれば、可愛いものだ。できる限り刺激しないよう、近くで作業する。
「寂しくない? なにか、お話ししたいことがあったら聞くよ」
「寂しいよ。お前らにこんなところに閉じ込められてもう五年だもんね」
「っ! それはその、ごめんなさい……」
「……別に。どうしてお姉さんが謝るの? 不思議だね」
少し、声が明るくなった気がした。それが、少しでも心を開いてくれた証だと信じたくて、けれども口には出さない。勝手にこんなことを言ってはいけないと咲は思った。
その後、咲が一方的に話し続ける時間が流れた。少女は基本的に無反応だったが、時折頷くような仕草を見せてくれるだけで咲は充分だった。
やがて、今日の仕事が終わる時間になる。そのため、咲は牢獄から出て少女に振り返った。
「また、来るよ。欲しいものとかあれば、持ってくるから」
「……もう来ないほうがいいよ。私に殺されかけたって言えば、こんなとこ来なくてもよくなるでしょ」
そんなことを言われるとは思ってなかった。咲は、じっと少女を見つめる。
悲しいなんて思わない。むしろ、優しいと思った。
「大丈夫。貴女とお話しするの、楽しいからね」
「……ずっと上司の愚痴なのに?」
「うぐっ、痛いところを……」
「……ほんと、お姉さんって面白いね」
「そうかな? じゃあ、また明日ね」
そう言って、牢獄の前から離れていく。少し振り返ると、少女は小さく手を振ってくれていた。
初日からいい感じに関係を築けたのではないかと思い、喜びながら今日は退社する。
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