第54話:君のためなら、どこにだって飛び込んでみせる
──俺が、暗殺者か盗賊か、そう言いたいのか。
なるほど、そう言いたくなる気持ち、すっげーよく分かるよ。俺もあの屋根の上を、自分で自分のことを
俺、あの瞬間は、この世界のことを夢だと思い込んでいたからな。あの時は、夢だと思い込んでいたからこそ、あんな屋根の上で走り抜けたり、屋根を飛び越えたりすることができていた。もし現実だと思っていたら、絶対にできなかったに違いない。
しかし、今の俺にとっては、この世界で生きていることが
同じことをして、もし足を滑らせて落ちたりすれば、マジで死ぬんじゃないだろうか。
ていうか、間違いなく死ぬ気がする。死んだことないから分かんないけど、確かめる気になんてなれない。なんたって、指の先に針をぶっ刺されたあの怪我、今も痛いからな。
──あのクソサド王子、ホントぶっ殺──さなくてもいいけど、せめて同じ目に遭わせてやりたい。
「じゃあ、聞くんだけどさ。あんたの知ってる暗殺者とか盗賊とかって、あんたがあの時見たように、涙とか鼻水とかたらしながら泣きわめくものなのかよ?」
「さて、ね? 少なくとも私はあまり見たことがないな、あそこまで無様な輩は」
ラインヴァルトが再び、小さく笑って見せる。無様で悪かったな! そこらの高校生に同じことしたら、同じような反応になると思うけどな!
「──しかし、それも演技かもしれない。無様に泣きわめく姿を見せたのは、その道の人間ではないと、思い込ませるための」
そう言って、イノリアに目を向けた。
「弱さを敢えて見せることで、この美しいお嬢さんに取り入り、味方につけ、そして疑われることなく王女殿下を誘拐、暗殺することができるようにしようとしている──とも考えられるのだよ?」
美しいお嬢さん、のところで、イノリアがお茶でむせて、メイドさんに背中をさすられている。
「はあ? もしそうする気があるんなら、窓ぶち破って侵入した時点で殺すなり誘拐するなりするだろ」
「なるほど──では別の目的があるのかな?」
相変わらず、口元だけの笑みを貼り付けながら俺をじっと見つめてくる。まるで、俺の反応を観察して楽しんでいるように。
──ああ、なんか腹の立つ奴だ。こいつ、絶対に男と女で態度が違うだろ。なんていうか、俺をおちょくって遊んでいるだけのようにしか見えなくなってきた。
「ただ、残念ながら君は、肝心の王女殿下の食客としていま、この場に居る。実に残念だ……が、なにもせぬまま手をこまぬいているとは思わない方がいいよ? 私は王国を守る剣として、必要だと思えばいつでも君の喉元に剣を突き立てる用意がある」
「剣術のド素人にそんな脅しをかけなきゃならねえほど、この国の警備体制はお粗末ってことかよ?」
「……素人ほど、こちらの予想のつかないところで馬鹿なことをやらかすことがある恐れがあるということだよ。常識しらずのヨシマサくん。せめて──」
ラインヴァルトは、いつ腰のものを抜いたのか。
テーブルの上を、細身の諸刃の剣がすらりと伸び、俺の喉元に突き付けられていた。
──まったく動けなかった。
本当に、気づいたらこの状況だった。
「──礼儀をわきまえることができるといいね? 君は確かに王女殿下の食客であり、つまり国家が遇する賓客に近しい存在ではあるのだろう。だが、そんな実体のない権威などにかじりついたところで、君自身は空っぽだ。この期に及んでさえ、身を守ることすらできぬ恥知らずなどだと、自覚すべきだな?」
遅れて、イノリアの悲鳴が上がる。
その頃には抜いた剣をゆっくりとしまいながら、イノリアに向けて微笑みを浮かべた。
「獣は上下関係を分からせないとなかなか言うことを聞かないのでね。──ただ、貴女を驚かせるつもりはなかったのだが、恐ろしい思いをさせてしまったこと、それについては申し訳ない」
奴は立ち上がると、イノリアの手を取る。
「私は王国の剣、王国の楯。そして──貴方の楯。私
そして──彼女の手の甲に、そっとキスをした。
「──で、憧れの騎士にキスしてもらって、嬉しかったわけだ」
庭園の
隣を歩いていたイノリアは、立ち止まるとまっすぐ俺の目を見た。
「ヨシくん、そういう言い方、ひどいと思う。じゃあ、もしヨシくんが、昔憧れてたお姉さんみたいなひとに、私の目の前で同じことされたら?」
……言われて、中学の時に引っ越して行った、当時高校生だった同じアパートのお姉さんの姿がちらりと浮かぶ。
……なんも言えね……
「い、いや、俺はそんなこと、ならねえよ!」
「いま、ちょっと、考えてたでしょ」
少し頬を膨らませるように、隣から上目遣いで覗き込まれて、俺は思わずのけぞってしまう。
「ほら、避けた。やましい思いがあるんでしょう。そういうの、見れば分かるんだからね?」
「いや、だからそれは……」
「ヨシくん?」
その
「……ごめん。正直言うと、俺の……やきもちだった」
「うん、正直に言ってくれたから、許してあげる」
ぱっと笑顔になった彼女は、そのまま足取りも軽く前を歩いていく。
「ヨシくん、置いてっちゃうよ?」
くるりと振り返った彼女は、笑顔のままそう言うと、また前を向いて楽しげに歩いてゆく。
もっと小言を言われる覚悟をしたのに、かえって上機嫌になったイノリアに、なんだかキツネにつままれたような、それでいてほっとした気分だ。
──イノリアが、ラインヴァルトから手の甲にキスをされたとき、イノリアは最初、あっけにとられたような顔をし、そして、見る見るうちに頬を染めた。
「おい──!」
言いかけた俺の方などまるで無視して、ラインヴァルトが畳みかける。
「アイノライアーナ嬢。先日の夜、貴女は大変に恐ろしい思いをされたことでしょう。その心中は察して余りある。
だが、私はあの時、その恐怖にも勝る貴女の気高さに触れました。そう、正しいと信ずることを毅然と私に示した、あの姿──」
イノリアが目を白黒させてしどろもどろになっているのも構わず、ラインヴァルトはまっすぐ彼女を見つめながら続ける。
「確かに、国の護りに関わる私の立場上、ヨシマサくんに対する疑惑の調査は続けねばなりません。ですが、勲功は勲功として認めるべきだと、毅然とおっしゃった貴女の真摯な姿に、私は胸打たれたのです」
「は、はあ……」
イノリアが若干体をそらしているのに対して、テーブルの上に、いつの間にか身を乗り出すようにしているラインヴァルト。両手でイノリアの手を握っていることにも気づく。おい、顔が近いぞてめえ。
「今さら貴女の魅力に気づくとは、何たる不覚。ですが、気づいてなお、何もせぬままというのは私の
……ですから、アイノライアーナ嬢。今さらではありますが、私の想いを──愛を、汲み取っていただけないだろうか」
おい。
おいおいおい!!
なんだコイツ、急にぐいぐい来やがって!
愛を汲み取れ?
ラインヴァルトはものすごく真剣な顔で言ってるし、聞いた途端にイノリアは首筋まで真っ赤になるし、貴族同士で通じる言い習わしみたいなものなんだろうか?
「こ、困ります。急に言われても私のような位階では、何もお答えすることなんてできません」
か細いイノリアの言葉に、ラインヴァルトがさらに詰め寄る。
傍らのメイドさんは、これくらいのことはあって当然とばかりに知らん顔だ。目を閉じるようにして、やや距離を置くようにして平然と立っている。置物か何かのように。
「おい、困ってるのが分からないのか? いい加減に──」
俺もさすがに傍観していられず、割って入ろうとしたが、ラインヴァルトは全く動じなかった。
「アイノライアーナ嬢。この私の想いが叶わぬというのであれば、せめて貴女の傍らに立つことか、もしくは私
「──で、押し切られちまったもんな」
「で、でもヨシくん。私、ちゃんと断ったよ? 婚約の申し入れも、お付き合いのお誘いも」
──マジか!
やっぱりさっきのラインヴァルトの言葉は、そういう意味だったのか! 愛を汲み取れとか、傍らに立たせろとか、それっぽいと思ってたけど!
くっそ、さすがイケメン! やることが一足跳びに はえーよ!
「だからね、名前くらいはさすがに……って思っちゃって……」
「俺にはあんなに、イノリアって名前
「だ、だから、やきもちはやめてってば……!」
イノリアがきゅっと眉根を寄せ、上目遣いで抗議する。
「私、ラインヴァルト様のこと、『ヴァール』って呼ぶことはお断りしたじゃない! 私が短愛称で男性を呼ぶの、その……ヨシくんだけなんだよ……?」
づどむ!
胸を大口径の銃で打ち抜かれるような衝撃。
かっ……
かわええッッ……!!
もうダメだ、完全にイノリアにドハマりしてる俺がいる……!!
知り合って数日……いや、もちろんその前から──彼女の死を目撃した、その日からも加えれば──何日も経ってるけどさ!
でも、彼女
それだけ、俺って人間が、彼女にとってヒーローみたいだったんだな、とは思う。
もう、偶然に偶然が重なったうえに、夢だと思い込んでいたからこそできた無茶だったんだけどさ。
でも、もう、俺、君のためなら、君を守るためなら、今度は迷うことなく飛び込めるよ! 君のためなら、どこにだって飛び込んでみせる!
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