第51話:俺が怒ってるのは

「──じゃあ、俺は、これからもイノリアって呼ぶよ」


 イノリアの目が、大きく見開かれる。

 落ち着きなく目が泳ぎ、口が二度三度開かれ、しかし言葉にはならない。


「だって、俺、イノリアのことが大切だから。だから命だって張ったし、イノリアって呼んでるし、これからもイノリアって呼びたい」


 少し誇張はあるけど、でもここまで来てイノリアなんて関係ないなんて言えるか!


「だから、イノリア。俺のことも、って呼んでくれたら、嬉しいな」


 イノリアはうつむくと、しばらく黙ったままだった。

 なんて声を掛けたらいいか迷ったけど、ただ、拒否はされていないとは思った。


「で、お姫さんとこに行くんだろ? お散歩の時間、終わっちまうんじゃないのか?」


 はっと顔を上げた彼女は、少し目が赤くなっていた。


「だから早く行こうぜ、


 ちょっとひきつってたかもしれないけど、がんばって笑顔を作る。


「……うん、そうだね……」


 俺の笑顔につられただけなのかもしれない。

 でも、彼女は、笑顔で、返事をしてくれた。


「──行こう、




「ああ、ヨシマサ様! そうやってきちんと市井の者のいでたちをしておれば、なかなかの好青年ぶりではないですか。前の黒ずくめのときとは雲泥の差ですわね」


 オルテンシーナ姫は、俺の姿を見つけると、機嫌よく呼びつけた。


「姫様、ヨシマサ様は病み上がりですので──」


 イノリアがやんわりと制止するが、オルテンシーナがそれで止まるはずもない。


「病み上がりですって? 何をたわけたことを。ヨシマサ様の左手を見れば、兄上が何をしたか、分かろうというもの。ヨシマサ様、傷の具合はいかがですか?」


 上機嫌なのはいいんだけど、強烈な違和感。

 ルティ──オルテンシーナは、こんなしゃべり方じゃなかったよな?


「ル──オルテンシーナ姫。姫が無事だったのが一番です。謹慎していたと聞いたんですが、そっちは──」


 ところが、俺の言葉を、そばにいた女が遮った。


「ヨシマサ様。姫様はこのあと、予定がございます」

「何を言うか──のです。まだ散歩の時間は──」


 オルテンシーナの抗議を無視して、女は続ける。


「ですので、今日のところはこれにて中座ちゅうざさせていただきますわ。──姫様、どうぞ、こちらへ」

「あ、あの、姫様のお散歩の時間なら、まだ──」


 オルテンシーナを擁護しようとしたイノリアに、眼鏡をくいっと持ち上げた女は、レンズの向こうの鋭い目をさらに険しくした。


さん? 姫様はお忙しいのです。それよりも、そちらのお客様を、お部屋に案内してもらえるかしら? お客様には、というものがございますから」

「マイナロッティ! 散歩の時間はまだ──」

「ひ・め・さ・ま?」

「──はい」


 …………!?

 オルテンシーナがあっさり言うことを聞いた!?

 あのマイナロッティとかいう女──できる!!


「アイノリアさん。お客様には、くれぐれも粗相のないように。大切なお客様ですから、ね?」


 姫様の、ってところで特に念を押すようにゆっくりと言いやがる。できるやつなんだろうけど、なんかすごくイヤミっぽい。いけ好かないヤツだ。


「……ヨシ……マサ様、それでは、お部屋へご案内いたします。こちらへどうぞ」


 イノリアが、俺の顔を見て困ったような笑顔で案内をしようとする。

 イノリアを困らせたいわけじゃないんだけど……、あのマイナロッティってやつ、まるでイノリアをオルテンシーナから遠ざけるような真似を。

 イノリアはオルテンシーナの侍女なんだろ? それを、当たり前のように引き離すような役割を、急に割り振りやがった。


「……ヨシくん、なんだか目が怖いよ……?」


 イノリアが耳元でささやく。

 ──ああ、しまった。だからイノリアを困らせるつもりなんて無いっていうのに。

 俺の視線に気づいたか、それともイノリアのささやきを地獄耳が拾ったのか、マイナロッティはこちらをちらりと横目で見ると、口の端をゆがめるような、小さな笑みを浮かべた。




 俺の部屋は、全て王宮内の男性使用人の私室の区画の、隅っこのほうに割り当てられていた。

 まかり間違っても、ここはの部屋。断言できる。

 厚い、むき出しの石の壁。最低限のものしかない、シンプル過ぎる部屋。

 一つしかない窓は小さく、最低限の明かり取りの機能しかなさそうだ。


 しかし、部屋には、失くしたと思っていた木刀と──。


「……倉木の奴、最後の最後にこんなもの押し付けやがって」


 なぜか一緒にやってきた、あの、赤丸ホッペの黒熊のぬいぐるみ。


「え? ヨシくんのじゃないの?」

「俺のか、って聞かれたらそれは……まあそうなんだけど、ビミョーっていうか」


 まあ、一応、俺のものには違いないだろう。まあ、殺風景な部屋の、アクセントの一つにはなるか。


 しかし、ホントになんにもない部屋だった。窓は一つ、ベッドが一つ、テーブルが一つ、背もたれのない椅子が一つ。あとは、部屋の隅に、ゲームの宝箱みたいな木箱が一つ。それでおしまい。

 木箱は、開けてみても別に百二十ゴールドが入っていた、みたいなこともなく、空っぽだった。一応カギがかかるので、要するに金庫替わりなんだろう。


 だけど、木製って言うところが何とも言えない。無いよりマシ、ということなんだろうが、俺が強盗だったら、間違いなく蝶番ちょうつがいを狙ってぶっ壊すだろう。

 「大事なものはここに入ってますよー」と宣言しているようなところも、いっそ盗んでください感が漂ってくる。ゲームの価値観に毒されているだけなのかもしれないが。


 なんというか、そういう意味でも、盗まれても痛くもかゆくもないものを入れておくことしかできないというのが、本当にビミョーだ。


 ベッドに腰掛けると、床に敷いた布団のように固い感触。いやまあ、慣れてるけどさ。


「……ごめんね、本当はもっといい部屋になるはずだったんだけど……」

「どうせネクターバレンの奴のちょっかいでもあったんだろ?」

「……ヨシくんって、本当に王太子殿下のこと、嫌いなんだね」


 イノリアはため息をつき、「……ほんとのところは、そうらしいんだけどね?」と、あっさりと教えてくれた。


 自分が座ってイノリアだけ立たせたまましゃべらせ続けるのは、どうにも落ち着かない。

 どこでもいいから座るように言うと、少しためらったあと、俺の隣に腰掛けた。


「……ほんとはね? 姫様、ちゃんと三等賓客用のお部屋を用意したんだよ?」


 イノリアは、うつむき加減に話を続ける。

 歯切れがあまりよくないのは、言っていいのかどうかを、悩みながらなのかもしれない。


「でも、王太子殿下が、姫様の個人歳費で賄うようにっておっしゃったみたいで。

 でね? ヨシくんって、食事には文句を言わないって言ってたけど、美味しいものに慣れてるんだろうなって思って、……それで、姫様に進言したの」

「寝るところはなんとでもなりそうだから、飯の待遇を確保してほしい、とか?」

「……余計なお世話だった?」


 上目づかいで、不安げな顔をする。

 ──いや逆だ。驚きだった。

 自分の部屋なんて、どうせ寝る時くらいにしか使わないだろう。それより、飯がうまい方がはるかにいい。


「……そう、なんだ。よかった、ヨシくんを困らせないで済んで」


 微笑んだ彼女に、俺も少し、安心する。


「それにしても腹立つよな、あのマイナロッティとかいうやつ。何様なんだ?」


 まだ散歩の時間には余裕があったはずなのに、まるで良くないことみたいに。


「ヨシくん……? やっぱり、姫様と離されたこと、怒ってるの?」

「いや……まあ、よそ者で、貴族でも何でもない平民の俺から姫さんを遠ざけるってのは、まあ仕方ないっていうか、当然だとは思うから、それはいいさ。俺はいいんだよ、俺は」


 しかしイノリアは、うつむきながらも上目遣いで俺を見た。


「……でも、ヨシくんは姫様にとっても恩人に当たるんだから、もうすこしなにか主張しても……」

「俺はいいんだって。あの時──ラインヴァルトから疑われた時もふざけんなって思ったけど、確かに俺は怪しいよ。今考えてみれば、俺がアイツの立場だったら、やっぱり本当にあの黒ずくめ連中と関連がないって分かるまでは、牢屋にぶち込んでたと思うからさ。

 ──だから、俺のことは別にいいんだ。仕方ない」

「そんなことは──」

「でもな」


 俺が許せないのは、俺が疑われたことじゃない。拷問はぜってえ許さねえからクソ王子は謝ってくるまで絶対許さねえけどな。


「俺が腹立つのは、イノリアまで姫さんから離したことだよ」

「……え? 私……?」


 俺の言葉に、イノリアは戸惑ったようだった。

 でも、俺が怒ってるのは、そっちなんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る