第49話:『女の子はどこを見られてるか気付いてる』ってマジ!?
「ええと、ホントになんか、申し訳ないんだけど」
「……ヨシくんって、本当に変なところで変なことを気にするんだね」
イノリアが笑う。いや、絶対変じゃないと思う。
「ヨシくんは、私のお客様なんだから。もっといろいろ、欲しい物とか言ってくれていいんだよ?」
そう言って、体をかがめてみせる。
……彼女の胸の谷間の、その奥が見えそうな角度に、思わず喉が鳴る。
あわてて目をわずかにそらし、谷間に吸い込まれそうになった視線は、あくまでも視線移動の一瞬でしかないようにさりげなく演出。
「そ、それにしても、すごく綺麗になったなあ。あの短い間に」
「お母様に手伝ってもらったんだよ。いつもなら、コルセット以外は自分で着るんだけど。あと、髪ね」
「それそれ。それで俺、イノリアって分からなかった。すごくイメージが変わった」
髪の印象は本当にでかい。同一人物と思えなかった。
「そう言ってもらえると嬉しいけど……ヨシくんは、まっすぐとこっちと、どっちが好きなの?」
そりゃあ、と言いかけて、はたと考える。
──ぷるんとゆれる肌色の暴力は気にしない。気にしないったら気にしない。
わざわざ手間暇かけたであろうウェーブを褒めたいところだが、でもイノリアは今まで、結い上げているかストレートかのどちらかだ。
ストレートが気に入っているのか、それともあえて今、ウェーブにしたのは、本当はこっちの方が気に入っているけど、何かの理由があって外ではストレートしかできないのか。
彼女の体が動くたびに揺れる髪が、その胸元にこぼれてゲッフンゲフン!
「……ええと、ごめん、──どっちって決められない、どっちも綺麗だから」
「本当に考えて、その結論?」
「もっ……もちろん!」
「本当かなあ? ヨシくんの目が、さっきからちょっと気になるんだけど?」
ぐふぉああっ!
「ふふ、侍女長がおっしゃったとおり、だね」
「──え?」
意味を図りかねた俺に、イノリアがいたずらっぽく笑った。
「いま、ヨシくんの目は、どこを見てたかな?
──気を付けてね。女の子はね、男の子にいま、どこを見られてるか、
うぐぅッ!?
『女の子はどこを見られてるか気付いてる』ってマジ!?
「うん。本当。すっごくよくわかるよ? だって、視線が下がるんだもん。胸元に」
──嘘だッ!!
面接練習の時、先生は面接官の口元からネクタイの結び目あたりを見ればいいって言ってたぞッ!?
まさか、それもバレてたっていうのか!?
「口元からタイまで見れば、相手の顔を見ているように見える?
──そんなの、多分お見通しだよ? 面接官さんをあなどっちゃだめだよ?
先生の馬鹿野郎……ッ!!
なにが「ちゃんと顔を見ているように見える」だよッ! イノリアにもバレバレだったじゃねえか!!
てことは、以前の夢のときとかも絶望的にバレてたってことじゃん!! デートの時とかデートの時とかあのデートの時とか……!!
「どうして落ち込んでるのか分からないけど、
そう言って、そっと、胸元に指をひっかけて見せる。いたずらっぽく微笑みながら。
なんだろう、この優しい言葉の裏に潜むマウンティングマインドはッ……!
どう考えても俺が格下、近所の年下の男の子扱いッ……!!
「何なら明日、一緒に出仕する?」
上目遣いに言われたら、とても首を縦になんて振れない。
そんなことしてみろ、ゴシップ大好き連中の心無い噂の餌食になるに決まってる!
丁重に断ってみせたが、「それくらい、いまさらだから」と、彼女は笑った。
「また、明日ね?」
そう言って立ち上がったイノリアは、「お寝坊したら、置いてくよ?」と、笑顔で部屋を出ていった。
寝坊か。スマホ、あることはあるけど、電源切りっぱなしだ。外付けバッテリーもあるけど、満充電にして二回分しか使えない。それも、いつまでもつかと考えたら、目覚ましなんかにはとても使えない。
……そこで気づいた。何時、というか、いつ頃だと「寝坊ではない」と言えるんだろう?
「──聞いておいたほうがいいよな?」
急いで起きると、ドアを出て、どっちに行けばいいかと廊下を左右見て──
しゃがみ込んでるイノリアが、ドアのすぐそばにいた。
ドレスの胸元の布を強引に引っ張り上げ、しっかり胸元を押さえながら。
呆然と、俺を見上げて。
「……やあ、イノリア。聞きたいことが──」
イノリアがなぜ胸元を隠すようにしてしゃがみ込んでいるのか、その理由は分からなかったが、とりあえず明日の起床時刻を聞きたいと思って話しかける。
だが、それは果たされなかった。
すさまじい悲鳴が、その質問をかき消してしまったからだった。
「……お嬢様から、確認ができました。お時間を取らせ、誠に申し訳ございませぬ」
トラバーが頭を下げる。
ああいいですよ分かりますよ。
胸元押さえてしゃがみ込んで泣き叫ぶような悲鳴を上げたイノリアと、その前で立ち尽くす俺。
それを見た第三者が、何を考えるか。
ええ分かります俺が加害者で変質者ですよね。
イノリアが「違うの、何もないの、ヨシくんは悪くないの!」といくら言っても、それが泣きながらだったら、絶対に何かあって、俺をかばってるんだって誤解するに決まってるよね。
誤解が解けるまでに時間がかかるのも仕方ないね。
「……なんで彼女は、あそこでしゃがみ込んでて、俺を見て悲鳴を上げたんだ?」
「……わたくしからは何も申し上げることはできませぬ。お嬢様からお聞きください」
苦虫をかみつぶしたような顔だが、頭を下げる以上、少なくとも俺に非はなかったのだろう。
「……ただ、お嬢様は本来、あのようなドレスを好んで着られる方ではない、ということだけ、ご理解いただけたらと……」
さわやかな青い空に白い雲。小鳥の鳴く声は聞こえ、窓からは明るい日差しが降り注ぐ。
細かく仕切られた窓は、上部がアーチ状になっていてなかなかオシャレだ。どう見ても、うちのアパートの二重ガラスの四角いアルミサッシの窓ではない。
──夢を、見なかった。
いや、人間、寝れば確実に夢を見るらしいから、正確には「どんな夢だったのかさっぱり覚えていない」と言うべきなんだろう。
つまり、連続して夢を見始めてから、初めて、
目が覚めてからしばらくは、呆然としていた。
……ある程度、覚悟はしていた。
だが、
『夢に引っ張られる』
倉木はそんなことを言っていたが、それが本当に、俺の身に起こっている。
たしか、『並列世界』とか言ってたか。よく分からないんだけど、要は、きっと俺のいた世界と似た世界で、ただし俺のいた世界より時間的には昔の世界なんだろう。
そして。
「ライアッタかい? 姫様付きの侍女なのだ、夜明け前に出仕している。当然だろう?」
アールネガウィン氏の言葉で、俺は、イノリアに置いてけぼりにされたことを理解した。
とりあえず驚いたのは、食事の習慣だった。ヨーロッパ風なんだから当然ナイフとフォークとスプーンかと思ったら、まず真っ先に聞かれたのが「ナイフはあるのかね?」だった。
当然、ハンバーグレストランとかで使ったことがある、あの先の丸いナイフのことかと思い、「ありません」と言ったら、本物の小型のナイフを渡された。いやあ、衝撃的だった。
で、フォークはなく、スプーンも無し。
マジか。どうやって目の前のスープ食うんだよ! と思ったら、パンを浸して、そのパンを食う。つまりスープは、ソースだかドレッシングだかの扱いだった。ナイフは、パンや肉を切り分けるために使うが、フォーク代わりにして食べることもするようだ。
──ワイルドすぎる!! ここ、階級低くても貴族の家だよな!? 倉木が言ってた、昔のヨーロッパは箸を使ってた日本より不衛生で、手づかみで食ってたって、つまりこういうことだったのか!?
「ところで、ヨシマサくん。あらためて聞こうか」
ホントこれが貴族の食事? とげんなりする、「焼いただけ」の肉をナイフで削ぎ落していた俺に、
「ライアッタのことは、どこで知ったのかね?」
……すみません。知り合ったのは、あの、窓をぶち破って突っ込んだあのときです。
もう言葉が見つからず、正直に言うことにする。
「……本当なのかね? にわかには信じがたいのだが」
「顔は何度が見かけたことがあります。ただ、実際に会って話をしたのは、あのときが初めてです」
何かを考えこむような仕草をするイノリアパパ。
「あの、なにか、気になることでも……?」
「気になることだらけだよ?」
俺の言葉に、イノリアパパは薄く笑って答えた。
「そんな、会って間もない君を、どうしてライアッタは
「……はあ」
短愛称。これまでも何度か聞いた言葉だが、どうも愛称と短愛称は役割が違うようだ。
「……あの、短愛称がなにか……?」
すると、イノリアパパさんの眉が、ぴくりと上がる。
「短愛称というのは、君たちのような最近の若者の間ではどうか知らぬが、本来、家族か、あるいは特別に親しい、心を許し合う者同士で共有するものだ」
なるほど、つまり、短愛称で互いを呼び合うのは、とても特別な仲の人どうし、というわけか。
……あ、これ、ひょっとしてイノリアをイノリアと呼ぶこと自体、マズイことなのか?
「──娘の、特に異性との交際に関して、私は
いつの間にか、イノリアパパさん、食事をやめて、俺をじっと見つめていた。
「──娘のこと、
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