第48話:親子揃って姫様で遊んでるよ
ライアッタと呼ばれた女性は、深々と礼をすると部屋に入ってきて、静かに紅茶を淹れる。
ウェーブのかかった栗色の長い髪の女性は、目を伏せがちのまま、俺と、そしてアールネガウィン氏それぞれの前に、カップを置く。
「ライアッタ。お前の勇者様は、なかなか奥ゆかしい人物のようだが、どうも人の話を聞かんところがあるようだ。一つ、お前からもお願いをしてもらえないか」
小首をかしげる女性に、アールネガウィン氏が「ヨシマサ殿に、お前を助けてもらった場面について、話を直接聞きたいのだよ」と笑う。
……俺が、彼女を、助けた?
ライアッタさんを?
俺のほうが首をかしげる。
「──すみません、人違いではないですか?」
そんな俺を見て、ライアッタさんは目を丸くし──次いで悲しそうな表情になった。
「ヨシくん、そんな言い方、ないと思うよ……?」
「……
……イノリアだった。
「いやあ、大いに笑わせてもらったよ。命の恩人、それも先ほどまで一緒に歩いて送ってもらった人物に忘れ去られるとは。うちの娘は、よほど印象が薄いようだ。もう少し、個性を磨くようによく言い含めておくことにするよ」
アールネガウィン氏は、まだ肩を震わせている。そこ、笑うところなんだろうか。うちの娘を忘れるとは、と、怒り狂うかと思ったら。
だって、分かるわけねえよ!
イノリアはさっきまで、栗色のストレートの髪に、地味だけど可愛らしい感じのドレスだったはずだ。
それが、顔の輪郭も分からなくなるくらいのウェーブのかかった髪に、胸元が大きく開き肩まで見せた、深く暗い赤のドレス姿でお茶の給仕に来るなんて、だれが想像するんだよ!
「……申し訳ありません。とても綺麗で、見違えました。せめて、顔をまっすぐ上げていたら、気づけたかもしれませんが」
もちろん嘘だ。たとえ顔を上げられていても、分からなかったに違いない。
この世界で、おそらくたった一人の「絆創膏を貼った顔」だけど、でも今はウェーブのかかった髪に隠れて、ぱっと見ではわかりづらくなっている。それも、判別を難しくしていた。
でも、今の顔を見て、少し安堵する。今まで、彼女の頬に貼られたでっかい絆創膏が、貼ったのは自分とはいえ、ずっと気になっていたからだ。ウェーブにすることで隠せるなら、それはそれで一つの方法かもしれない。
「綺麗って、そんな……」
無意識なんだろうけど、右の頬を押さえてうつむき、恥じらうようにしなを作ってみせるイノリアは、──うん、可愛い。
「まあ、
アールネガウィン氏は、にやりとして続ける。
「娘の淹れた茶を味わってもらえないかね? 『蛇が竜を産む』ではないが、侍女教育が行き届き始めたのか、安い茶葉からなかなかにうまい茶を淹れるようになったのだよ」
イノリアが抗議をするが、アールネガウィン氏は涼しい顔で紅茶のカップを傾ける。
「──うむ、いい香り、いい味だ。ライアッタ、おいしいお茶をありがとう」
イノリアが、改めて背筋を伸ばして美しい礼を返す。
──ライアッタ。アイノライアーナの、本来の
なんとなくそんなことを考えていたら、イノリアと目が合った。目が合ったというより、じっと俺を見つめるイノリアに気づいた、といったほうがいいか。
実はストレートティーのおいしさなんてさっぱり分からないんだけど、やっぱり彼女が淹れてくれた、その事実に感謝をしたい。
「……うん、おいしい。香りもいいね、ありがとう」
俺の言葉に、イノリアの固かった表情が、一気にほころぶ。見るからに嬉しそうな笑顔になって、ぴょこんと勢いよく礼をした。
即、アールネガウィン氏にたしなめられ、慌てて背筋を伸ばすと、さっきのような
「すまないね、まだまだ町娘のような気分が抜けないようだ」
だから多少は大目に見てくれるとありがたい、とアールネガウィン氏は苦笑しながら言った。
「それでだ。実際のところ、どうだったのかね?」
……イノリアを助けた場面の話か。
「どう、と言われても……。本当に、無我夢中でしたんで」
「覚えている断片だけでいいとも」
おっさん、しつこいなあ。どうせ俺が全部ぶっ倒した、と言っても信じないんだろう?
「……人質に取られた王女殿下ごと、ぶん殴りました」
「……まさか、姫様ごと吹き飛ばしたことを話すとは思わなかったよ?」
おっさん、さすがにそんなことをやらかしたとは思わなかったらしい。
目が点になったあと、「無礼な!!」とか言って怒るかと思ったら、これまた大爆笑だった。イノリアが怒るくらいに。
「いやあ、あのはねっ返り姫ごと
「自分を誰だと思ってる、みたいな文句を言ったので、それだけ元気なら大丈夫、と放置しました」
俺としては最善とは言わなくとも次善の行動だった自負はあったんだけどな。トリアージみたいなものだ。
騒ぐ元気があるヤツは優先度を下げる。ただそれだけのことだったんだけど、おっさん、椅子から転げ落ちるほど腹を抱えて笑い、しばらく床を殴り続けるありさまだった。
そのくせイノリアから「お父様!」ととがめられると、突然真面目な顔に戻って椅子に戻るんだから、あの大爆笑は何だったのか。ひょっとしたら、演技だったのかもしれない。
……何それこわい。
「お父様、オルテンシーナ様のこと、お気に入りだから」
どうもあの姫様、
まあ、本当の身内・お友達向けの姿と、他人・お友達(笑)向けに、それぞれ態度を変えるということなんだろう。
じゃあ、あの、以前見た夢──サロンでのルティ。
あの時は、男言葉ではなかったはずだ。
……ということは、あのサロンの連中は、ルティにとって、本当の友達ではなかった、ということになる。
もしかしたらあのサロンは、あれだけの金持ちっぽい女性たちを従えてなお、彼女にとって、くつろぎ安らぐことができる空間ではない、ということなのだろうか。だとしたら、王女様なんて立場も、楽どころか、仲間と一緒にいてさえも、気の休まるものではないのかもしれない。
いっそ切り捨てればいいのに、とも思ってしまうが、いろいろ人脈のこともあるだろうし、有力貴族の娘を切り捨ててしまっては、王位を保障する後ろ盾を失いかねないから、あのお友達ごっこを続けなければならないのかもしれないな。
まあ、俺に対しては尻埋め騎士とか訳の分からんことを言ってたりしてたから、ストレスは別のところで発散していたのだろう。
口調の件も、気づいたものはともかく、気づいていない阿呆どもには、もしかしたらさげすみながら付き合っているのかもしれない。
「……あれ? じゃあ、なんで俺が突入したあの時、男言葉だったんだ?」
「姫様はそっちが地だから。淑女言葉は、仮面をかぶるときっておっしゃってるの。あなたが飛び込んできたときは、もう淑女言葉なんて使ってる心の余裕がなかったのね」
なるほど、テンパりすぎると出てきてしまう地、それこそがあの男言葉か。
逆に言えば、それを使っているときの姫様は、つまり心がさらけ出されている無防備状態なわけか。
口ではたとえきつそうなことを言っていたとしても。
……そういうギャップが、ルティの魅力なのかもしれないな。
そういえばイノリアの親父さんも、そういうあからさまな態度の変化を楽しむという意味で、気に入っているんだそうだ。
といっても、愛でる意味で気に入っているわけでなく、いわゆる「生暖かい目で見守る」というやつで、面白いネタを拾っては笑い飛ばしながら支持をする、というスタイルらしい。
……そんなことをしているから最下級貴族から抜け出せねえんじゃねえの、とはちらりと思ったが、さすがに口には出さないでおく。
まあ、そんな親父さんの立ち位置について呆れてみせるイノリアだが、実は姫様のわがままに振り回されつつもそれに付き合うのを楽しんでいる、というのがイノリアの立ち位置らしい。
やっぱ親子だ。親子揃って姫様で遊んでるよ、この人たち。
そして、そんな親子だからこそ、突然夜中にやってきた正体不明の男を泊める、などということを当然のようにできてしまうのだろう。
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