第47話:もてなしたいと言ってるけれど
この鉄の格子の前に立つのは、これで何度目だろうか。
暗い夜道を、ほとんど何も話すことなく、ただ送り届けた道のり。
そう言えば、以前ここに立った時は二度、
今回は、その出発点となる時間軸に、俺はたどり着いている。ただ、彼女は黙ってうつむいたまま歩いているし、俺自身も、そんな彼女に何を話していいか分からず、ただ、黙って歩いていた。
城に続く大通りから何度か曲がり、道のりの記憶に自信がなくなってきたころ、イノリアが立ち止まった門扉、それが──
「……ああ、ここか」
見覚えのある鉄の格子だった。
「じゃあ、また……明日、かな?」
「そうだね……。ヨシくん、また、明日……だね?」
迎えに出てきたロマンスグレーなおっさん──トラバーって言ったっけ、なんで分かったんだ? 呼び鈴とかそういうの、鳴らしてなかったぞ?
イノリアは普通に出迎えをねぎらってるし。
執事恐るべし。
「いえ、しかしこのような遅い
「いいの。私の命の恩人がこの人なんだから。正式なお礼はまた後日すればいいわ、今日は私を送ってくださったことへのお礼をしたいの」
イノリアに別れを告げて宮廷の方に帰ろうとすると、イノリアが引き留めて、お茶でも飲んでいかないかという。
今が何時ごろ、というのは分からないが、それでもすっかり日が沈んで、さらに時間が経過しているから、さすがにそれは辞退しようとしたんだけど、イノリアが強引に腕を取って引っ張られてしまった。おまけに、許可が出るまで屋敷に入らないとまで言い切り、トラバーを追い払うあたり、言い出したら譲らない、芯の強さを感じる。
「だって、ヨシくん、門兵の構えを見たでしょう? あの城門はね? 夜は、出るのはある程度自由だけど、一度出たら夜明けまで入れないんだよ?」
……マジで?
えらく簡単に出られたものだから随分緩いと思っていたんだけど。
「簡単なのは、私が一緒にいたからよ。これでも、王女様付きの侍女の肩書は伊達じゃないんだからね?」
腰に手を当てて、自信満々といった様子だ。
「……でも今は、侍女を解任されてるんじゃなかったのか?」
「形だけね?」
イノリアはいたずらっぽく笑った。
「……あ、トラバーが戻ってきたね。お父様、認めてくださったかな?」
「……なるほど、酒は不要と。トラバー?」
イノリアの親父さんの言葉に、トラバーがボトルを下げる。代わりに水差しを差し出されたので、それを注いでもらう。
なんとなく、柑橘系のさわやかな香りが、ほのかに鼻をくすぐってくる。水自体は透明だから、におい付けがされているようだ。
「お話は、
イノリアが、すでに伝えておいてくれたらしい。なんだかむずかゆい。
「お若く見えますが、剣の道にも通じているようですな。
王女殿下の御身ばかりか、我が家の娘の身までも救うために、
─――─!?
おっさん、悪意があるように見えない。イノリアから聞いたって言ってたよな?
じゃあなんで、俺が救った、ではなくて、ラインヴァルトの補佐をした、みたいな話になってるんだ?
一瞬、抗議しかけて、口を紡ぐ。
落ち着け、落ち着け俺。
イノリアが嘘を伝えた? さすがに俺が一人で三人もやっつけたのは嘘っぽいから、話に説得力を持たせるために?
それとも、イノリアは正しく伝えたけど、親父さんはイノリアが誇張したと判断して、ラインヴァルトの指揮の
あるいはこれが貴族流の交渉術みたいなものなのか? 俺に、恩をかぶせてカネやモノを
……どうする? 間違いを訂正する? それとも、親父さんに恥をかかせないようにするために、言わないほうがいい?
黙ってスルーする大人の対応か?
それとも事実や権利をしっかり主張する欧米風か?
どっちが正解だ?
どうしたらいい──?
「──いえ、神のご加護のおかげです」
結局、あいまいに濁すことにした。こういうとき、神サマって便利だ。
「ご謙遜を。おかげで娘が無事帰ってまいりました。おまけに、傷が速く治るように、
──膏薬って、湿布みたいな張り薬のことだよな? ちょっと違うけど……まあ、いいか。
「本来なら本人に直接、礼をさせてもてなすのが筋ですが……あいにく時間が遅く、また、ああ見えても嫁入り前の娘でして」
ふんぞり返りながらそう言われても、全然素直に受け取れない。
だが俺は、イノリアが行方不明の末に暴行を受けて帰ってきたとき、涙を流しながら俺の胸ぐらを掴み上げて、そのふがいなさを責め立ててきた姿を覚えている。娘を思う気持ちは本物なんだろう。
もてなしたいと言ってるけれど、「理由があってもてなせない。だから仕方ないのだ」ということか。
つまりはそういうことで、要は、歓迎されていないということだ。
「いえ、おかまいなく。私のほうこそ、夜、城門の外に出ると朝まで中に入れてもらえないことを知らずに出てきてしまったのを、憐れんでもらっただけですので。
すぐに失礼しますから」
──敬語、間違ってなかっただろうか?
「……そうですか。いや、まともにもてなすこともできず申し訳ないですな。また後日、正式な機会を検討しましょう」
おお、出たよ、お役所対応「検討します」。検討はします、するだけですという、あの『お断りします』の意味でつかわれる伝説の返答!
確か親父さんは宮廷の役人さん──の補佐だったっけ? さすがだ、さっさと追い出そうというわけか。しょっぱい対応をすることに慣れているんだろう。
……そりゃ当然だな。むしろこんな時刻に、知り合って間もない男を引っ張り込んだイノリアが変わっている。
まあ、この気温なら夜、ベンチで寝たりしても寒さで起きてしまうようなこともないだろう。
カップの生ぬるい水を飲み干すと、「それでは、失礼しました」と頭を下げて立ち上がり、さっさと出ていくことにする。
イノリアは目の前で動いていた俺を知っているから多少好感度は高いかもしれないけど、親父さんにしてみれば、貴族どころかこの国の住人ですらない俺なんて、一刻も早く遠ざけたいに決まっている。
だったら、長居をするよりさっさと出ていったほうがマシだ。
ところが、親父さんから「まあ、待ちなさい。若者はせっかちでいけない」と引き留められるような物言いをされた。
とは言っても、べつに歓迎されているわけでもない様子だし、これはきっと、京都の伝説的追い出し対応「ぶぶ漬けでも食うてゆきなはれ」みたいな、貴族的合言葉なのかもしれない。
ま、俺だって夜中に、恋人と認めたわけでもない男が娘と一緒に家にずかずか入って来たら、叩き出したくなるに決まってる。
「お気遣いありがとうございます。では、機会があったらまたお会いできると嬉しいです」
そう、改めて礼を言って、ドアノブに手を掛ける。
「ヨシマサ君」
有無を言わさぬ強さで、声を掛けられた。
さすがにその声にまで逆らうのはどうかと思って、振り返る。
「かけたまえ」
足を組み、頬杖を突いたイノリアの親父さん──アールネガウィン氏は、やや口の端をゆがめるような笑いを浮かべていた。
「君には感謝しているんだよ、実際」
彼はワインを傾けながら続けた。
「
そして、薄く笑う。
「どうだね、
なんだろう。何が目的なんだろう。
単純に俺がやったことを聞きたいだけなのか?
それとも、あえて「ラインヴァルトの下で」「クソ王子親衛隊と共に」働いたことについて聞かせろ、と要求したということは、ラインヴァルトやクソ王子、その親衛隊の情報を集めたい、ということなんだろうか。
ただ、いずれにしても俺一人がやったことだ、なんて言っても通じないだろう。あくまでも俺はモブの一人で、
そんな人に、俺がどうやったかなんて正直に言ったって、どうせ理解してもらえないだろうし、下手したら機嫌を悪くされて悪印象を持たれかねない。
自分自身、あの時は夢だから死ぬことはないなんて思い込んでいたからできていたことであって、
だから、言うことは一つだ。
「……無我夢中でしたので、何をどうしたかなんて覚えてません」
イノリアがなんて伝えたかなんてわからない。でも、これで話をおしまいにできるだろう。
「私自身はそんなざまなので、お話できることはありません。娘さんに聞けば分かると思います」
そう言って席を立とうとすると、「だから待ちたまえ」と苦笑いされた。
「なんとも落ち着かぬ男だな、君は。話をしたいと言っているでは──」
そのとき、ドアがノックされた。なぜかトラバーが動くと、「どうぞ、お嬢様」とドアを開ける。
……そこに、胸元から肩まであらわになった、深く暗い赤──えんじ色というのだろか──のドレスを着た女性が、うつむき加減に立っていた。ティーカートを傍らにして。
なんで分かったトラバー。あんたひょっとしてノックの音で相手を聞き分けるとかできるのか?
「おお、ライアッタ、待ちわびたぞ! どうもこの少年はせっかちでいかん。お前の茶も飲まずに帰ろうとするばかりで、引き留めるのに苦労したぞ!」
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