第46話:だって俺は、イノリアのことが好きなんだから

「──そっか。じゃあ、今ここにいる俺は、叶わない憧れの、そのってとこなんだな」


 口に出した言葉を自分で聞いて、その嫉妬にまみれた呪いに吐き気を催しそうになる。


 キモい。自分で言ってて、これは相当キモい。

 俺がイノリアの立場だったら引く。


 ──ほら見ろ。

 イノリアも、驚いた顔をしてこっちを見てるよ。


 ていうか俺、何様だよ。俺の体感時間では会った次の日だよ、今日は。

 いや、そりゃイノリアたちの命の危機を助けたよ?

 だけど、それだけだよ。むしろ変に疑われてた俺がかばってもらってたくらいだよ。

 そんな俺のどこに、ラインヴァルトに嫉妬する権利があるんだよ。


 こんなドロドロしたひがみ根性あふれた言葉を聞いて、それで笑っていられたらそいつはよほどの人格者か、それともそんな言葉にもびくともしないほどそいつを見下しているか。


「……どういう意味、かな?」


 ラインヴァルトを語っていた時の、さっきまでの微笑みはすっかり掻き消えて、かすれた声で、真顔で聞いてきてる。


 ──答えられるわけがない。

 こんなキモいこと聞くような、そんなヤツ、俺だって嫌なのに。


「……なんでもない。なんでも……」


 うつむき、歯を食いしばり、押し黙る。

 触れあっていた肩から逃げるように、やや体をずらす。

 イノリアがこちらの顔を覗き込むようにさらに首を傾けてきたのが分かったが、さすがに今の顔を見られたくはない。


 最低だ。




 しばらく、無言の時間が続いた。

 イノリアは、あれから何か聞こうとするでもなく、だが何かするでもなく、ただ、俺の隣に座っていた。

 俺の方はというと、あまりの気まずさから、何も言えず、何もできず、固まっていた。


 端から見たら、かなり奇妙な二人だっただろう。

 部屋の中、二人してベッドで座っていて、しかし沈黙して何も語ろうともせず、固まっている。

 いろんな意味で怪しかったかもしれない。


「ねえ、ヨシくん」


 沈黙を先に破ったのは、イノリアだった。


「ヨシくんは、私がこんな時間になってもここにいること、変だって思わないの?」


 うつむいたまま、イノリアがつぶやく。

 変かどうか。

 イノリアの話だと、彼女はでケガをした俺のサポートのためにここにいるはずだ。

 それが変かどうかと聞かれたら、別に仕事なんだから変じゃないだろうと思う。

 質問の意味は分かるが意図が分からず、俺もうつむいたまま、聞き直す。


 ややあってから、イノリアがこちらをみて、そっと肩を寄せてきた。

 ──寄せて来たんじゃない、こっちを向いたから肩が触れ合った、それだけだろう。


「……私はね、姫様から個室こそ与えられてるけど、その個室は休憩とか、身だしなみを整えるために使うってだけで、ちゃんと夕方には家に帰ってるんだよ?」


 確かにイノリアはこちらを向いている。

 それは雰囲気で分かる。


 ──でも、俺は、さっき言ってしまった言葉が気まずくて、まともに彼女のほうなど見られなかった。

 うつむいたまま、視線だけ、やや彼女の方に向ける。

 さっきまで真っ直ぐそろえられていたひざが、ややこちらの方を向いているのが分かる。


「うん、……それで?」

「……今、何こくだと思う?」


 何刻──おそらく、何時、に相当する言葉なんだろう。

 ──何時? 時計なんて持っていない、スマホは……ボディバッグの中だろう。


 だけど、問われて初めて、夜を実感した。さっきもすでに見た通り、窓からは星空が見える。

 ──もう、夜なんだ。

 気が付いたら、ろうそくの長さが、さらに半分になっていた。


「娘が夜になっても帰ってこないってなったら、家の人はなんて考えると思う?」


 ……年頃の娘が帰ってこないとなったら、心配するに決まってる。どうせこの世界、日本みたいに電車やバスがあるわけでもないし、街灯があるわけでもない。

 ──つまり、夜道は真っ暗なわけだ。事故とか何かあったらって、心配するだろう。


「……それもあるけど、別のことを考えたりしないかな?」

「別のことって?」


 年頃の女の子が帰らないっていったら、……だめだ! 心配どころじゃないじゃないか! 俺みたいな男ならともかく、イノリアみたいな美人が一人で夜道歩いてて、ヤバい奴につかまったりしたら……


 そこまで考えて、あの夜を思い出す。

 彼女が受けた、凄惨な、あの──

 ──しまった! こんなすっかり暗くなった今、イノリアを一人で帰せるわけないだろ!

 アレの夜が早まるだけじゃないか!!


 しかし、いずれ彼女を襲う過酷な運命など口にできるわけもなく、ひとりわたわたと落ち着きなくキョドっていると、イノリアが小さなため息をついた。


「……ヨシくんって、ひょっとして、女の子から言わせたい人? それとも、……その、男の人が好きな人……?」

「──は?」


 直前まで、彼女の悲惨なあの光景が頭を埋め尽くし、吐き気すら催しながらどうしていいか分からずパニクっていたから、イノリアの言葉の意味が頭をすさまじい勢いで貫く。


「ちょっと待てよ、ってどういう意味だ?」

「そのまんまだけど」


 え、なに?

 それってつまり、俺が、『アッ──!』な趣味の人って意味?


「──っておい! それ、俺がさっきラインヴァルトとナイヤンディールでやったネタじゃねえか!」


 冗談じゃない、俺は女の子と付き合った経験なんてほぼないけど、それでも野郎と女の子どっちか選べと言われたら光の速さで女の子を選ぶに決まってるだろ!


「だって、ヨシくん……女の子がこうやってそばに……」

「ああもう、ごめん! 俺が引っ張っちゃったよ! いつまでも残業させて悪かった! そういうことだろ?」


 考えてみれば、彼女は侍女をやってれば定時──夕方には帰れていた。今日はドジやらかして俺の晩飯も遅くなったうえに粗末なものになっちまったけど。

 でも、そのあと無駄な時間を過ごさせちまって、結果、帰るのがさらに遅くなっちまったのは、完全に俺のせいだ。


 つまり「俺の世話」という職場は、姫さんの侍女をやるよりブラックってことだ。バカなことで一人で勝手に落ち込んでたってしょうがない。就職初日からぶっちぎりの残業でブラックな職場、なんて、彼女の家族に思われたくない。


「えっと、ヨシくん? そうじゃなくて、あのね……?」


 なぜか焦るようにキョドっているイノリアだが、そうやって変に気を使わせていたら明日から顔を合わせづらいのは俺も同じ。

 あたふたしている彼女を横目にしたあと、ぎゅっと目を閉じて両頬を、自分の手で挟むようにひっぱたく。


 ──パンッ!


「よし!」


 ちょっとやり過ぎた──痛かったが、小気味よい音と刺激で、踏ん切りがついた。

 イノリアは俺の世話をするために、こんな夜まで付き合ってくれたんだ、今度は俺が行動で示さないと。


 気持ちを切り替えるんだ。

 ラインヴァルトの奴にだって、負けちゃいられないんだ。

 だって俺は、イノリアのことが――好きなんだからな!


 今の時間軸ではまだ早いだけだ。出会ったばかりなんだしな。

 大丈夫だ、イノリアはきっと、俺を好きになってくれる。

 そうしたら、今度こそ、俺が守るんだ!


「あー、はいはいOK! ちゃんと家まで送ります! さすがに一人で帰らせるなんてしないって!」


 そのまま反動をつけて起き出すと、ベッドの端に掛けられていたジャージの上着に袖を通す。左手が包帯でぐるぐる巻きというのは思ったより不便だが、治療してもらっておきながら不便なんていうのは罰当たりだ。


「……ヨシくん、あの、話を聞いて? 私ね……?」

「大丈夫! 必要なら、俺の話し相手になってくれてたってちゃんと家の人に説明するから!」


 少し肌寒い感じがしたので、ウインドブレーカーも羽織る。季節はいつ頃なんだろうか。春? 秋? なんにせよウインドブレーカーをこの世界に持ち込んでよかった。


 たぶん、この世界じゃ、相当に違和感のある服なんだろうけど、俺にはこれ以外に服なんてない。まあ、もしかしたら奇抜なファッションってことで、彼女を狙おうとするような奴を警戒させるくらいには役立つかもしれない。

 

「……ヨシくん……あの、私……」

「あ、信用してねえな? 俺だって一応、紳士のつもりなんだぜ? ラインヴァルトには全然負けるし弱いけど、でも心構えくらいは」


 困ったような顔をして俺を見上げるイノリアだが、彼女の家がどれくらい遠いのか分からない以上、早く家に帰してやらないと、今度は俺がここに帰ってこれなくなりそうだ。


「そうじゃなくて……」


 イノリアは一瞬、怒ったような表情を見せた。でもすぐに疲れたような笑顔になり、小さなため息をついて、俺に手を伸ばす。


「……じゃあ、エスコートしてくださる?」

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