第44話:『鋼の錬金舌師』と呼ばれた俺でも

 そういえば、やっぱ高校でもスポーツ万能の奴ってモテてたよな。俺なんて長距離だから地味だし……。ああ、そういう意味だったらヘコむ。マジで。


 ただ、イノリアはそんな俺に何か察したみたいだった。


「力関係って、もちろん、ただ力が強いとかじゃないよ? 立場の話。男の人って、相手より上の立場に立ちたいんじゃないの? その……結婚後の、家どうしの関係もあるし」


 家どうしの関係……でたよ親戚づきあい。友達にも、自分はどっちの家も好きなのに親の実家の仲が互いに悪くて、悪口言い合ってていやだ、って言ってたやつがいたな。


 うちは母さんの実家──母さんも世界を越えてきた人だって分かった以上、実家って言っていいのか分かんねえけど──とは完全に縁が切れてたから意識したことなかったけど、お互いが好き合ってるならそれでいいんじゃないの?


「……ヨシくんは今、王女様の食客っていう特殊な立場だし、話しているとなんだか位階っていうものにあまり興味がないみたいだけど、でも、私の家、世襲貴族の中でも最低位階の、七位下だよ?

 ──貴族っていってもね? 最近、私が侍女になって禄をいただくようになって、やっと少し余裕ができるようになったくらいに、その辺の、普通のお店を構える商人さんと、あまり変わらないレベルのおうち」


 つまり家はあまり身分が高くなくて、お金がない、というのは分かった。

 でもそれがどうしたって言うんだろう。


「そりゃ、カネのあるなしっていうのは確かに暮らしやすさに関係するけどさ。

 だからなんだ? だって好き合った者同士が一緒になるのが結婚だろ? なんでそれぞれの実家、カネのあるなしで上下をつけなきゃならないんだ?」

「……ヨシくん、お金も、家の関係も大事だよ? 結婚って、好きとかどうとかじゃなくて、生活もあるし、何よりも家と家のつながりを作るものなんだから」


 ……イノリアが何を言いたいのかよく分からない。

 というか正直、全然わからない。生活は贅沢しなきゃいいだけだし、親戚だって気に入らないなら付き合わなきゃいいだけだろうに。

 そう考えるのは、俺の家が、親戚づきあいってもんがあまりなかったからなんだろうか。一応、親父方の家とは、年に数回交流があったけどさ。


「そんなに家どうしのつながりって大事か? 結婚っつったらお互いの好きが一番だろ、だって両性の合意──ああ、それは……なんでもない」


 結婚は両性の合意のみに基づいて……ってのはの話だったか。こっちではどうなんだろう。


 なんかそこをめちゃくちゃ強調して三時間くらいかけて熱弁してた若い女の先生いたな。

 LGBTにまで話が飛んでたっけ。「性は二つではないのです!」って、いや、人体の機能的には二つだろ。二つともついてる人もまれにいるけど、そういう特殊事例も全部出してたら一般化できねえじゃん。まあ、「両者」にすれば問題ないんじゃねえのとは思うけどさ。


「……ヨシくん、理想はそうかもしれないけど、現実は家と家のつながりを作るのが結婚だよ? 本当に好きになった人がその人ならいいけど、大抵はその……愛人として関係を持つのが普通で──」

「そんなの普通じゃねえよ、なんで本当に好きな人を一番にできねえんだ? 愛人っつったら二番目以降になっちまうだろ、そんなのおかしくね? 貴族ってのはみんなそうなのか? お前んちはそうなのか?」


 イノリアの表情が、さっきからどんどん暗くなってきていたが、ついにすっかりうつむいてしまった。


「……そうじゃないから、苦労してるんだよ」


 ちいさく、ため息をつく。

 そうじゃない──つまり、イノリアの両親には、愛人はいない、ということか。

 つまり、恋愛結婚したんだろ? いいじゃん、苦労ってなんだ?


「お父様もお母様も、後先考えずに結婚されたの。だから今も二人、とっても仲良しだけど、その分、家の経済状況は大変ね。私が庭の手入れをしていること、知ってる時点でもう分かるでしょう?」

「ん? とりあえず食えてるんだろうし、親の仲もいいならいいじゃん、十分だろ? 俺なんか親父がいなくて、母さんが一人で育ててくれたからさ」


 だから両親が仲いいならそれでいいじゃん、と言おうとしたんだけど。


「あ……」


 イノリアはひどくショックを受けたような顔でこちらを見上げていた。


「……ご、ごめんなさい……だからお母様のこと、すごく想って泣いてたんだね……」


 うつむいて、肩を震わせる。


「わ、私……、知らなかったからって、ヨシくんのこと、からかっちゃった……。

 お母様のこと、大切に思って泣いてたヨシくんに私……無神経なこと──」

「い、いや、そんな泣くほどのことじゃないから! てか、なんでイノリアが泣くんだよ!」




 気が付いたら、すっかり真っ暗になっていた。もう、お互いの顔も見えないくらいに。

 立ち直ったかと思ったら、大いに慌てて俺の食事をとりに走っていったから、イノリアってよく失敗するのかと聞いたら、ちょっとすねてみせた。


「そんなわけがないでしょう? いつもは気まぐれな姫様のお相手をしてるんだから、こんな失敗なんかしないもん」

「じゃあ、なんで今回は?」


 からかい半分に聞いてみて、ちょっと後悔というか、胸に来た。


「……ヨシくんとのお話が、楽しかったから……」


 だめだ、普段はちょっとお姉さんぶってる感じがするイノリアが、上目遣いにそう言うの、すっごく可愛い。


 トレイに載せられてきたのは丸くて硬いパンのようなもの──なんつうか、食感がを焼き固めたみたいなもの──に、やたらにおいが強いチーズの塊──単に日本のチーズのくさみが少ないだけなのかも──、そしてやたら酸っぱいヨーグルトドリンク──もちろん甘みはゼロ──だった。これはきつい。


 給食でも外食でももちろん家でも、出されたものは絶対に完食するのが俺のささやかなポリシーだったけど、これは本当にきつかった。

 なんせ、飲み物で無理矢理流し込もうにも、その飲み物がなかなか飲み込みにくい代物ときたもんだ。


 口の中でぼろぼろと崩れていくパンをもそもそと食いながら、「なあ、これって、美味いのか?」と訊いてみるが、苦しげに「あはは……」と笑って見せるところからも、決して美味いものではないことは分かった。


 少なくとも、パンが小麦じゃない。なにせイノリアの言葉が奮っている。


「小麦の白いパンが食べられる日?

 ……そうね、秋の感謝祭には、奮発してみんなで白いパンをいただくかな。この日ばかりは、おかわりのパンも白いパンをいただくんだよ。あとは……お誕生日をお祝いするときとか、断食明けの朝とか」


 要は、特別な日の、特別なパンらしい。日本で普通に食っていたパンというのは。

 身分は低いとはいえ、貴族の一員であるイノリアでさえこれなのだ。


 じゃあ、普段どんなものを食っているのかというと、二等小麦にライ麦や燕麦エンバクという、荒れ地でも平気で育つ小麦もどきをいた粉を混ぜたで作ったパンを食べているらしい。


 ちなみに二等小麦ってのは、俺たちが普段小麦粉と呼んでるあの白い粉を、ふるいで分離した残りなんだそうだ。米で言えば、ヌカと呼ばれるような部分を多く含んでいるようなもの。


 当然、パンは黒っぽいというか、茶色っぽい色、いわゆる黒パンと呼ばれるものになる。

 もちろん、学校給食でたまに出る「黒糖パン」の意味の黒パンじゃない。あのほんのり甘いパンじゃなくて、固くて酸味があるらしい。


 ただ、俺が今食ったパンはそれですらなく、わずかな二等小麦に燕麦と豆かすを混ぜて作られたものだそうだ。

 ちなみにここでいう豆かすってのは、油を搾り取った後のカスだそうで、文字通りの廃棄物の再利用ってわけだ。

 ああ、道理でおからみたいだと思った。


「ごめんね、お口に合わなかったかな」


 すまなそうに言うイノリアに、俺は胸を張る。


「俺は食い物に絶対文句は言わねえ。食わせてもらえるだけで俺は満足だ」

「……つまり、お口に合わなかったってことね」


 ……ごめんイノリア。

 小中学時代、どんなおかず──絶対に給食を残させない担任が「これだけは残していいわよ」と言ったものも含む──でもおいしく平らげ、どんな味でも等しく味わう『鋼の錬金ぜつ師』と呼ばれた俺でも、こののトリプルコンボはきつかった。


「……ごめんなさい! 実はね、遅くなっちゃったから、使用人のお夕飯しか残ってなかったの!」


 あ、そういうことなのか。

 ……でも、つまりお城の使用人でさえも、こういう食事をしているってことなのか。これはなかなか……厳しいなあ。


 イノリア自身、白いパンは特別な日のごちそう扱いだった。ということは、日本で普通に食っていた食パンは、もう二度と食べれないと考えたほうがいいだろう。


 ……って、ちょっとまて。

 よくある「ご飯と味噌汁が二度と食えない」ってだけじゃなくて、俺がっていうことなのか。


 おいおい、そいつはきついぞ?

 米と味噌と醤油、だけじゃなくて、すらも絶望的ってどんだけだよ!

 食い物に贅沢を言うつもりはなかったけど、そもそもだったってことかよ。


 倉木、やっぱお前にはムリだこの世界。コーラどころかまともに小麦もねえ。鋼の舌の俺でも、すでに音を上げそうだ。

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