第42話:胸を張って、堂々としていて、でもって可愛い、

 ……母さん。

 かあさん……。


 最後の言葉は、もう途中までしか分からない。

 でも、その続きは、多分、分かる。

 おそらく、母さんも、だったんだ。

 母さんも、夢で繋がってきたのか、それとも別の方法なのか……とにかく、どこか違う世界からやってきた人だったんだ。


 知ってたんだ、俺のこと。

 分かってたんだ、こうなること。

 だからあんなに、イノリアのことを気にして、知りたがって……

 「いってらっしゃい」って、まるで朝、俺を送り出するときみたいに……。


 母さん自身がだったとしたら、母さんは、俺とはもう、二度と会えなくなるかもしれない別れを、送り出してくれたんだろう。


 ──母さんって、すげえ人だったんだな。


 天然ボケなんて言って、ごめん。

 ボケは、俺だった。

 もっと早く、相談したらよかった。

 そうしたら、もっと……

 もっと……


 かあ……さん……!!


「う……ふぐっ……

 う、う……うわあああああああああああっっ!!」


 無様に泣いていた。

 泣けた、ただ無性に泣けた。


 夢日記を書ききるまでこらえることができてよかった、こんな状態じゃもう、書くことなんてできなかっただろうから。




 気が付いた時には、背中をぽん、ぽんと、優しくたたく手があった。

 思わず「かあさん……?」と声に出してしまい、隣で微笑んでくれた女性を見て、そして、羞恥心で顔が激烈に熱くなった。


「い、イノリア……いつの間に!?」

 うろたえる俺に、イノリアは、「聞きたい?」といたずらっぽく笑う。

 胸を撫でながら、大きく深呼吸。


「……よし、覚悟完了。言っちゃってくれ」

「『があざん、あいだいよ、があざん!!』って叫んでるところくらいから、かな?」

「声真似すんなよ! てかそれめっちゃクライマックスに泣いている時じゃん!!」

「『おれがわるがっだよ、もういぢどだぎじめでよ』──私ももらい泣きしそうだったなあ」

「ぎゃあああっ!? やめてくれ、武士の情けがあるならやめてくれ!!」

「あ、あとねえ──」

「ちょっと! 情け容赦なし!?」



 しばらくイノリアにもてあそばれたあと、落ち着いてからイノリアが改めて質問してきた。


「ヨシくんは、お母さまから『よっちゃん』って呼ばれてたの?」

「あー、もう何とでも言ってくれ。それも俺の泣き言で知ったんだよな?」


 あっさり「うん」と白状するイノリア。


「私が『よっちゃん』って呼んだらだめ?」

「おやめくださいイノリアさん。人の情けがわずかでも残っていらっしゃるのでしたらば」


 俺の言葉に、イノリアが楽しそうに答える。


「そうね。ヨシくんにとっては、特別な呼び名だもんね」


「それにしてもイノリア、ずいぶんあっさりと敬語やめたな?」

「だって、それがヨシくんの願いだったんだもん。──短愛称で呼び合うことを許してくれるくらい、ってんだから」


 そう言って立ち上がると、スカートの裾をつまみ、膝を落としてみせる。


「それとも、やはり敬語に戻し、従者としての立場に戻った方がよろしゅうございますか?」

「……いや、いい」


 敬語はやっぱり、壁を感じる。

 今のイノリアの話し方のほうが、俺の知っているイノリアらしくていい。

 胸を張って堂々と生きる、かっこいいイノリア。


 でも、俺が泣いてたところに、呼んでいないにも関わらず部屋に入ってきたってことは、イノリアは俺の鳴き声でただならぬ気配を感じて、独断で入ってきたってことだよな?

 てことは、俺の鳴き声、一体どこまで響いていたんだろう。廊下を反響して遠くまで響いてたら、すごくイヤ。


「いえ? 外で待っていたら、かすかに鳴き声みたいなのが聞こえてきたから。見られたら恥ずかしいかもしれないけど、やっぱりほっとけなくて」

「外で待ってた?」

「うん、外で、立って待ってたの。呼んでもらえたら、すぐ入るつもりで」


 おい、おいおいおい!

 どういうことだ、座ることすらしないで、立って待っていた!?

 平然としているイノリアに、俺は愕然とする。

 つまり俺は、イノリアを、ずーっと部屋の外に棒立ちにさせてたってことじゃないか!


「侍女って、そういうお仕事よ? 立ち仕事には慣れてるわ」


 そういうお仕事って……そんな簡単に割り切れねえよ! 俺はこうやってベッドに寝っ転がってて、それでイノリアだけ一人で立たせて待たせる!?

 いくらなんでも男として──人としてダメだろ!


「ヨシくんって、変なところにこだわるね? 言っちゃえば私、ヨシくんに仕える使用人、要するに、ヨシくんが何かしたいと思ったら代わりに動く、雑用係だよ?」


 雑用係──その言葉が、俺はなんだか気になった。雑用、つまり大したことでない用事。まるで、あってもなくても変わらないような──。


「自分で自分を雑用係っていうなよ。それじゃまるで、重要じゃないみたいじゃないか」

「う~ん……そういうつもりで言ってるんじゃないんだけど……」


 イノリアは人差し指でこめかみを掻きながら苦笑していたが、その笑いを引っ込めると、俺のほうに肩を寄せてきた。


「……だけど、私のことを大切にしようとしてくれてる気持ちが伝わってくるのは、ちょっと、嬉しいかな?」


 ──なんか、いい香りがする。香水だろうか、ほんのりと甘い感じがする香り。

 女の子とこんな近くで肩を並べて座るなんて。


「どうしたの?」


 唐突に顔を覗き込まれるようにされて、俺は思わず身を引いてしまった。女の子の首筋の香りをかいでいたなんて知られたら、どんな目をされるか。

 

「あ……いや、その……。いい、香りだなって」

「ヨシくんも気に入ってくれたの? うれしい、この香り、家のツツジの花から自分でオイルを取って作ったの。本当は香水なんて買えたらいいんだけど……」


 少し、顔が曇る。


「いや、すごいと思うよ? 第一、イノリアは自分で庭の花の世話をしてるじゃないか。それだけでもすごいのに、自分でアロマオイルを作ったってことだろ? 実際、すごいと思う」


 曇らせたままにしたくなくて、一生懸命、その努力を称賛する。

 ──が、慣れないことはするもんじゃなかった。


「……ヨシくん、その……ええとね? 私のことを知ってるのはすごいんだけど、どうして私が庭の手入れをしてるって、知ってるの? ヨシくん、私のこと、どこまで知ってるの?」


 急いては事を仕損ずる!

 慌てる乞食は貰いが少ない!

 そうだよ、今言うのは不自然すぎた!!


「い、いやその、以前、門の外から見たことがあって──」

「……一応、貴族の子女としては、はしたないことだから……だから、見えないところでやってたつもりなんだけど……いつ見たの?」

「いっ……!? いや、いつ、だったかな。つい、最近のような気もするし、いや──ええと……」


 イノリアの目が冷たい……気がする。

 なんか、すこし、肩を浮かせたような気がするのは……絶対気のせいじゃない。


「……ヨシくん、あんまり言いたくないけど、女の子の行動をじろじろ監視するようなまねをする人、私、好きになれないよ?」


 特大級の釘で心臓を撃ち抜かれたかのようなこの衝撃。

 確かラインヴァルトのお茶会でも、ラインヴァルトに対して言ってたよ、この『好きじゃない』ってやつ!

 これって、たぶん『嫌い』をちょっとだけオブラートに包んだ言葉ってやつだ!!


「ご、ごめん……」

「ごめん、ってことは、つまり、家をのぞいてたことを認めるのね?」


 今さら違う、なんて言えない。夢でデートしたから知ってるんだよ、なんて、もっと言えない。


「……ごめん」

「そっか、認めるんだ……」


 そっけない返事に、胸が抉られるような痛みを覚える。

 俺、イノリアを笑顔にしたくてこの世界に飛び込んでたつもりなのに、ことごとく逆効果なのはなんでなんだ、……くそっ。


「……ふふっ」


 イノリアが、小さく笑う。


「嬉しいな……」

「……え?」


 イノリアが言った言葉の意味が分からず、ぽかんとしていると、イノリアはうつむいて続けた。


「──私の王子さまは、私のこと、私の知らないうちから見ててくれたんだ……」


 今の、言葉は?

 言葉の意味は分かるのに、意味がつかめない。

 聞き直したが、イノリアは「ふふ、知らない」と、答えてはくれなかった。


 ──ああもう、くそっ!

 胸を張って、堂々としていて、でもって可愛い、イノリア──!

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