第39話:この微笑みのために、俺は、今まで。
「──うわああああっっっ!!!」
思い出した、思い出した、思い出した……!
尋問とかいう名前の拷問を!!
あの、指と爪の間に入ってくる、おぞましい針の激痛を──!!
『これは単純な方法なんだけどね? 人間の指先というのは、とても敏感なのだそうだよ。ヨシマサ君、君が素直にさっさと話してくれると、私としてもこんなことをしないで済むから楽なんだけどね……?』
急に左の指先に、あの爪と指の間を割り裂くように侵入してくる針の感触がよみがえってくる!
今はもう、その時ほどの痛みなんてないはずなのに、左の人差し指、中指、そして薬指に、
イノリアが見ている前で無様を晒したくない……!
背を丸め、膝を抱えるようにして必死に左の指を掴み、襲ってくる痛み、不快感に耐える。
「よ、ヨシマサ様……!?」
驚き背中をさするイノリアに、俺は慌てて深呼吸をくり返し、落ち着いてみせる。
「──ごめん。ちょっと、いろいろ思い出してさ……? あ、ああ、でも、もう大丈夫……落ち着いたから」
「あの……先ほどは、本当にありがとうございました」
とびきりの笑顔で、礼を言った。
──ああ、さっきの助けたアレか。
ホント死ぬかと思ったけど、なんとかうまく助けることができてよかった。
「ふふ、窓をばあーんって、ご自身も顧みず悪党をやっつけて、助けてくださって……!
物語の、王子様かと思いました、ヨシマサ様のこと。私、下級貴族ですし、そんなのあり得ないって分かってますから、余計に……」
「下級って言ったって貴族だろ? 王子様と会うことくらい……」
「助けていただけること、ですよ? 誇りのために、誰かを守るための捨て石にはなっても、誰かに守ってもらえる、助けてもらえるなんて、夢物語以外にあり得ない立場ですから」
そんな馬鹿な。いくら何でも貴族なんだろう? 守られないなんてそんなこと、あるのだろうか。
するとイノリアは、わずかに首を振って、そして、小さく笑った。
「貴族だからこそ、ですよ?」
そう言って、ベッドの端に腰掛ける。
「貴族だからこそ、いざという時には、王家のために命を捧げるんです。そのために、我が家は王家から禄をいただいているのですから」
「でも、だからって──」
「だから、とても、うれしかったんですよ? ヨシマサ様が、私の王子様みたいで」
王子様って。そんな大げさな。
そう言うと、イノリアは大きく首を振った。
「ヨシマサ様は、ご謙遜が過ぎます。頬にナイフを突きつけられて、刺されて……。
もう、死ぬんだって思っていた私を、恐れず助けてくださったあの時の私の気持ち……分かって、いただけますか?」
くすぐったい。
すごくくすぐったい。そういう褒められ方、ものすごくかゆくなる感じがする。
第一、その頬に貼られた絆創膏。それは、彼女を無事に守りきることができなかった証拠でもある。もっとうまくやる方法はなかったのか、それがすごく、残念だ。
それに、イノリアから「様」付けで呼ばれるのも、違和感がハンパない。
「……あのさ、俺のことは『様』、なんて呼ばなくていいから。イノリアにそんな呼び方されると、違和感があって……」
俺の言葉に、イノリアが真っ青になる。
「違和感、ですか? ……申し訳ございません、お許しください!
私、ヨシマサ様になにか、無礼を働いてしまったのでしょうか……?」
ああ、どんどん声がか細くなっていく。
違う違う、違うんだ。
「そうじゃなくて。『様』をつけられるのに、慣れてないんだよ。どうせなら……」
どうせ、呼ばれるなら。
──イノリアが、呼んでくれた、名前。
そう、イノリアが呼んでくれるなら、一つしかない。
「──『ヨシくん』、って呼んでくれたら、嬉しいな」
目を真ん丸にして俺を見つめる。
この綺麗な顔が、大きく目を見開いて言葉を失う様子を、逆にこんなに間近で見つめることができるなんて、滅多にないチャンスだろう。
「そ、そんな呼び方、できません!」
うろたえるイノリアに、俺はがんばって笑顔を見せる。
「俺がそう呼んでほしくてさ。『様』なんか付けるよりも、そのほうが嬉しい。……ダメかな」
「で、でも、……その、私がそのような呼び方をさせていただくわけには……」
──違和感の正体がやっとわかった。
イノリア、ずっと、俺に敬語なんだ。
そういえばイノリアは、丁寧な話し方はしてたかもしれないけど、俺に敬語を使っていなかった。
王女様──ルティによれば、俺はルティの個人的な食客って扱いで、王国にとってのお客さん扱いだったから、イノリアよりもずっと身分上の扱いは上で、だから釣り合いの取れないカップルだって話だった。
だけど、それでもイノリアは、俺に対して敬語を使っていなかった。
多分、俺の仕業だ。
俺が、敬語をやめさせたんだ。
自分が
タイムトラベルものの話の主人公の苦労が、ちょっと分かった気がする。
「イノリア。いっそ、俺に敬語を使うのをやめてくれないか?」
「─――─!?」
なぜか挙動不審になる。
立ち上がると、身だしなみを気にするようにエプロンの裾を払い、すがるような目で訴える。
「あ、あの……私の所作が、見苦しかったということでしょうか? それとも、やはりなにか粗相をいたしてしまったと──」
「だ、だから違うって!」
「では──」
「俺ね、仲良くなった子から敬語使われるの、すげえ嫌なんだ。敬語使われると、なんか壁っつーのか、距離っつーのか……。とにかく嫌なんだよ、せっかく仲良くなったのに」
しばらく、両手の指を胸のあたりで組んだままのポーズで、イノリアが固まっていた。
「……あ、あの?」
やっとのことで絞り出した言葉がそれらしい。目がちらちら、俺を見てはあちこちに視線が飛ぶ、それを繰り返し続ける。
「仲良く……ですか?」
「違った? あんなことのあとっていうのが気が引けるけどさ、少しは仲良くなれたと思ってたんだけど」
イノリアの表情が、ちょっと曇る。
しまった、まだちょっと早かったか。
「──ごめん、俺の勘違い。キモいこと言った、忘れて」
さすがに今のはカッコ悪かった。
クソ王子も似たようなこと言ってたけど、さすがに今日会ったばっかの奴から言われることとしては、かなりキモい部類に入るだろう。
せめてもう少し、時間が必要だったよな。マズった。
そう、思った。
だから、頬にふわっと触れた柔らかな感触の意味が、最初、分からなかった。
「強引、なんですから──」
「……いま、──え?」
隣に座り直したイノリアが、どこか遠くを見るように言う。
「思えば、……ヨシマサ様――えっと、
そしてこちらを向くと、「ね?」と、頬同士が触れそうな位置で、微笑んでみせた。
「ほんとに、ヨシくんって、呼んじゃいますよ?」
「もう呼んだだろ?」
言ってみせてから呼んじゃうよって、順番逆だろ。いや、べつにいいんだけど。
「まあ、そんな感じで頼む。イノリアに『様』とか敬語とか言われると、堅っ苦しくてさ。仲良くなった気になれないんだ」
俺の言葉に、イノリアは「そう……」と、つぶやいた。
「ふふ……。ヨシくんと私、
そう言ってうつむく。両手で、頬を押さえるようにして。
ふふっ、という小さな笑いが漏れてくるのが、可愛い。
「ヨシマサさ──ヨシくんてね? ……実はひょっとして、女の子の扱いが上手だったりするのかな? 恋人さん、あちこちの街に何人もいたりする?」
そんなわけない。見ればわかるだろ。もしそうだったら倉木なんかとつるんでないで、彼女のところに一直線だ。
俺の言葉に、イノリアは、いたずらっぽく、けれど、本当に嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「だって、女の子を最初から愛称で呼ぶなんて、普通じゃないもの。ヨシくんにとっての特別……っていうか。
──ヨシくんは、前から私のことを知ってたの?」
ああ。
この、微笑み。
「──知らなかった。けど──」
「けど?」
この微笑みのために、俺は、今まで。
「──けど、ずっと、知ってた」
「なあに、それ? なぞなぞ?」
──今まで君を、追いかけてきたんだ。
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