第36話:夢でなきゃ絶対できなかったぞ

「ふむ。ヨシマサというのか、君は」


 王太子ネクターバレン。いずれ王位を継ぎ、この国を統べることになる、らしい。

 両隣にはそれぞれヒゲがおしゃれのつもりらしい騎士団長と、俺のことなんてはなっから興味がなさそうなラインヴァルトが並んで座っている。


 やたらと苦い茶に顔をしかめそうになりながら、それでも茶をすする。

 イノリアは緊張のあまりか、カチンカチンに固まっていて、さっき王太子に堂々と意見した人物とは思えない。一方でオルテンシーナの方はというと、一見落ち着いているようでいて、俺をふん縛ってここまで連れてきた兄の対処に納得いかぬところでもあるのか、妙に目つきが厳しい。


「それで、聞きたいことがあるんだけどね? ──君はなぜ、あの場に居たんだい?」

「我の食客だからに決まっておろう!」

「妹よ。君には聞いていない。私は、このヨシマサとやらと話をしている」


 あっさりと黙らされるオルテンシーナ。この圧倒的な立場の差。逆らったらどうなるんだろう。


 なぜあの場に居たのか。


 ──説明が難しいな。

 そもそもなんで俺があんな所にいたのか自体が説明できない。

 夢だから、としか言いようがない。


 今回の夢では、気が付いたら屋根を走っていた。

 不思議な感覚だった。



  ▲ △ ▲ △ ▲



 屋根と屋根の間──地面まで十メートル、幅は二メートルはありそうなその絶壁を、何のためらいもなく飛び越える。三メートルくらいの落差を平気で飛び降り、三角の屋根のてっぺんの細い通路のような場所をひた走り、突き出す煙突を飛び越える。


 ちょっとでも足を踏み外したら死ぬ、そんな場所を走っているのに、まるで恐怖感がない。アクションゲームでもプレーしているような感覚。マジでアサシンクリードだ。

 どこに向かっているのか分からないのに、に向かわねばならないことは分かる。


 大して時間もかからず、バルコニーをやや見下ろす場所に立った俺は、背中に背負っていたボウガンみたいなやつを手に取り、そいつに、ロープを付けた矢をセットする。ボウガンの弓を、てこみたいな道具でセットすると、バルコニーの上のに向けて矢を発射。見事にひさしに矢が当たり、しっかりと食い込んだのを確認して──

 そして、気が付いた。


 ──俺、何やってんの?


 今にも飛び込もうとしていた自分に、必死にブレーキを掛ける。

 ちょっと待て、俺、今、何やってんの!?

 思い出したら恐怖でしかない、あの細い足場を駆け抜けてきた、今までの自分。

 自分の動きをまるでテレビを通してみているかのような、あの不思議な感覚。


 ──そうか、夢なんだから、怖いとさえ思わなければ!


 ロープを落としてしまわないように気を付けつつ、改めて今回、自分が持ち込んだものを確認する。


 ミネラルウォーターの小さいボトル、袋詰めチョコレート、スマホ、コンパス、カッターナイフ、カード型マルチツール、タオル、ハンカチ、絆創膏何枚か、ガムテープ、そして夢日記を詰め込んだボディバッグ。

 中身もOK、やっぱり体に直接密着させたものは持ち込めた、これは大きい。


 服装はジャージ、ウインドブレーカー、トレーニングシューズ。頭にはキャップ。首にヘッドランプをかけ、手には指ぬきグローブ。膝には念のためのサポーター。


 そして今回、俺は自分が着込んだ服の上に、さらに厚手の布のようなもので出来た雨合羽みたいなものを羽織っていることに気づいた。いわゆるローブという奴だろうか。フードを目深にかぶり直してみると、ますますアサシンみたいな感じだ。

 いくら以前の夢で暗殺者か何かに間違えられたからって、開き直りすぎだろう、俺の夢。


 今、俺が夢心地にやった一連のことを考えれば、俺はこのあと、あのバルコニーに、ロープにしがみついて突入するんだろう。アレだ、これまではムービーシーンで、ここからゲーム本編が始まりますよー、みたいな。


 ──できるかっ!!


 だって、考えても見ろよ!

 ロープにぶら下がって、振り子のようにだぜ!?


 今ここから、建物の屋根の上から、ロープ掴んで飛び降りるんだぞ!?

 アスレチックのターザンロープ、要するにロープにぶら下がって振り子になるアレ。下にボールとか結び目とかがあって足を掛けることができるからできるんであって、体重に加速度が加わるその負荷を、手の力だけでロープにしがみつき続けるなんてどう考えても無理!!


 おまけに、中学時代に鬼ごっこしてたバカが廊下から突っ込んでガラス窓を突き破り、廊下を血の海にした惨劇を見たことがある。アレを、全身でやるんだぞ!? むり無理ムリ絶対に無理!!


 そう言いながら、震える指で大雑把に縄に結び目と縄を作り、捕まるところ、足を掛けるところをせっせと作るのが俺クオリティ。

 そのままのロープなら滑り落ちて、バルコニー下の壁の赤いしみにでもなるんだろうが、そうはいくか。

 大丈夫、足を掛けるところさえあればなんとかなる! なんたって、ルティが言ってたもんな、俺が、バルコニーからやって来たって。


 それに、こんなことしてまで飛び込まなきゃならないイベントが起きてるってことは、きっとルティやイノリアのピンチなんだよ!

 だから俺はできるし、やれる! さっきも高さ十メートルはありそうな家と家の隙間をジャンプして越えてきたりしたんだ、イケる! なんたって夢だしな!! リアルすぎて怖いだけで!!


 ガラスだって、ちゃんと背中から突っ込んだらきっと大丈夫! これ布みたいで布じゃないっぽいし、厚いし、絶対スプラッ太なことになんないよ!


 ……イヤ高いよ? ココ高いよ? マジで高いって!

 もしこのロープの先のあの矢がすっぽ抜けても俺死ぬし?

 矢が抜けなくてもあのが俺の体重+重力加速度に耐えられなきゃ壊れてやっぱり俺落ちて死ぬし?

 つま先に掛けた輪っかがほどけても足がすっぽ抜けても滑り落ちて俺死ぬし?

 イヤ死ぬってこんなん飛び降りたら絶対死ぬ死ぬ死ぬ!!


 ああもうちくしょう俺死ぬ死ぬ死んだはい死んだあぁぁぁあぁあああぁぁあああああ!!!!


「イぃぃノぉぉリぃぃアぁぁああぁぁぁぁああああああッッッ!!!!」



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



 ──よく俺、チビらなかったな。

 夢でなきゃ絶対できなかったぞ、あんなこと。

 夢でリハーサルしたから現実リアルでも?

 無理! 絶対無理!!

 あの風を切るタマひゅんな体験、二度とごめんだ!!

 夢であんだけ怖いなら、現実ははるかに怖いはず!!


「……なぜあの場に居たかって、そりゃ、あの場に居たかったからだよ」


 だいぶ考えてひねり出した答えは、多分、俺が王子様の立場だったら殴り倒したくなるものだったに違いない。

 王子様の隣に座っている、騎士団長っぽい髭の男の顔が、あからさまに怒りに歪むのが分かる。


「……ヨシマサ、そなた、死にたいのか?」


 隣に座ってくれている王女様の、お世辞にも愛がこもっているとは言いがたいため息が胸に痛い。

 でも、彼女が強引に「こやつを尋問するなら、当事者たる我も同席する」と割込み、イノリアもおっかなびっくりながらついてきてくれたから、四面楚歌にならずに済んでいる。


「なるほど。では質問を変えよう。

 君は宮殿の外から、バルコニーのガラス窓を破って侵入してきた。なるほど、急を要する事態に、手段など選んでいられなかったのだろう。その点に関しては不問としよう。

 ──では、んだい?」


 王子様はにこにこしたまま、質問を続ける。


 まあ、そりゃそうだよな。窓ガラスをぶち破って侵入してきたのはまあ、いいとして──よくねえけど──なんでそのタイミングなのかって話だろ?

 たまたま窓をぶち破って入りたくなるほど緊急事態だってことを、宮殿の外から察知しました、って、どんなエスパーだよ。


「──たまたまだよ」

「たまたま? ほう、それはすごい偶然だ。たまたま君はバルコニーの外にいて、そこから王女の危機を知って駆け付けた──いや、飛び込んだということか。君はたまたま、騎士団の宿舎の屋根にいたんだね? そんなところで、何をしていたんだい?」


 ──知らねえよ、こっちが知りてぇよ!!

 そう言いたかったが、逆切れしてもしょうがない。こんなとき、一体どうすればいいんだろうな?


 ──ああ、そうか、これは夢なんだ。多少、つじつまなんか合わせなくたって。


「……信じてもらえなくていいんだけど、なんとなくというか……今日みたいな夜、こんな月の晩に、王女様に危険が訪れるっていう、お告げみたいなカンが働いたんだよ。たまたまだ」


 ファンタジーなんだから、お告げとかそういうのを言えば、なんとなく通じてくれるかも。

 夢でなかったらこんな嘘八百、怖くて言えねえな。

 なんて思ったら、甘かった。


「き──貴様! 預言よげんの法術を使うというのか!?」


 ヒゲ団長が椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。

 ラインヴァルトも、ピクリと眉を動かすと初めて俺の方を見た。

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