第34話:可愛い可愛いオルテンシーナ
「イノリア……君が、無事でよかったよ……」
だが、俺のそんなやせ我慢など、彼女はやっぱりお見通しだった。
「お怪我をされていますよね、……少々、お待ちくださいね」
そう言うと、彼女はスカートをまくり上げる。
……え、なに? 何を──?
一瞬、何が始まるのかと思ったが、スカートの下には、薄手の布で出来た白いスカートを、さらにもう一枚、はいているようだった。そのスカートを、手にした大きなガラス片──おそらく、俺がぶち破ったバルコニーの窓のもの──で切り裂いて、細い布きれ──包帯を作ってゆく。
「え……? い、いいの?」
おっかなびっくり問う俺に、彼女は、自分の左頬の傷も構わずに微笑んだ。
「パニエなら、殿方の目には触れませんから」
その、つけられたばかりの痛々しい左頬の傷をものともせずに微笑んで見せる彼女の、栗色の髪。
印象的な、碧がかった青い瞳。
──ああ、イノリア。君は──
「──イノリア、君はなんで、こんなところに……?」
俺の問いに、彼女は戸惑いながら答えた。
「え……? あ、いえ、あの……私は、王女殿下付の侍女でございますので……」
そして、「失礼します」と一言おいて俺の腰に即席の包帯を巻きつけてゆく。
たちまち白い布は赤く染まっていくが、血止めの役には立つのだろう。
しかし、俺の傷もそうだが、彼女の頬の傷のほうが俺は気になる。
傷跡が箔になるような戦士ならともかく、彼女は女性で、しかもオルテンシーナに仕える侍女なのだ。傷跡が残ったりしたら、彼女の将来の傷にもつながるに決まっている。
──そうだ、ボディバッグ! 黒ずくめをす巻きにしたガムテープを入れておいた、ボディバッグ!
この中に、絆創膏を入れといたんだ! 湿式療法のキズパワーパッド! 早く綺麗に治るって評判のやつ!
かなり大きめの奴を入れておいたから、きっと役に立つはずだ。
「イノリア、ちょっと待ってろ。いま、ほっぺの傷をなんとかするから」
そう言って俺は、上着をまくり上げる。
なぜかイノリアが悲鳴を上げて目を覆うが、気にしていられない。
前回の夢では、ボディバッグを夢に持ち込むことはできなかった。ポケットの中身も持ち込めなかったから、体に密着していれば持ち込めるのではないかと考えて、今回はボディバッグを直接身に着けたその上から、服を着てみたのである。
これが大正解だった。バッグの中身も、ちゃんと持ち込めた。これは、今後夢を楽しむための大発見かもしれない。それにしても、どうせだったら、さっきの黒ずくめが投げつけてきたナニかは、このボディバッグに当たってればよかったのに!
ボディバッグの中から、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。携帯性を重視して、小さめのボトルを選んで正解だった。これが五〇〇ミリリットルのボトルだったら、重くて、先の戦いでドジ踏んでいたかもしれない。
彼女に頬を洗うからひざまずくように言い、ペットボトルを開封すると、少しずつ水を流しながら、血で汚れたその頬を洗っていく。
すでに固まりかけの部分も多く、綺麗に洗うには少し時間がかかった。きっとしみただろうに、彼女は目をぎゅっと閉じていた以外は、声を漏らすこともなく、黙って従っていた。
この夢での彼女との関係がどんなものかは分からないが、きっと、俺に対する信頼がそれなりにあるんだろう。
最後はウェットティッシュでふき取り、ハンカチで
傷は意外に大きくなくてよかった。ただ、刃物で裂けた傷はやっぱりそれなりに深いし、固まりかけた血を洗ってしまうと、じんわりと血がにじんでくる。
「これ、傷が治るまで、はがさなくていいヤツだから」
そう言って、
う~ん、彼女の白い肌に肌色の楕円形は結構目立つし、いずれ白く膨れて見栄えも悪くなるけど、コイツは傷跡を残しにくく、かつ早く治る、ちょっとお高い高性能な絆創膏だ。そこは我慢してもらうしかない。
「イノリア、ほかに怪我したとことかはない?」
馬鹿に目を真ん丸くしてぶんぶん首を振り、──それが礼儀になってないと思ったのか立ち上がると、なんと片膝をつくようにして俺に頭を下げた。
「申し訳ございません。先ほどは暴漢から身を挺して救っていただけたばかりか、けがの治療までしていただいて。オルテンシーナ王女殿下が侍女アイノライアーナ、感謝の言葉もございません」
とても丁寧な言葉遣いや仕草に、彼女の生真面目さを感じる。でも、なんだか他人行儀っぽくも感じる。
「い、いや、イノリア、そこまで──」
「そこな男!」
突然、会話に割り込んでくる甲高い声。
──ああ、しまった。すっかり忘れてた。
「さきほどから我には見舞いの一言も無しでありながら、イノリア、イノリアと! 我を差し置いて我が侍女を口説くとはいい度胸をしておるな! 状況を説明せよ!」
──うん、オルテンシーナだ。あの、打ち解ける前の。
「あー、はいはい。状況って言っても俺もよくわかんないです。それより、可愛い可愛いルティちゃん、痛いところはないですかー?」
面倒くさくていい加減にあしらうと、オルテンシーナは目を丸くした。次いで顔を真っ赤にして怒り出す。
「だっ……だれが可愛いだ! そなた、我を馬鹿にしておろう! 何が可愛い可愛いだ、よくも我を、可愛いなどと愚弄……愚弄?」
小首をかしげるオルテンシーナ。
「可愛い──愚弄……よな? 美しいでも艶やかでも見目麗しいでもない……?」
生意気な金髪ドリルだが、こういう仕草は小動物的で、正直、可愛いと思う。小生意気な妹、みたいな感じだろうか。
「……というより、そなた、今、ルティとか呼んだな? ルティとは……まさか、まさか我のことではあるまいな!?」
あ、しまった。この時間軸のオルテンシーナは、まだルティってニックネームつけてないんだっけ。
「可愛い可愛いオルテンシーナの気のせいだな。聞き間違える姫様はホントに可愛いね」
「だから!
「
「こっ──」
言いかけたオルテンシーナは、それまで地団駄でも踏むような勢いだったのが、目を丸くして両手で口元を覆い、絶句する。
「──国華……そなた今、我を国華と、そう言うたな?」
「言ったよ、可愛い可愛いオルテンシーナ」
「そなた……国華の意味、もちろん分かって言っておろうな?」
「もちろん」
知らない。知らないが、以前、ルティが自称していたからな。美人とか、そういう意味だろ?
すると、それまで大騒ぎしていたオルテンシーナは両手で頬を押さえてうつむき、なにやらぶつぶつと言い始める。
「我を、国華……? 意味を知っていてなど……。我は、そんなに……? じゃあ、可愛いは、……かわいい……?」
「そうやって恥じらってる姿も可愛いよ、可愛い可愛いオルテンシーナ」
現実でこれだけ可愛いを連呼する奴がいたら、相当痛いカップルなんだろな。バカップルの称号不可避だろ。
しかし、今の俺の言葉に、彼女は何かハッとしたように顔を上げる。
「……しょ、初対面の、それも貧相な男に呼び捨てられるほど、我は落ちぶれておらぬわ! ふ、不敬者め!」
再び怒り出したようにも見えるが、しかしどうにも可愛らしく見えてしまう。
たぶん、普段は威厳とかあるんだろう。実際、あのサロンでも、庭園でも、年齢不相応な雰囲気、怖さを感じた瞬間があったりもした。
けど、いったんペースが崩れると、どうにも立て直しが難しいみたいだ。
……ダメだ、やっぱりなんか、可愛い。アレだ、背伸びをして威張っているような微笑ましい感じといったら、伝わるだろうか。
きっとお姫様ってのは、いろいろ回りくどくて長ったらしい褒め言葉には大勢があるんだろうけど、ストレートに可愛いって言われるのには、慣れてないんだろうな。初々しくて、マジで可愛く思えてくる。
「あー、はいはい。黒ずくめにとらわれてた可愛い可愛いオルテンシーナちゃんを助けたのは、俺だよな?」
「ふ、ふざけるでないわ! そなたでなくとも、いずれ我が親衛隊が駆け付けて、我を救ったであろう!」
「間に合ってなさそうだけどな」
こんな会話をのほほんとしていられる時間があるというのに、その自慢の親衛隊はいまだに来る気配がない。
俺が三人をぶち転がしたうえでこんなに時間がかかっているようでは、もし俺がいなかったら、オルテンシーナは今頃、とっくに城外に拉致完了だったんじゃないかな?
「ううう、うるさい!
──というかそなた、その暴漢を我もろとも薙ぎ払いおって! 我が怪我でもしておったらどうするつもりだったのだ!」
「そのときはおんぶでもだっこでもして、保健室にでも連れてってやるよ。可愛い可愛いオルテンシーナ殿下」
「だ、だっこ……
ええい、だからいちいち、可愛い可愛いをつけるでないわ! そなた、我のことをなんだと……」
「国華たる可愛い可愛いオルテンシーナ殿下。そうやって、ほっぺた押さえて首振ってる姿もマジ可愛い」
「や、やめよと言うに……!」
そうやってオルテンシーナをからかっていると、悲鳴が聞こえてきた。
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