第33話:ああ俺無双、素晴らしきかな夢世界!
まさか、人質ごとぶん殴るなんて、思わなかったんだろう。しかも、この国の王女殿下ごと、だ。
あの瞬間の、驚愕の表情を並べる二人はなかなか面白かった。
ところがどっこい、こいつは夢だ。これがイノリアならともかく、そこにいるのは金髪ドリル。あの甘えっ子なら多少の無茶でも平気だろう。テロリストは妥協することなくぶっとばす。必要なら人質ごと。それが自己責任。
ああ、なんて便利な言葉だ、自己責任!!
「──わ、われを誰と心得る、この無礼者!」
地面に転がり半泣きでわめくオルテンシーナに、「泣き言を言えるうちなら大丈夫!」と言い捨て、腕を押さえた黒ずくめの胸に、全力で突きをぶちかます。よろけたところで今度は腹を突き、倒れたところで再び全力の金的。
悶絶しているところをもう一発蹴り飛ばすと、ピクピク身をよじりつつ、うごかなくなる。
ざまあみろ! 人質を取るような悪役にふさわしい無様さだ。
ついでに逃がさないように、まだもじもじ悶えている黒ずくめを拘束すべく、夢の世界に持ち込んだ布ガムテープをボディバッグから取り出し、足と手をぐるぐる巻きに縛る。
ああ俺無双、素晴らしきかな夢世界!
思った通りにはならなくても、ただの高校生がテロリストに勝てる! 恐怖もクソもなくハチャメチャできるって、すっげえ気持ちいい!!
そのとき、背後から悲鳴が聞こえた。
聞こえた先に顔を向けると、ヘッドランプに照らされて、一人の女が黒ずくめに羽交い絞めにされている。
ああもう、なんでこういう時に限ってこういうマヌケな女がいるんだよ、バッカやろッ!
「アイ──」
「動いたり騒いだりしたらこの女を殺す!」
オルテンシーナの悲鳴に、即座に黒ずくめが反応する。
手の中の、ギラリと光るナイフをこちらに見せつけるように、女を羽交い絞めにする。
聞いたことがあるぞ。
人質というのは、相手を足止めできるその一点に価値がある。
だから、殺してしまうのは意味がない。追撃側は遠慮なく攻撃できるようになるからだ。
人質が動けなくなるほど傷つけるのもNGだ。自分が逃げるときの足手まといになるからだ。
だからこういうとき、人質を取る側は、よほどのことがない限り、
「動くな……女の命が惜しくないのか」
だが、男は女性の頬にナイフを押し当て、こちらを威嚇する。
大きく目を見開いて、硬直する、女性。
逃がすものか。
どうせ人質にした女性を無傷で開放する気もあるわけがないし。
じりじりと間合いを詰めると、黒ずくめは女の背筋をそらすように拘束を強めた。
「ほう? 女がどうなってもいいというのか?」
──くそっ、めんどくさいシチュエーションだ。女を無傷で開放できたらミッションコンプリート、傷つけたらペナルティありクリア、死なせたら……言わずもがな、だ。
だが、ゲームじゃあるまいし。トロフィーとか追加アイテムゲットとかがあるわけじゃない。
多少のケガくらいなら目をつぶって──
そう思って踏み出そうとした、その時だった。
彼女が発した細い声に、俺は、今さら気づき、そして、驚いた。
「は……放しなさい!」
後ろから羽交い絞めにされ、ナイフを頬に押し当てられてなお、凛とした、その声、その姿。
栗色の髪をした、その女性は。
その彼女に、黒ずくめはさらにナイフを押し付ける。
「騒ぐと、口が醜く大きく開くようになるぞ?」
言いながら、黒ずくめは、女の頬で、ナイフを滑らせる。
赤黒い液体がつう、と滴る。
──やりやがった!
もう絶対にコイツを逃がすわけにはいかない。第一、逃がせば絶対にロクでもないことになるに決まってる。
女の子の顔に傷をつけやがって、だからこそなおさらここで逃がすわけにいくものか。
ああ、彼女の顔を傷つけた、その一点だけで万死に値する!!
でも、どうする? このままじゃじりじりと逃げられる。
この状態で殴り掛かっても、彼女の傷をさらに増やすばかりだ。
どうすればいい? せめて、気をそらすことができれば……!
……よし!
「ラインヴァルト! ラインヴァルトじゃないか! 来てくれたんだな! こっちだラインヴァルト!」
面白いほどに、二人そろって俺が見た方を見る。
──やっぱりかかった!
一気に駆け出す。専門は長距離走だとはいっても、中高で鍛えた陸上部員の加速力を舐めんなよ!!
「動くな! 本当に殺──」
最後まで言わせなかった。
走るだけなら大得意だ。そのために今日も
ヘッドランプの強力な明かりは、この暗い部屋ではまさに武器だった。
一気に部屋を駆け抜け、一気にぶん殴りにかかる!
黒ずくめは彼女を引き寄せつつ、ナイフを彼女から離し、器用にもナイフを持ったまま俺に向かって何かを投げる! ──この暗い中、当たるもんかよ!
そう思った瞬間、左の腰骨に、トン、と何かが当たるような感触が走る。
妙な違和感は、しかし、瞬時に怒りに変換される。
「んなろッッ!!」
逃げようとするそいつの肩めがけて。
「イノリアぁぁああッ! しゃがめえええッ!!」
──木刀を袈裟懸けに振り下ろす!
反射的にだろう、身をかがめてくれて助かった。そのまま黒ずくめの左の肩を思いっきりぶん殴る!
ゲームとかだとバッサリと振り切るのだろうが、あいにくこのリアルな夢では、ぼぐ、という音と共に木刀は相手の肩で止まる。そのまま左わき腹のほうに木刀を引くと、よろける黒ずくめに、どこともいわずに一気に木刀を突き出す!
微妙に硬い衝撃とともに、木刀の先端は奴の左の脇腹かどこかにめり込んだようだ。バランスを崩した黒ずくめは、彼女を俺に向かって突き飛ばす。
彼女を抱きとめた拍子に、鼻腔をくすぐる甘い香り。おそらく、彼女の香水の香り。
ずっとこのまま抱きしめていたい──が、そういうわけにもいかない。格闘ゲームみたいなヒットストップも、映画みたいなスローモーションもない。この時間が、奴の逃亡の貴重な時間稼ぎになってしまう。
もう一瞬だけ──
イノリアのうなじから漂う甘い香りを味わった俺は、「後で!」と叫ぶと、彼女を放し──奴に向かって再度突進する!
『斬るのと突くのとどっちが強いと思う?』
『正解は突きだ。攻撃判定の発生が二フレーム速い』
『リアルでも突きだぞ。攻撃判定発生が速いのはリアルも一緒だし、リーチはあるし、まっすぐ突き出すだけで大ダメージだ。
しかも線の攻撃の斬撃は防ぎやすいけど、点の攻撃である突きは、防ぎにくいんだぜ?』
倉木の言葉がなかったら、俺は、もしかしたら、奴の繰り出したナイフの一撃を食らっていたかもしれない。
木刀のリーチは偉大だった。
素人が、間合いの取りづらい唐竹割などの斬撃を狙おうものなら、がら空きの懐を狙われていたのだろう。
ずぐっ、という感じの、肉をえぐるような、嫌な感触。
腹を抱えるような体勢で倒れたそいつをさらに数発ぶん殴ったうえで、金的キック猛連打。動かなくなったところで、そいつの足と手もガムテープでぐるぐる巻きにする。
「……ふう、はあ……ざまあみろッ!」
荒い息をつきながら、俺はその場にへたり込んだ。布ガムテープってつえぇ。簡単に縛れるし、そのあとはもう芋虫状態だ。しばらく黒ずくめは体をよじらせていたが、ガムテープはびくともしない。
──勝った!
そう思って床に手をついた時、左の腰の下あたりの床が、ぬるりと滑ったことに気づく。
もう一度触ってみて、確かにヌルヌルするのに気づき、次いで腰のあたりに手を触れてみて、初めて、ぞわりとする痛みが左腰に走った。
見ると、グレーのウインドブレーカーの上着の裾、その一部が、赤黒いナニかを吸い込んだように変色している。
──さっきのアレか!?
意識をすると、とたんに脈動に合わせてずくん、ずくんと痛みだす。
……え? ちょっとこれ、マジで痛い……痛いんだけど!!
うわ気づくんじゃなかったよ、やべえヌルヌルする、え、ちょっと、血を止めるってどうやるんだっけ!?
ズボンをずらして痛む場所を確認すると、腰骨のあたりで、大きくはないが深くパックリ裂けている赤黒い傷口と、開いた拍子に噴き出す血をモロに見てしまい、気が遠くなりかける。
しまった、せめてヘッドランプ切っとくんだった。
やべえ、血ってマジでグロい……!!
クラっときて床に体を丸める。人間、気づかなきゃ気づかない、なんていうけど、マジだった。
もしこの痛みを、あの瞬間に味わってたら、あの黒ずくめをブチのめすなんて、絶対できなかっただろう。
痛む傷口を手で押さえて背中を丸めるが、痛みはずぐん、ずぐんと、どんどん大きくなるようだ。
血も、止まってるのかどうかよく分からない。怖い、見たくもない、だけど……
「ご無事、ですか!?」
声がした方を見上げると──
ああ。
痛いだろうに。
顔の傷は、ただでさえ開きやすくて、出血しやすくて。
──でも。
左腰を押さえつつ腰の痛みを我慢して、歯を食いしばりながら、無理矢理、笑顔を作る。
「イノリア……君が、無事でよかったよ……」
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