第31話:イノリアと二人で自撮りしたスマホには

 確かに、俺は、スマホで写真を撮ったはずだった。

 インカメラで、自分たちの様子が見えるように取ったのだから、間違いない。


「……当たり前だよな。夢の中で撮った写真が、現実リアルのデータに残ってるわけないし」


 俺は、当たり前すぎる結果にがっかりしながら、スマホの電源ボタンを押す。画面は真っ暗になり、待機モードに入った。


 起きた時刻は八時二十三分。

 ぼーっとした頭で、今日は何曜日だったかをスマホで確かめ、「月」の字を見て何曜日だったかと首を傾げ、そして衝撃のあまり全力で布団を跳ね飛ばしたあと、もうどうしようもない時間であることに気づいてゆっくりと身支度を始める。


 おそらく母さんは俺を起こそうとしたのだろう。もしかしたら、生返事くらいはしたのかもしれない。

 だが、母さんも仕事がある。そのうち起きることを願って、仕事のほうに行ったに違いない。

 俺も、どうして起こしてくれなかったなどとガキくさいことを言う気はない。

 遅刻なんて親のせいじゃない、俺のせいだからだ。


 今さら慌てたところでもうそろそろ一限目も始まる時刻。遅刻がどうとか、そういうレベルじゃない。寝汗がひどかったので、軽くシャワーを浴びてから着替えることにする。


 ベッドから出て、自分の恰好に驚いた。そして、ああ、そうだったと思いだした。


 ウインドブレーカーにジャージ。陸上用のトレーニングシューズ。およそ、寝るとは思えない格好で寝ていた自分。

 夢の検証をするために、靴の裏は入念に泥を落としたうえで靴を履いて寝る俺。我ながら馬鹿なことをしたと思う。


 シャワーを浴びて濡れた髪をバスタオルで拭きながら部屋に戻ってきた俺は、昨夜掴んで寝たはずのペットボトルを冷蔵庫に戻すために探した。


「……おかしいなあ、たしかに持って寝たんだけどな」


 寝汗もひどかったし、ペットボトルを探すついでに湿気った布団を干す意味も兼ねて、布団を一気にはいでみた。


「……え? なんだこれ?」




「──で、デートから覚めたくなくて寝坊したってわけか?」


 昼飯の時間。

 倉木が半眼で、うらめしげに絡んで来た。


「いいよなヨッシーは。夢でデートできてよ。俺の嫁たちなんか、シャイなのか全然夢に出てきてくれねえってのに」

「覚めたくなくて、はちげえよ。夢見すぎて寝坊したかもしれねえのは事実だけどさ」

「お前さあ、マジで夢にハマりすぎじゃね。そのうち夢から帰ってこれなくなるかもよ?」


 倉木がサンドイッチをかじりつつ、古びたコインを眺める。


「そーいうホラーはマジかんべんしてくれ、今シャレになってねえんだから」


 俺はコロッケサンドを食いながら、倉木が今眺めているコインを、一緒に見ている。

 ──今朝、俺のベッドにあったコインだ。


「で、どこのスロットのやつ?」

「俺は健全な男子高校生だっての。そんなもんやらねえよ」

「じゃあ、どこのゲーセンのコイン? 俺が百倍以上にしてやるぞ」

「だから違うって」


 イノリアと二人で自撮りした写真は、当然だがスマホには残っていなかった。

 あの、スマホの画面に自分が写っていることに驚き、写真を撮ってそれがスマホのほうに映り続けていることに驚き、恥じらい照れた顔を恥ずかしがって消してほしいと必死にお願いし、永遠に残るんだと冗談を言ったら、ヨシくんとの肖像画が永遠に残るんだ、と今度は妙に嬉しそうにしていたイノリア。


 ──所詮は夢だった。

 それを実感した、スマホの写真データ。

 イノリアと二人で自撮りしたスマホには、そんな事実など無い、とでも言わんばかりに、そんな痕跡など残っていなかった。

 最新のデータは、布団の中で、うっかり触れて撮影してしまったのだろう。何も映っていない、真っ黒なデータが数枚あるだけだ。


 ──じゃあ、はいったい、

 朝、布団をまくり上げたとき、ベッドの真ん中あたり──手があったあたりに転がっていたコイン。


 誰かの横顔の肖像入りのコインがいくつもあったのだ。男性の横顔、女性の横顔。外国のお金っぽい。いくつかのバリエーションがある。

 どれも、ゲーセンのメダルゲームのメダルのようなピカピカの銀色とかではなく、くすんだ灰色というか、むしろ薄汚れて黒っぽくなった感じの、使い古されたコイン。大きさは百円玉ほどだろうか。


 倉木は、口ではメダルゲームのコインか何かだと言ったが、真剣な様子で、コインに浮き上がっている肖像を見つめている。


「──これさ、ひょっとして、本物なんじゃね?」

「本物?」


 おもわず聞き返してしまう。夢の世界から持ってきた、とでもいうのか。


「ほら、イギリスのエリザベス女王とかさ。欧米のカネって、王様の横顔をデザインしたりするじゃん?

 駅前の切手とか古いコインとか売ってる店あるの知ってるか? そこで聞いたら、いつ頃の、どこの国のコインか、分かるかもしれねえぞ?」


 ……そう言えば、そんなような店があったような気もする。


「──知って、どうするんだ?」

「どうせ、お前が道端のどっかで拾った外国のコインなんだから、これ持ち込んだ奴がどこの国の奴なのか分かって、面白いじゃん」

「だから、そんなもん拾った覚えなんてねえんだって!」

「じゃあ、お前が夢でどこの国に行ってたか分かるじゃん」

「夢だぞ夢。俺、寝てる間に外国にかっ飛んでって、でもって朝、家まで戻って来たっていうのか? 俺どんだけすげぇ夢遊病にかかってんだよ」

「夢がねえなあ。お前が夢の中で売っ払ったペットボトル、結局見つからなかったんだろ?」

「多分、床に転がっちまったのを、母さんがどっかに片づけたんだろ」


 俺が手にして寝たと思い込んでいた「お~いレモンCC」のペットボトルは、ベッドの中どころか、部屋のどこにもなかった。

 母が一度も起こしに来なかった、なんて訳がないから、多分、そういうことなんだと思う。


「でも、ええと、自撮り写真撮ったってのに写ってねえのはもったいねえなあ」

「夢の中の行動が現実リアルのスマホに反映されてたら、そっちのほうがこええよ! 俺、寝てる間に何やってたんだって話になっちまうじゃねえか」

「だから異世界に行ってたんだろ?」

「アニメじゃねえって!」


「で? 結局、金髪陰険野郎がどっか行ったあと、どうなったんだ? デートは続けたのか?」

「デートってか、市場をぶらぶらしただけだって」

「それを世の中じゃ『デート』っていうんだよリア充野郎」

「リアルじゃねえよ夢だよ」

「じゃあ夢充野郎。どっちにしても死刑な」

「ざっけんな」




「……ごめんね、嫌な思いさせちゃって」


 帰り道、しばらくの沈黙を破って、イノリアがぽつりと言った。


「嫌な思い?」

「だ、だって……。ラインヴァルトったら最近、変なの。昔はあんなんじゃなかったんだよ?」


 イノリアによれば、ラインヴァルトは、昔は誰にでも優しい──逆に言えば誰にも執着することのない人だったんだそうだ。


 家が子爵という、上級貴族の中では比較的手ごろな立場、そして三男。

 さらには、宮廷での最大派閥で最有力となる王太子派の、それも王太子ネクターバレンの信用厚い懐刀として名をはせる武勇。

 おまけに紳士で優しい。


 ……とくれば、玉の輿を狙う宮廷貴族の令嬢たちから人気が高くなるのもうなずける。

 あとは、意外に伯爵や侯爵などの上位貴族の婿養子候補としても、人気があるのだそうだ。

 王太子派として関係を深めたい、あるいは王太子派に鞍替えしたい諸侯にとっては、王太子と直接深い関係にあるラインヴァルトは、優秀なコネになるからなんだとか。


 そこらへん、身分とかそういうのはよくわからないんだけど、要は本人にも価値があるし、本人の関係者にはさらに価値がある、ということで、誰からも引っ張りだこ、ということらしい。


「おまけに、ウッズエーナ領は魔物が多い森を抱えてるから、どうしても即応の常備軍が必要で、この『黒林騎士団』の強さも有名なの。ラインヴァルトは、そこの団長でもあるわ」


 領民にしてみれば、魔物との戦いの最前線に立って守ってくれるラインヴァルトは文句なしの英雄。

 近隣諸侯にしてみても、領地問題とかでいざこざがあったときにすぐに軍を派遣して援護してくれる黒林騎士団とそれを率いるラインヴァルトは、心強い味方。


 つまりラインヴァルトという人間は、味方にとっては実に頼もしい存在で、敵にとっては、すぐに完全武装の軍団を引き連れてくるやっかいな相手、というやつらしい。


 別に俺が剣の素人だから手も足も出なかった、というのでなく、ガチで有能な男だったのだ。

 聞けば聞くほど、ただの高校生の俺なんかじゃ足元にも及ばない、雲の上の存在のような奴だったのだ。

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