第29話:こんなに胸がどきどきするなんて

「ご、ごめんその、俺、いろいろ手順をすっ飛ばしたみたいで……」


 先走ってしまったことを謝ろうとすると、イノリアは「やめて?」と、俺の唇に人差し指をそっと押し付けた。


「ヨシくん、そこは謝らないで……? 女の子の期待を、なかったことにしないで、ね?」


 困ったような笑顔を浮かべたイノリアに、ようやく、先の言葉の意味が理解できた。


 イノリアは、「左の薬指のサイズを測る=プロポーズ」とあえて忠告することで、俺に、はっきりしてほしいと訴えたってことだ。

 ──彼女とともに生きる、その意思を。


『左の薬指のサイズを測ることは、結婚を求めているのと同じ。あなたの選択はそれでいいの?』


 ではなく、


『左の薬指のサイズを測ることは、結婚を求めているのと同じ。OKするから、結婚しようってはっきり言って』


 だったということか。

 ……女の子の意思表示って、難しい。もっとストレートに、はっきり言ってくれって思う。


 視界の端のリボタックさんが、なぜかウインクの上、サムズアップしている。

 ……期待に応えてあげようぜ、そう言っているように感じるのは、多分……合ってると思う。


 つまり、俺はここで、告白どころか、結婚の申し込みをするの?

 ……いちの、路上の、アクセサリーの露天商の、その目の前で?


 おしゃれなレストランとか、サンセットビーチで夕日を背景にとか、きれいなイルミネーションの前とか、何かの記念日とか、そういうの、全部無いよ!?

 そういうの、いらないの!? いいの!?

 あと、いくら夢の中だからって、心構えもへったくれもないんだけど……!?


 救いを求めてリボタックさんを見ると、うんうんうなずきながら、親指で何かを指す。

 それに従って視線を水平移動させると、イノリアが、首筋まで真っ赤にしてうつむいて、何かを待っている様子。


 イノリアのことが好きかどうかと聞かれたら、拒否する理由なんて思いつかないから好きと答えるだろう。

 だが、結婚したいかと聞かれたら?


 嫌うほどの理由はないけど、彼女結婚したいとする理由は……正直、ない。

 そりゃそうだ。今は単に、そういう状況の場面でしかないのだから。

 魅力的な子だとは思うけど、一生を共に過ごしたいかと言われたら、「分からない」としか答えられない。


 ……だけど。

 それは嫌いだから、じゃない。

 俺は、本当に、彼女と結婚してしまっていいのかという疑問。

 彼女と一緒になれるというのは、とてつもない幸運のように思える。だけど、ただの高校生の俺が、彼女のような女性と結婚してしまっていいのかという、ある種の恐れ。


 ──いや、まて、まてまて。

 これは夢、どうせ夢! 焦っているのは未知の体験だから!

 開き直れ、俺! どうせならカッコよく!


「えっと、イノリア……。こんな場所で、いいのか悪いのか分からないんだけど」


 リボタックさんから受け取った、蛍石の指輪を手に。


 ものすごく心臓がバクバク言っている。

 夢の中──こんな夢の中の出来事なのに、こんなに胸がどきどきするなんて。

 ドラマとかのプロポーズのシーンで、スマートに渡すよりもグダグダしたりするその理由が、よく分かった。

 ドラマみたいにかっこよく、なんて、ムリ!

 もう、口を開くと変なことしか言いそうになくて、直接、彼女の左の手を取る。


 イノリアは、特に、手を払ったりはしなかった。

 俺はその薬指に手を添えると、そっと、指輪を通してゆく。


 第二関節で一度引っかかる感触はあったけれど、それでもスムーズに、指輪は、左の薬指の根元に収まった。

 銀色の指輪に、イノリアの瞳の色に似た、碧がかった青い石が輝く。


 蛍石、という石が、高いのか安いのか、それは分からない。

 誕生石という言葉があるのは知っているけど、蛍石にどんないわれがあるかもわからない。

 決して大粒、というわけではないけれど、でも、彼女の細く白い指に、その指輪は、石は、とてもふさわしいように思えた。


 そっと手を離すと、イノリアは、その指輪に右手を添える。

 うつむき、じっとその指輪を見つめ、そして──

 一粒、雫をこぼす。


「ヨシくん……私……」


 うるんだ瞳で俺を見つめ、またうつむき、肩を震わせ──

 そっと指輪を覆うように、右手で包む。


「……私、で、いいんだね? 本当に、私で……」


 リボタックさんが、その後ろで腕を横に伸ばし、かき寄せるようなしぐさを繰り返す。

 ──肩を抱け、ということなのだろうか。


 ……できるかそんなこと!

 小さく人差し指で×を作り叩き続けると、リボタックさんが肩を落とし、今度は唇を突き出してみせる。


 ……もっとできるか、そんなこと!

 余計にハードル高いじゃねえか! 要求水準を高くするんじゃねえよ!

 一体どうやったらそんな流れにできるんだよ!

 もっとハードルの低い、それでいていい雰囲気に慣れるような何かって、ないのかよ!


「おや、こんなところで奇遇だね? 麗しのイノリア──と、不思議な踊りを踊っているヨシマサくん」


 突然、背後から声をかけられた。

 この声は──!


「ら、ラインヴァルト!?」




「ふむ──イノリア、見違えたよ。シンプルだが、飾らない君の、凛とした意志の強さと気高さが表れているかのようなドレスだね。飾りすぎず、しかし品の良いつくりだ。

 全体として深みのある青、というところも、目先のことに踊らずうわつくことのない君の心のありようを表しているようだ。

 ──君のこんな美しい姿を見ることができるなんて、私はじつに運がいい」


 ──出会い頭にここまでペラペラよどみなく褒めちぎることができるなんて。

 さすがイケメン。俺にできないことを平然とやりやがる。痺れもしないし憧れもしないが、コミュ力高いな!

 何を言おうか全然思いつかず、無言で指輪はめてた俺とは全然違う。


「……お久しぶりね、ラインヴァルト。ご機嫌はいかが?」


 スカートの端をつまみ、膝を落とすように礼をしてみせる。ああ、そういう挨拶を見ると、イノリアは貴族なんだ、ということを感じさせる。


「イノリア、私にそんな堅苦しい挨拶なんて不要だよ。私たちの仲じゃないか、君も、そんな堅苦しい挨拶は好きじゃないんだろう?」

「その言葉の意味こそ、分かりかねますわ。あなたのような領主貴族と、下級宮廷貴族の私では、身分が違いますもの。

 ──並び立つのも気がひけます。お気遣いなく」


 そう言って、俺の陰に隠れるような位置にそっと移動する。


 ……どうしたんだ? なんだかラインヴァルトを避けているように見える。

 こういうイケメンが嫌い、なんていう女の子がいるわけないだろうから、貴族的な力関係の問題で、苦手意識をもっていたりするのだろうか。


「ふむ……なるほどね?

 今日は君が、イノリア嬢の騎士を務めている、というわけか」


 ラインヴァルトが、俺の頭から足の爪の先まで、視線を滑らせると、フッと笑った。


「……ほう? 今日は帯剣しているのかい?

 いつも丸腰の君が、珍しいじゃないか。今日ばかりは、騎士の真似事をしてみる気になったんだね。やはり女性を守るためには、帯剣すべきだし、その自覚ができたのはいいことだと思うよ」


 やけに大袈裟に感心してみせる。

 しかし、どこか言葉にとげがあるのは、俺の気のせいだろうか。


「──ただ、振ることもできぬ物を腰にぶら下げているというのは、本質を知る者にとっては滑稽でしかないがね?」


 ……気のせいじゃなかった。

 今日のラインヴァルトは機嫌が悪いらしい。だからって笑いながらイヤミ言うんじゃねえよ。

 だが、それは事実には違いなく、そしてイノリアをけがしたクソどもを、おそらくその剣術で血祭りにあげた男。クソッ、反論できない。


「そういうおっしゃりよう、やめてくださらないかしら。それとも、連れの者を貶めることが、の流儀なのでしょうか?」


 ──ウッズエーナ? 誰だと思ったら、小声でイノリアが補足してくれた。


「ラインヴァルトの家名よ。ラインヴァルト・フォン・ウッズエーナ。それが、彼」

「……イノリア、君に家名で呼ばれるのは辛いね。私はただ、騎士たるには実力あってこそということを、彼に伝えたいだけなんだよ。

 腰のものはわが身と愛する者を守るための武器ではあるが、使いこなせなければ──万が一奪われようものならば、自らを、愛する者を傷つける、凶器と化してしまうのだからね」

「私には、そのようには聞こえませんでしたわ。殿方の言葉は、時に鞘当て程度であったとしても、私のような弱く愚かなものには、恐ろしく聞こえてしまいますもの」


 まっすぐ、凛とした目で、ラインヴァルトを見つめるイノリアは。

 ──とても、さっきまで、涙をこぼしていた女性と同一人物とは思えない。


 ラインヴァルトはしばらくイノリアと目をそらすことなく対峙していたが、やがて視線をそらし、フッと笑って見せた。


「……降参だ、イノリア。君にそんな目で見つめられると、たとえ好意でないと分かっていても、胸の内がかき乱されてしまう。

 本当に罪作りな魅力を持つ女性だよ、君は」

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