第26話:だから、精一杯笑ってみせる

本?」

 意味が分からず、思わず聞き返してしまう。

「え、本、ね? その……、男の人が、女の人とね、その、……その、あのね?

 ──あ、愛し合うときの、……お手本の、絵、なん、だけど……」


 ……そっちか……!

 倉木が江戸時代のそれを見せてくれたこと、あるぞ。一応、学術書で、いろいろ作者とか時代背景とか、いろいろ考察されていた、ように思う。

 艶本えほんとは、要するに、『浮世絵のエロ本』だ。倉木が持ってたのは学術書だから、修正なし! なかなか強烈だった。


 で、倉木が力説してたのが、そのエロ本が「嫁入り道具の一つ」だったということ。

 ……要するに、夜の生活の勉強のためだったそうで、日本、西洋問わず、があったそうだ。倉木アイツ勉強せずほんとそんなことばっか知ってるよな。しかもなぜか勝手にヒートアップしてたか。


『嫁入りといえば初夜! 初夜と言えば俺ら男子高校生を熱くする初夜権!!

 けどな、初夜権って要するにそういう名の税金ってだけで、結婚税みたいなもんだったらしいぜ! マジで領主が花嫁を取り上げてたわけじゃねえらしいんだよ! 俺のNTRネトラレロマンを返せって感じだ、だから無情な真実リアルって大っ嫌いだバーカ! チキショーめぇ!』


 そういってシャーペンを机にたたきつけてぶっ壊してしまったっけ。俺のシャーペンを。

 ……ホント何やってんだアイツ。


「な、何枚かあってね? その……お、男の人はその、……あ、愛し合うときにね、その……

 だ、大事なところが、その……、この、びんみたいにその……」


 ちらっと、俺の方を見る。


「──おっきくなるって……」


 ……どこを見たかは、あえて言うまい。


 ……。

 …………。


 なるほど! 言われてみたら、そんな風に見え……見えるかっ!

 おい、艶本作家! 夜の生活の参考イラスト描くんなら、もっとまじめに書けよ!


 男のアレがフツーのペットボトルと同じようにしか見えないくらいの手抜きで大雑把な描き方って、そりゃないだろ! 世の未経験の女性の皆様を怖がらせるだけじゃん!

 逆に百戦錬磨の奥様方は、こんなにでかくないよとゲラゲラ笑うのか? そんなの、何の参考にもなんねーよ!


 ……イヤだ、イヤすぎる。誰得の絵なんだよ!

 ていうか、もっとイヤすぎるのが、女の子の性教育にエロ本が使われてるってことだ!


「その、あの……あのね!? そのお友達、結婚してしばらくして、いらなくなったからって、あげるって……。『あなたはだからそれで勉強しとくといいよ』って……。

 そ、だって思わなかったからその場で見ちゃっただけで、すぐ返して!!」


 ……すぐ返しても、その、モノの印象は強く残ってたわけね。

 うあー、ないわー。

 ショックだわー。

 イノリアちゃんもっと純情だとおもてたわー。


「うう……正直に言ったのに! あなたには隠し事したくなかったから、ちゃんと言ったのに……!」


 涙目になってペットボトルをグイっと両手で俺に押し付ける。

 しまった、言いすぎた……怒らせちまった!


「ご、ごめん! 調子に乗りすぎた!」


 慌てて謝る。


「私、前に言ったよね? ヨシくんのこと大好きだけど、ときどきいじわるなことを言うときのヨシくんは好きじゃないって。

 ──私は、貴方には嘘も隠しごとも決して作らないから、貴方もいじわるはしないでって。お互いに誓いゲルーデを交わしたよね?」

 

 すいませんイノリア、その時間軸を俺はまだ体験してない。

 でもそういう約束をしてたのか。

 ──嘘も隠し事もしないって、すげえな。相手に正直に全部話すってことだろ、相当な覚悟じゃないのか? 俺にはちょっと……そこまでプライバシーを晒す覚悟は持てないな。


 ──覚悟?


 そして思い出す。ルティは言っていた。事情を知ってる奴ならだれもが思っていたと。

 俺とイノリアが、結婚するものだと。

 ……そういう、ことか!


 俺は、彼女に意地悪しない──まあ、要するに傷つけるようなことをしないということだろう、そんな誓いを、彼女に立てた。

 彼女は、俺に嘘や隠し事を決して作らない──つまり何でも話す、という誓いを、俺に立てた。


 どくん。

 胸に突き刺さる。


 俺は、今まで、彼女に、何をしてきた?


 どくん。

 耳鳴りがするような感じがする。呼吸が荒く、乱れてくる。


 彼女は。

 今まで俺に、面と向かって嘘を──隠し事をしたことがあったか?

 普通なら隠したいだろうこと──梅毒のことなんて、恋人であれば、特に。


 どくん。

 激しい後悔に、目の前が真っ暗になる。


『ほら、私ってもう、……コレ、じゃない?』


『……みんなね、もう、感染うつるからって、近づかないから』


『それにもう、治らない』


『……ヨシくん、慰めてくれなくていいよ? そういうの、嬉しいけど、辛いんだ』


 彼女は、俺に、面と向かっては一度も嘘をつかなかったし、隠し事もしなかった。

 じゃあ、俺は?

 彼女をどれほど、傷つけてしまってきたのだろう。

 ……俺は、彼女の心を、どれほど抉り続けてきたのだろう。


 俺は……いったい、何を、してきてしまったんだろう。




「──くん? ヨシくん……!?」


 気が付いたら、イノリアに揺さぶられていた。


「ひょっとして、体調、よくないの? ヨシくん、私に、合わせてくれてたの?」


 ──ひどく、不安そうに、こちらを見ていた。


「……あ、ああ大丈夫。ちょっと、考え事、してただけだから」


 今後、彼女が命を落とすその瞬間まで、俺は、彼女のことを何度も傷つけてしまうことになる。

 俺は……彼女を、傷つけることしかできなくなっていく……!


 だったら、せめて。

 ──せめて、デートの時くらい、楽しい思い出にしてあげないと。

 だから。


 だから、精一杯笑ってみせる。


 しかし、彼女はそんな俺を見て、身を引き、そして寂しそうに笑った。


「──ヨシくん、いつも、それだね……? いつも、考え事、考え事ばかり……」


 う、いつも……か。

 ……そうだな、俺、いつもごまかしてばかりで、それで、泣かせてばっかりだ。


 悲しませてちゃだめだ、せめて、デートの時くらいは。


「い、いやその、……イノリアがさ、思った以上に綺麗でさ! ついその……いろいろ、考えちゃうんだよ!」

「いろいろって?」

「だ、だからさ、いろいろだって! その……俺だって、……ええと、男だからさ!」


 下ネタに逃げておく。そうすれば追及されないだろう。

 ちょっと印象悪くなるかもしれないけど、笑ってごまかせると思うし。


 だが。

「──そうやって、また、嘘をつくんだね?」

「え……!?」

 速攻でバレたことに驚愕する。


「ヨシくん、すごく分かりやすいんだもん。ある意味、正直なんだよね。カードゲームでお金を賭けたりしたら、絶対にダメだよ?」


 ──恐るべし、女の勘、と言ったところなんだろうか?


「ええと、どうやって嘘だって分かるんだ?」

「知りたいの?」

「そ、そりゃ……! ほ、ほら、知ってたら、カードゲームにも強くなれるだろ?」


 俺の言葉に、彼女はまた、いたずらっぽく笑う。


「ほら、また嘘をついた」


 ぐ……

 秒殺の勢いで嘘を見破られる俺ってなんなんだ。


「……だから、なんで分かるんだよ?」

「ふふ、どうしてでしょう?」

「……分からない」

「あのね、あなたの奥さんになる人にはね。旦那様がおっしゃってることが嘘かどうか、神様がおしえてくださるから、だよ?」


 そう言って、イノリアは、楽しそうに笑った。


 ──ああ、この笑顔。

 こんなに朗らかに笑う笑顔を、俺は今までに、一体、何度見ることができていただろうか。

 今日、これ以後の未来で、俺はもう、こんなに可愛らしい笑顔を、見られなくなってしまうんだ。


「……俺には、嘘も、隠し事も、しないんじゃなかったのか?」


 我ながら反則的な、答えの要求。

 しかし、彼女は笑ってかわす。


「嘘をついても、貴方の顔を見れば、すぐ分かるんだよ? 正直さんの、顔をしてるから」


 そう言って、俺の目元に軽く、口づけをする。


「──だから、私も、絶対に貴方には嘘も隠し事もしません」


 冗談は言わせてね? と微笑む。


「──そのかわり、これからもずっと、嘘が分かる、正直な貴方でいてほしいの。それは、分かってもらえると、うれしいな……」

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