第25話:イノリアが気に入ってくれたなら

「イノリアは、普段、そういうドレスを着ない──んだよ、な?」


 街を歩く俺たちを──否、イノリアを見て振り返る男を見かけるたびに、何とも言えない優越感が沸き起こってくる。イケメンを彼氏にしたがる女子、カワイイ子を彼女にしたがる男子の気持ちが、よ~く分かった。


 あれだ、トロフィーみたいな感覚だ。見せて自慢したい、みたいな感じ。


「もう……。だって私、こんなに素敵なドレス、ほかに持ってないもの」


 そう言って、それまで右手で俺の肘のあたりを持っていたところに腕を差し込み、絡めてくる。

 ちらりと俺を見上げ、目が合うと慌てたようにまたうつむき、だが、嬉しそうに続ける。


「だから、ね? このドレスが家に届いた時は、本当に私のドレスなの、って、信じられなかったの。

 あなたと一緒に行って採寸したから、いずれは届くって分かってはいたけど、こんな素敵なドレスが届くなんて、思ってなかったから」


 ──え?

 俺と、採寸?


「ヨシくん、このドレス、仕立てるのにいくらしたの? 絶対に高かったよね?」


 さらに衝撃。

 俺が、このドレスを注文した?

 いや、俺がこんな高級そうな……絶対高いに決まっているこんなドレスを注文するお金なんて、あるわけがない。

 でもこうして届いてる。


 俺はいったい、どんな手を使って、このドレスを注文したんだろう?

 ──犯罪とか、してないだろうな?


 ……してないと、思いたい。そんな度胸ない……はずだ。


 ただ、何とかお金を手に入れて、カッコつけるために手に入れたお金を全部ぶちこんだ、とかならありそうだ。

 装飾が少なくて落ち着いた感じなのは、カネがなくてそこまで派手にできなかった裏返し、という風にも考えられるし。


 それでもどうやってお金を手に入れたのか、想像もつかないんだけど。


 一応思いつくのはルティ──オルテンシーナの、王姫としての財布を使わせてもらった可能性だ。


 ルティは、侍女であるイノリアと俺の関係のことを気にしてたみたいだから、金のない俺のためにスポンサーになって、デザインは俺に任せてお金だけ出してくれた、みたいな。


 ──ありうる。

 情けない話だけど、大いにありうる。あのルティなら。

 たぶん、九九パーセント、それ。だってどう考えても、俺が商売を始めて大金持ちになったとか、そういうこと、ありえそうにないもんな。


 ……まあ、いいや。

 とにかく、一番大事なのは──


「……ええと、お金のことは気にするなって。そんなことより、イノリアが気に入ってくれたなら、嬉しいんだけど」

「もう……調子いいんだから。

 すごく、すごく気に入ったよ? 私、色以外あんまりあれこれ言わなかったのに、こんなに素敵なドレスに仕上がるなんて。あなたが、私のためにこのドレスを一生懸命考えてくれたって思うだけで、私、すごく、幸せだなあって思うの。

 ──ありがとう、ヨシくん」


 ぎゅっと、彼女の腕に力が入る。

 このふわりと広がるドレスを着た状態でこれほど密着してこられると、……正直、歩きにくい。

 だが、それがいい。


 彼女の部分が腕に当たっているのが、ものすごく未知の体験。

 いわゆるこれが、ってやつか!


 ……うん、きっとこれ、コルセットっていうんだよな。腕に食い込むごつごつした感触。

 柔らかい感触なんてかけらも感じられない。たぶん上にはみ出てる色白な部分は間違いなく柔らかいんだろうけど、下支えの部分はコレ固いわ。

 こんなものをぐるりと巻いておしゃれしなきゃならない女の子が大変すぎる。おしゃれって大変なんだな……。


 ……くそう。




 市場では、様々なものが売られていた。パンや肉、果物や揚げ菓子、サンドイッチのような軽食など、食べ物を扱う露店が所狭しと立ち並び、たくさんの人でにぎわっていた。

 もちろん、食べ物だけでなく、花、小物、服やアクセサリなど、様々な店が並んでいる。


 白いパラソルの下、ワゴンにあふれんばかりに並んだ、オレンジのような果物からはさわやかな柑橘系の香りが漂ってくる。食べてみたいが、残念ながら、この世界のお金なんてない。


 すごくおいしそうだし、できればイノリアと一緒に食べてみたい。だけど、イノリアにねだって買ってもらうなんて、そんなかっこ悪いことできるはずもなく。


 ただ、彼女は店先で冷やかしをしているだけで、すごく楽しそうで、それだけでもいいのかな、と思っていた。


 しばらく歩いていると、果汁を売る店を見かけて、そして、気づいた。

 ルティと会えた時のために持ち込んだ、「お~いレモンCC」のペットボトル。


 この世界の服には、ポケットがない。腰に、ポケット代わりのバッグを括り付ける形になっている。たぶん、これがいずれ、ポケットという形に進化するんだろうが、その中に、スマホとペットボトルを入れてきたのだ。

 すっかり常温になっているだろうが、どうせこの世界には冷蔵庫なんてないだろうし、だからみんな常温に慣れているはずだ。たぶん、問題ない。


「……ちょっと、のどが渇いた。そっちは、大丈夫?」


 彼女は近くの屋台を見て、それを、と思ったらしい。


「ちょっと、珍しい飲み物があるんだけど、飲んでみる?」

「珍しい飲み物?」

「少しだけ刺激があるけど……しゅわしゅわするワインは知ってる? あんな感じ。俺は好きなんだけど、イノリアも気に入ってくれたら、嬉しいな」


 そう言って、ペットボトルを取り出す。


「なにそれ……ずいぶんその……個性的な形ね?」

「飲む?」


 言いながら渡すと、受け取ったあと、まじまじとそれを見て、何かを思い出したのか急に顔を真っ赤にして目をぎゅっと閉じ、ひどくうろたえた。


「こ、これを、飲むの……!?」


 そ~っと目を開けて、手の中のものを見ては、また目をぎゅっと閉じて首を振る。


 ……反応が変だ。

 見たことがない形というより、をイメージしている気がする。なんだろう。

 でも、ルティも気に入ってくれたのだし、この世界でも炭酸飲料はウケが悪いわけじゃないはずだ。


「ちょっと貸して?」


 そう言うと、彼女はうつむいたまま、両手で持ったペットボトルを全力で差し出してきた。……よほど持っていたくないようだ。


「こうやるんだよ」


 栓を開けると、プシュッ、という音と共に、レモンのさわやかな香りが広がる。


「……いい香り、ね?」

「だろ?」


 そう言って、口をくわえてゆっくりあおってみせる。


 ちらりとイノリアを見ると、なぜか両手で目を覆って──でも指を開いてしっかりこっちを見ているので、いったい何をしたいんだか。


「……とまあ、容器に直接口をつけて飲むって言うのは、貴族のお嬢さんには、もしかしたらとか思われそうだけどさ、こんな感じで飲む……んだけど、──飲む?」


 そう言って渡すと、ものすごい勢いで目を開いて、飲み口を見て、次いで俺の顔を見て、そしてまた飲み口を見て……を繰り返す。


「おいしいよ?」


 そう言って笑ってみせるが、彼女はじっと飲み口を見つめて、硬直している。

 たちまち耳まで真っ赤になり、額に汗が浮かんできているのが、……なんだろう、なんでそんな追い込まれているんだろう。


 ……あ、しまった。間接キスを気にしてるに間違いないな。ルティの時も同じ反応だったはず。


 しかし今回はちゃんとハンカチを借りておいたので大丈夫。腰の袋からハンカチを取り出すと、彼女に持たせたペットボトルの飲み口を、しっかりとふき取った。これで、大丈夫のはずだ。


 ところが彼女は、ふき取っている間「そんなことしなくていいよ……いいってば!」とまあ、やけにうろたえ、ふき終わった後にはひどくがっかりした様子でうつむいてしまった。

 恨めしそうにハンカチを見つめてくるので、自分でふきたかったのかと思ってハンカチを渡すと、「……ヨシくんって、へんなところでいじわるだね?」と、ため息をつく。


 ──いじわる。

 ルティにも同じことを言われたな。

 べつに意地悪をしているつもりなんてないんだけど、今回は何が意地悪だったんだ?


 飲み口をじっと見つめては俺の方をちらちら見る。ただ、俺の方というだけで、俺の顔を見たり、伏し目がちであったり。まあ、何度もそれを繰り返すイノリア。どうも、飲む勇気が出ないのかもしれない。


 まあ、初めてのものってのはどうしてもそうなるのかもしれない。俺だって、たとえば生きているナマコを目の前でさばいて刺身にされて差し出されたら、たとえそれが食べられると分かっていても、とても食べる気になれないかもしれない。


 俺のことを意地悪って言ってたし、いずれにしても、気が進まないものを変に強要してしまったみたいなので、申し訳ない気持ちになる。

 ルティは最終的に気に入ってくれた。だが、それが全員なわけじゃない。ルティは特別、好奇心が強かったのかもしれない。


「……おかしなもの勧めちゃって、悪かった。嫌な気持ちにさせて、ごめん」


 謝って、彼女の手から抜き取ろうとした。すると彼女はびくりと肩を震わせ、そして、ペットボトルを胸に抱きしめる。


「ち、違うの、そうじゃないの!」

「え? でも……」


 意地悪とも言われたしな、とちょっとおどけて見せると、なぜだか顔をゆがめる。


「そうじゃないの……。ごめんなさい、私、その……」


 急に声が小さくなる。


「あ、あのね……。この前結婚した友達がね。──え……ほんを、見せてくれたんだ……」

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