第24話:天使が舞い降りたかと思ったよ

 昼から、いちに出かけようという話になった。

 すっかり泥だらけになったジャージは洗っておくからと言われ、代わりの服を渡された。


 正直言って、貴族の服っていうのがよく分からない。どうも、イノリアのお父さんの若いころの服らしいのだが……とりあえず、タイツみたいなズボンがすごく嫌。アソコがもっこりするのがもっといや。


 上着は結構、緩い長そでの服にベストのようなものを上に羽織って、さらにその上からマントというか、めちゃくちゃ長いストールみたいな布。肩の上でぐるりと巻いて、両肩から後ろに垂らす。肩で風を切る感じで、なるほど、倉木がこういうのにあこがれる気持ちが少しだけわかる。


 ──分かるのだが、じゃあなんで下半身はタイツなんだ。アイアリィさんがやたら褒めてくれるんだが、もうこのタイツのもっこりがものすごくはずかしい。


 ていうか、そこをさらにふくらませて見せる下着、なんてのがあって──わざわざ股間部分をでかく見せる──ていうか、勃ってるように見せかける必要がどうしてあるんだよ! この世界のこの時代の男連中は、まさかそれで男らしさを競ってるとでもいうのか!


 何とか別の服はないかと訴え、出てきたのがカボチャパンツ。派手な。

 もうやめて。公開処刑かよ。


 庭師のおっちゃんのようなゆったりズボンはないかと頼みに頼んで、やっと出てきたのが、単にちょっとスリムな感じの、装飾の少ないシンプルなカボチャパンツ、膝上までの。

 仕方がないので、タイツの上からそれをはくことで妥協することにした。


 そして、もう一つ。

 剣を持たされた。

 腰にベルトを巻き付け、左の腰に下げた剣。


 どうも細身の剣らしいが、それでも長さが、剣の先から柄の先まで、一メートルくらいありそうだ。

 もちろん、重い。

 リアルな剣って、こんなに重かったんだと、驚くとともに感心する。

 夢の中でリアルな重さっていうのも、強烈な違和感があるんだけど。


 それにしても、ゲームの主人公たちは、こんな重みに耐えて旅をしていたのか。

 ──ていうか、ロングソード九十九本とかって、一体どうやって持ち歩いてたんだよ。十本持つだけで、多分もう限界だと思う。


 そんなわけで、ちょっと抜いては、そのギラリと輝く剣身を見てわくわくしたりしていたのだが、イノリアが全然出てこない。


 よく、母親の化粧の時間が長くて、いつも出掛ける時に遅くなってうっとうしい、なんて言ってるやつがいるが、そういうことなんだろうか。俺の母は化粧をすることはするんだけどパパっと十分程度で全部終わらせるから、長い化粧にイライラするなんて、今まで感じたことがなかったんだけどな。


 あんまりにも暇だったんで、庭師のおっちゃんとイノリアのことで話をすることにした。

 おっちゃんはガルディンというらしかった。六十~七十代くらいかと思ったら、あと数年で五十になる、つまり四十代後半だった。老けすぎだと思ったが、外で働く人というのは、こうなるのかもしれない。


 彼は、この屋敷の庭と、あといくつかを兼任しているらしい。この屋敷には週に三回やってきて、庭の世話をするのだという。


「こんなに庶民の我々と一緒に生活される令嬢など、見たことがない」


 そう言っていた。もちろん、誉め言葉という意味でだ。ねぎらいの言葉をかけられることはあっても、一緒に土いじりする貴族の令嬢など、……まあ、ほかにはいないんだろうなあ。


「ヨシマサ様。ヨシマサ様と知り合われてから、お嬢様は大変明るうなられました。

 お嬢様は大変お気の強い方ではありますが、やはり、ご自身を認めてくださる男性がいたというのは、嬉しかったのでしょう」

「──そう、なんだ?」


 大変気が強い。


 たぶん、あちこちのお屋敷に行っているなら、当然そこの令嬢を見ることもあるのだろう。

 そのなかでも、あえて、彼氏と認識しているはずの俺に向かって、あえてそんなマイナス評価をしてみせる。

 ──つまり、相当気が強くて、それを知ったうえで付き合っていると、そう思ってるんだろうなあ。

 別にイノリアって、そんなに気が強いようには思わないんだけど。


 ……あ、そういえばラインヴァルトに抗議したことがあったっけ。

 でもその程度だなあ。


 逆に言えば、その程度のことでも、女性が男性に対する態度としては好ましくないと思われているんだろうか。女に厳しい世界、時代なんだなあと、ちょっと女性に同情する。


「専任でもない園丁えんていが申し上げますのもおこがましい話ですが、ヨシマサ様。イノリア様を見て、正直なところ、であると、そう受け取られますかな?」

「ないない、それはない」


 即答した俺に、ガルディンさんは大笑いする。


「──ですが、そういうお嬢様だからこそ、ヨシマサ様は、お嬢様に寄り添ってくださっているのではないですかな?」

「そう、だな……。貴族の女性ってのは前に見たことあるけど。

 ごてごて着飾って堅苦しいあんな連中より、イノリアのほうがずっといい。話しやすくて、楽しい」

「おや、着飾った女性はお好みでない?」


 ガルディンさんは、少し、意外そうな顔をした。


「実はお嬢様、あたしのような者にも、贈られたドレスを着て見せてくださいましてな。ですから、てっきり……」

「必要最低限でいい。贅沢が全力で自己主張しながらのし歩いてるような服ってのは、飾って見るぶんにはいいけど、そいつを着てる奴を連れまわすのは気が引ける。無駄に気を使うから」

「はあ……。ですが、服は身分や財産の量を表す一つの物差しでございますからな。貴族社会に生きる以上、軽んじられない程度には……」


 言いかけて、ガルディンさんは目を上げる。


「おお、お嬢様がいらっしゃいましたぞ。ああ、なんとお美しい──」


 振り返ると、玄関にいたのは。


 隣に、執事みたいな男──ええと、トラバーっていったっけ? それを連れた、

 ──あの、青いドレスを着た、イノリアだった。




「あ……あの、どう? 変じゃ、ない……?」


 うつむき気味に、恥じらいながら聞く、イノリアに。

 あの時。

 ラインヴァルトに彼女を託してしまった、あの時と、同じドレス。

 イノリアの魅力を最大限に引き出すような、あの。


 だから。

 の姿が。

 悲嘆にくれるあの姿が、ありありと浮かび、重なって見えてしまう。


 俺は、自分の罪を突き付けられたようで、言葉が出なかった。

 背筋が冷たくなり、嫌な汗が噴き出してくるのが分かる。


『待って……まってヨシくん! どうして! ねえ、どうして!!』


 あの時の悲鳴に似た声が、脳内を駆け巡る。

 胸がどろどろして、心臓が早鐘を打ち、大地が足元から崩れていくような感覚。


「……ヨシくん……?」


 不安げな彼女が、いっそう追い打ちをかける。


 そうだ。

 俺は、彼女を。


 ルティの言葉に従うなら、事情を知る者なら、そのまま結婚するだろうとまで思われていた、そんな仲の彼女を。


 自分以外の男に、のだ。


 俺は。

 俺は、彼女を……。

 ……俺は、彼女を、自分から手放し……!!


「──ヨシマサ様」


 背後から、ガルディンさんの声。

 後悔と恐怖で硬直していた俺に、ガルディンさんがそっと呼びかけたのだ。

 そこでやっと、自分を取り戻す。


「お嬢様が、ヨシマサ様のお声をお待ちでございますよ?

 お嬢様が、あんなにお綺麗なドレスをお召しになるなんて、滅多にあることじゃあございません。まして、殿方のためになど。お目の肥えたお方にとってはそうでもないのかもしれませんが、あたしらにとっては、自慢のお嬢様なんです。

 ──後生ごしょうです。どうか、どうか褒めて差し上げてくださいまし」


 そうだった。彼女は普段、こんなに綺麗なドレスを着ない──自分でそう言っていた。

 つまり、彼女は、俺のためにわざわざ着てくれたのだ、このドレスを。


「──ごめん。あんまりにも素敵だったから、なんて言っていいか……」


 そこまで言って、俺は一度、深呼吸をする。

 不安そうな上目遣いで俺を見つめる彼女に、俺は精いっぱい微笑んでみせた。


「すごく、似合ってる。とっても綺麗だ、天使が舞い降りたかと思ったよ、イノリア……!」


 ……結局、ベタな言葉しか吐き出すことができなかった。

 でも、彼女が、両手を口に当て、うつむき、肩を震わせながら耳の先まで真っ赤に染まっていったのを見て、少なくとも、間違っちゃいなかったことだけは確信する。


「よかったでございますなあ、お嬢様。庭の世話の続きはあたしがやっておきますんで、お嬢様は、市を楽しんできて下せえませ」


 ガルディンの言葉を受けて、トラバーもうなずく。


「ヨシマサ様、お嬢様のこと、どうぞ、よろしくお願いいたします」


 トラバーが、イノリアから見えない角度から、左の肘を三角に突き出すようにして見せてから、また腕をまっすぐに下ろす。

 ……なるほど、エスコートしろと。サンキュー、トラバー!


 俺はイノリアのもとに行くと、左ひじを三角にして、「行こうか、イノリア」と声をかける。

 イノリアは、頬を染めてうなずくと、そっと、右手を差し込むように、俺の隣に立ったのだった。

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