第23話:イノリア、君は、あまりにも

 親父は、俺が生まれる一か月くらい前に、震災で亡くなった。

 正確には、震災で被災し、傷ついた人を助けようとして、その二次災害で。


「どこまでも優しい人なの。あなたのお父さんは」


 仕事場から飛んできて、もうすぐ臨月だった母をかろうじてアパートから引きずり出し、しかし倒壊しかけていた一階の部屋から住人を引きずり出そうとして、二人を救出。再び別の部屋に入ったあと、余震で崩れてきた壁や家具の下敷きとなって、母の目の前で死んだ。


 ものすごく、あっけなく、あっさりと。


「赤い血がね、すごい量、飛び散って。

 お母さんね、お父さんが助けた人に押さえられてなかったら、多分、アパートに飛び込んで、死んでたんだと思うの」


 人助けをして亡くなった、くらいにしか聞いていなかった、親父の死。

 愛する人が目の前で即死、というのは、当時の母に相当なショックを与えただろうと思う。


 それから母は実家に一度戻るが、自分から飛び出しておいて、と冷たく扱われ、再び家を飛び出し、一人で俺を産み、一人で俺を育てた。予定より二週間ばかり早かったそうだ。


「お母さんに早く会いたかった甘えんぼさんなのか、お母さんに負担をかけたくなかったやさしさなのか。

 予定より早かったからびっくりしたけど……でも、本当に、あなたに会えてうれしかったのよ? お父さんに、見せてあげたかった……」


 基本のろけ話だった母が、このときだけは涙をこぼしたのを見て、本当に、胸が痛かった。


「よっちゃん。あなたはね、お父さんがね、あなたという幸せを、お母さんに預けてくれたんだって思っているの。

 だからお母さんも、あなたがいずれ出会う誰かに、素敵に育ったあなたという幸せを預けたいって。

 本当に、それだけを楽しみにしてきたわ」


 まっすぐ、微笑みながら、俺を見つめる、──母さん。

 昼も夜も働きづめで、小じわの目立つ年になったけど、それでも精力的に仕事に打ち込んで。


「だからね? あなたが大切にしたいと思う子が、いま苦しんでいるのなら……。

 行って、力になってあげなさい。お母さんは、よっちゃんを、そうすることができる子に育てたと思っているから。

 お母さん自身がやって来たんだから、人としての優しさがある子なら、お母さん、どんな子だって受け入れてあげられる自信があるわよ?」


 なんたって、お母さんが育てたよっちゃんが、大切にしたいって選んだ子なんだから──そう言って、まくり上げた右手で力こぶを作ってみせる。


 ──ごめん、母さん。

 その子、俺の、夢の中の子なんです……。


 絶対がっかりされる。だから、とても真実を言えなかった。




「なるほど、こうなるわけね」


 明晰夢の面白いところは、自分で夢をコントロールできること。

 ペットボトルを夢に持ち込むことができた俺が次に試したのは、何を、どうすれば、持ち込めるのか、だった。


「ポケットに入れたもの──ええと、財布なし、ボールペンなし、カード型マルチツールなし、『うまい某』もなし。……全滅だな」


 肩に掛けるようにしていたボディバッグも無し。当然、中に入れたペットボトルも予備バッテリーも夢日記もなし。

 靴は陸上の履きなれたトレーニングシューズ。服は今回、グレーのジャージ。さらに白のウインドブレーカーも着ていたのだが、なぜか上のウインドブレーカーだけ着ていて、下は履いていなかった。


 もしかしたらまたルティに会えるかも、と思って右手に持っていた「お~いレモンCC」と、使えるかどうかは分からないが持っていけたら便利かも、と思って左手に持っていたスマホは持ち込むことができた。

 ……一体、どういう基準なんだろう。


「……少なくとも、手に持っていたものは間違いなく持ち込めることは分かった」


 スマホを見ても当然アンテナなし、wi-fiもなし。もちろん、通信が必要なアプリは動かない。

 GPSの信号も受信できず、しかし表示は自宅周辺。

 最後に取得した位置情報を表示しているということなんだろう。


「ねえ、どうしたの?」


 俺は、見たことのある庭で、土いじりをしているから声をかけられた。


「あ……ああ、いや、なん、でもない……んだ、

「変な人……ふふ」


 いや、変な人と評価されるのは分かる。

 だが、この世界観で絶対に違和感のあるジャージに突っ込みが入らないのは、なぜなんだろう?

 とりあえず、ウインドブレーカーのポケットにスマホとペットボトルを押し込んで、土いじり中のイノリアのそばにしゃがむ。


「ヨシくん、そこ、踏んじゃだめだよ。お花の種、植えたばかりなんだから」

「あ──ご、ごめん!」


 慌てて足を上げて後ずさるが、さらに叱られる


「あーっ! そこも踏んじゃだめ! あ、そこは苗──!」


 しまいには自分で自分の足を引っかけ、盛大にしりもちをつく。

 ふわふわに耕された土だったため、大した痛みはなかったが、畑にくっきりと尻の跡が、クレーターとして残ってしまった。


「……もう! ヨシくん、これじゃ種どころじゃないよ!」


 そうやって険しい目をしてみせる彼女も、とても、可愛らしい。




 彼女は、よく笑った。

 庭師のおっちゃんと一緒に、草を抜いたり種をまいたり苗を植えたり。


 貴族というのはもっと言葉遣いが堅苦しいとか──ルティのように──、イヤミったらしいとか──サロンで突っかかってきた女のように──思っていたが、イノリアは全くそんなことは感じさせなかった。いわゆる「普通」、やはり今まで触れあってきたのと同じ、とても話しやすい。


「ヨシマサさん、うちの娘がなにか、粗相をしておりませんか?」


 そう笑いながら、イノリアの母、アイアリィさんが、いつの間にかバラ園のテラスにお茶を準備してくれていた。


「お茶が入りましたから、どうぞおあがりになって?」


 そんな母親に、イノリアは「私、粗相なんてしてませんから!」とふくれてみせるが、顔は笑っている。


「ヨシくん、お母さんもああ言ってるし、お茶の時間にしよう?」


 頬に泥が付いたまま、彼女は立ち上がる。


 大げさに飾ることなく、母親にたしなめられて、濡らしたハンカチでふき取ってもらって、そしてそれをじっと見ていた俺に気づいて顔を赤らめるイノリア。


 泥だらけのエプロンのままお茶を注ごうとして母親にたしなめられ、また、顔を赤く染めるイノリア。


 それでも、お茶の入れ方はあくまで優雅で、立ち居振る舞いの美しさは、やっぱり貴族なんだなあと感じ入る。


「ごめんね。うち、使用人はほとんど雇っていなくて。余計な仕事を押し付けたくないから、大抵はお茶も自分で入れちゃうの」


 あっけらかんと暴露する。


「……貴族っぽくなくて、幻滅した……?」

「別に?」


 俺の家なんか、母は基本的に朝晩働いているから家にほとんどいない。

 女手一つで俺をここまで育ててくれた母に対して、不満を言うつもりはないし、おかげで、家事の一通りはできる人間になった。もちろん、母がそう躾けてくれたからだというのが大きいんだけど。


 だから、なんでもメイドさんとかに任せて自分は何もできない、というやつより、身の回りのことは自分でできるイノリアのほうがよっぽどいい。


「──よかった。ヨシくんなら、きっとそんな考え方だろうなって思ってたけど、実際にやってみせるのって、勇気がいるから」

「勇気?」

「だって、あなたにだけは、思われていたいから。──素敵な、女の子だって」


 思いっきり紅茶にむせる。


「よ、ヨシくん!?」


 背中をさすってくれるのはありがたいが、さっきまで、少なくとも貴族的な姿を全く見せていなかった──ミミズを掘り起こしては鶏のエサを手に入れたと喜んでいた──イノリアが、何をいまさら。


「あ、ひどい! 人の趣味をそうやって笑うの? ヨシくんて、そういう人だったんだ」

「ミミズを鶏に食わせる趣味?」

「もう! いつもそうやって……。あんまり、からかわないで?」


 寂しそうな笑顔で、うつむく。


「その……私が貴族の令嬢らしくないことくらい、十分わかってるから。

 ──でも、私だって、女の子だから。好きな人にまで、笑われたくないんだよ……?」


 ごめん。

 ものすごくごめん。

 イノリア、君は、あまりにも可愛すぎる。


 全力で謝ったら、かえって嫌がられた。

 土下座はやりすぎだったようだった。


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