第19話:俺が、イノリアとシた!?
「そなたはいじわるだ」
衝撃を受けたのは最初だけらしい。
ふくれっ面をしながら、それでもちびちびと、細かく、まるでなめるように、時には顔をしかめながら「お~いレモンCC」を飲んでいる。
赤ん坊が初めてレモンを食う時の、その酸っぱさに驚きながらもしゃぶり続ける微笑ましい動画を見ているようだ。あれ、泣かないんだよな。
──なるほど、意地汚い。
「誰が意地汚いだ。最初は驚いただけだ。ゆっくりなら、こうしてちゃんと飲めるのだぞ」
「はいはい」
「それにしても、不思議な器よな」
のこり四分の一ほどになったところで、俺に返した彼女は、俺の手のペットボトルをしげしげと見つめた。
受け取ったときにまだ中身があることを知った俺が、そのまま口をつけて残りを飲む様子を見て、わたわたと訳の分からない踊りみたいなことをしたオルテンシーナだったが、いまはそうでもない。
「ガラスでもないのに透けていて、そして軽い。中身も、刺激が強いものの、恐ろしいほどに甘く、それでいてすがすがしかった。また飲みたい。そなた、それをどこで手に入れた?」
「それは秘密です、ってことで」
「……やはりいじわるだの。──まあ、よい。いずれまた、飲ませておくれ」
──その言葉を聞いて、俺は、なんだか申し訳なくなった。
彼女とは、おそらく、もう、このあと、二度とこのような形で会うことはないのだ。
すくなくとも、あのサロンで再会するのと、そして、
──おそらく、あの潰れた姫君は……彼女は、化け物となった俺が、守れずに死なせてしまうのだ。いずれ。
あとはもう、会う機会はない。しいて言うなら、その直前か。
その場面を夢で直接見たわけじゃないが、俺が二回目に見た夢の時のイノリアによれば、俺に鞭打ち三十回を宣告したのがオルテンシーナだという。
その上で、刑を執行中の俺に対して、イノリアが金の燭台を盗んだと認めれば刑を取りやめると、何度も忠告したらしい。
結局、俺は盗んだところなど見ていないと言い張り続け、しまいには気絶し、そのまま最後まで鞭で打たれたという話だったか。
夢日記を何度も読み返したせいで、あらすじをしっかり思い出してしまうところが、いいのか悪いのか。
それにしても、俺はなんでそんな気絶するまで、イノリアについての証言で、意地を張り続けたのだろう。正直言って、俺は、自分がそこまで正義を貫けるような誇り高い人間じゃ──
「──どうした? 何を黙っておる? ……それは、そんなに手に入れるのが難しいのか?」
心配そうな調子の言葉に、ハッとする。
「我はひょっとして、無知のままにそなたを困らせたのか?」
「い、いや、……なんでもない」
この不思議な夢は、だんだん時間をさかのぼっている。
この法則がこのまま続くとすれば、もう、この時間以降の彼女と、こんなに親しく交わる時間軸の夢を、おそらく俺は、見ることはない。
この先見ることがあるとすれば、こんなに親しくなる前──もしかしたら、もっと、そっけない関係の彼女と出会うだけなんだろう。
もちろん、たとえ同じものを渡す機会があったとしても、彼女は、今この時に交わした約束など知らない──いわば別人としての彼女。
そういう意味で、
「……うん、確かに、俺ももう、手に入れるのは無理かな」
しかたなく笑ってごまかす。
だが、そんな俺に、オルテンシーナは目を丸くした。
「……そんなに貴重なものを、我に飲ませてくれたのか?」
「あ、いや、貴重ってか、……うん、もう、手に入らないだけ」
「それを貴重というのだ! すまぬ、いじわるなどと言って。そんな貴重なものを、気前よく飲ませてくれたそなたに、言うべき言葉ではなかった。
──すまぬ」
立ち上がり、スカートのすそを持ち、腰を下げ、頭を下げる。
たぶん、正式な礼法による、謝罪なのだろう。正直、ビビった。
「いや、そんな、謝ってもらうことは……」
「自分の近衛のことを根拠もなく中傷するなど、主君としてあってはならぬこと。我に自覚が足りなかった。
──それとも、我の謝罪を、受け入れては、くれぬのか……?」
──なんか思い出してしまった。
『そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな』
『少年の日の思い出』──ええと、作者は……忘れた。ドイツのノーベル賞作家だったっけ?
中学一年の国語の先生が、罪と罰と謝罪の意味を、この教材でえらく力を入れて説明していた。
罰とは、罪を償うためのもので、だからエーミールから罰してすらもらえなかった「少年」は、最後まで罪を赦してもらえなかったのだ、主人公はそれを、大人になった今も引きずっている──
なんであんなトラウマ作品を、夢と希望に満ちた中学一年で読まなきゃならなかったのか。
ていうか、あれこそ主人公のトラウマの物語だろ、などと思ったものだ。
──つまりだ、俺が謝らなくていい、というのは、彼女の謝罪を受け入れないということで、彼女の罪……罪? それを赦さない、ということになってしまうわけか。
「……ああもう、わかったよ。俺は気にしてないし、むしろもう、飲ませてあげれなくてこっちが申し訳ないって思ったくらいなんだから」
「……いじわる、などと言ったのに、それでもなお、我に飲ませたいと思ったというのか?
──そなたは、なんというお人好しなのだ、そんな生き方では……」
信じられないといった様子で首を振る。
「……そなたは、誰かの庇護のもとにないと、よくない風にあおられて、そのまま闇の彼方へ消えてしまいそうだ。やはり我が庇護してやる、我の力の届く限り。アイノライアーナ嬢とともに」
へいへい……と言いかけて、最後の言葉に引っかかる。
「ルティ。アイノライアーナ嬢って……」
すると、オルテンシーナはぽんと手を打ち、にんまりとして言った。
「そうだ、話の途中だった。すっかり忘れておったわ。
──この場所、
──まて。
「……どういう意味だ?」
「どういうもなにも、そのままだ」
「いや、逢引とか、どちらが先とか、その意味が分からん。誰と誰の話だ?」
「知れたことを。そなたとアイノライアーナ嬢に決まっておるではないか」
──え?
もっと分からない。
それに、さっきから何度か耳にしているアイノライアーナって……?
「やはりそなたは『尻埋め顔』でよいかもしれぬな」
ため息をつくオルテンシーナ。
「そなたらの流儀で呼ぶとしようか。イノリア嬢だ。
この場はそなたとイノリア嬢の逢引の場であろう? いまさら知らぬ振りなどせんでよい、どちらが先に、この空間を見つけたのだ?」
「……は!?」
──え? ちょ……え!?
俺が、イノリアと、逢引!?
逢引って、つまりデートのことだよな?
俺とイノリアが、デート!?
「ほれ、あの、重なる生垣に隠れた絶妙な出入り口。よくもまあ、あんなところに出入り口をこしらえたものよ。あれは、そなたらが逢引を重ねてできたものであろう?」
あの、狭い通路……アレが!?
「なぜ知っている、という顔か? ふふん、王族たる者、臣下の動向の把握に努めるなど、当然のことであろう?」
自分でも、ぎこちない動きだと自覚できるカクカクした、ぎぎぃぃ~っ、と音がしそうな動きで、俺はオルテンシーナのほうを見た。
「な、なな、なんだその目は。お、怒っておるのか?
──そ、そなたが悪いのだぞ? 我がここを通りかかったときにだな、……男と女の、その……ち、乳繰り合っている声が聞こえてきてだな……!」
「──で?」
「い、いひゃい! ほれ! まひゃ! あぅじのほっふぇをひっふぁるえない──いひゃい、いひゃいの、やめ……」
オルテンシーナの両のほっぺを引っ張って引き出した情報によると。
要は、その……男と女の、
「あ、いや、その……
そ、そなたは我の飼い犬だからな! イノリアも、我の侍女であることだし! べ、別にそなたらが何をしていようと、好き合おうているのなら当然のことであろう?
だ、第一、愛玩しておる獣に、こ……
しどろもどろに、かつ早口という器用な芸当をしてみせるオルテンシーナ。
だが、そんな面白芸など、俺にとってはどうでもいいことだった。
『仔ができるのは、飼い主の楽しみの一つ』
それこそ人生最大のショックだった。
う、嘘だ……嘘だろ……おい……!!
俺が、イノリアとシた!? 子供ができるようなコトを!?
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