第17話:可愛くないからです!

 オルテンシーナを、王族の姫君を、『オウルァティーネ』という愛称で呼ぶ。

 ……そんなことしていいのか?


 ないない、ありえない。そんな、周りの人間から嫉妬されそうなこと、やめとくべきだ。

 第一、元の名前と比べて全然短くなってないし、すっげー言いにくい。オルテンシーナのほうが何倍も発音しやすい!


「い、いえそれは、オルテン──」

「『オウルァティーネ』と呼び捨てよ。今、ここにはそなたと我しかおらぬ」

「い、いや、その……」

「『オウルァティーネ』だ。そう呼べと命じたであろう? そなたは我がうておる犬。そして我は、そなたの飼い主ぞ。犬は主あるじの言うことを聞くものよ」


 ぞっとするような冷たい目でにらまれる。

 これが王族の威厳というやつか。正直、背筋が寒くなる。


「……オルテンシーナ様」

「そなたも頑固よの。どうして我の言うとおりにせぬのだ」

「あ、……いや、その……」


 まさか長いし発音しにくいから、なんて言えるものか。


「よい。許す。後になって言われるのは癪だ、いま言うがよい」

「……いえ、あの……」


 まだ言いよどんだ俺の両方の頬を、オルテンシーナがつまむ。


「言うがよい。命令ぞ」


 ああもう、どうにでもなーれ!


「……長いし、発音しづらいから──っと、あと、可愛くないからです!」


 言えと言われたから正直に言い始めたその瞬間から眉根がギュッと寄せられたのを見て、慌てて適当にもう一つでっちあげる。

 ──そして、内心頭を抱えた。


 ……可愛くないってなんだよ!


 表面上は辛うじてへらへら笑って見せるが、もう腹の底が冷たくて仕方がない。

 まずいまずい、絶対まずい! 一体この後どう言い訳をすれば怒りを回避できる?

 いや確かにその愛称は俺的に可愛くないけど、一番フォローが効きそうにないこと言っちまったよ、どうすればいい!?


 そんな、じっとり嫌な汗が吹き出しまくっている俺とは対照的に、オルテンシーナは目を伏せ、考え込むようなそぶりを見せた。


「可愛くない──かわいく、ない? 我の愛称として?

 威厳がない、でなく……か、かわいく、ない?

 ……え? じゃあ、可愛い方がいい? 我の愛称を、可愛くしたほうがいい……?」


 なんだか予想以上に悩み始める。


「……ヨシマサ。我の愛称は、可愛くないのか?」

「ぅあっっと……え、ええとですね……」

「可愛くないのだな?」

「お、俺の感覚では、ええとまあ、その……」

「……かわいく、ないのだな」


 なにやら顎に手を当ててしばらくぶつぶつ言っていたが、「決めた」というと、にんまりとした笑顔をこちらに向けた。


「ヨシマサ。そなたの考える『可愛い』愛称を、いますぐ我に贈るのだ。そなたが愛しておるアイノライアーナ嬢よりも、可愛らしい愛称を、な?」


 ……まて。

 今速攻で三つばかり突っ込みたいことがあったぞ。


 一つ、俺の考える愛称って、この国の言葉の法則を無視してしまっていいのか?


 二つ、「我に贈れ」って、なんで愛称がプレゼントみたいになってるんだ? むしろ


 そして三つ! 最大限の力で突っ込みたい、、だって?


「そなたに考えろと言ったのだ、そなたが可愛いと思ってくれるならそれでよい。そなたの感性で我を可愛くせよ。

 それからのはぞ? その機会をくれてやるのだ、感謝するがよい」

「……だから、それが突っ込みどころなんだって!

 なんで異邦人の、しかも庶民が、王女様の愛称を気軽につけることができるんだよ! 恐れ多すぎてできねえよ!」

「大丈夫だ。我が命じたのだからな。それから勘違いしておるようだが、出自はなんであれ、そなたは我の食客しょっかくで、国にとっての賓客ひんきゃくで、我が命じた宮廷騎士ぞ。

 そなた自身の格は高くなくとも、待遇は決して低くはない。何より、我に命を捧げる騎士である。ゆえに、我に名を奉ずる資格はある。

 ──さあ、遠慮なく名誉をるがいい」


 これが異文化コミュニケーション、てやつか。話が通じない。


「あと、最後は王族である以前に女の身である我としても許せん質問だな。誰が誰を愛しておるか、だと? なぜそんな下らぬ質問が飛ぶ。そんな下らぬことを我に答えさせる暇があったら、さっさと名を贈るがよい」


 ……だから、簡単に言うんじゃねえって。

 名誉ってのは、誰だって欲しいに決まっている。それを、異邦人がホイホイかっさらっていったりしたら、間違いなくねたそねみの嵐が起こる。下手したら、俺の命が危ない。


「……じゃあ、一つだけ条件がある」

「ほう? 我に条件をつけるとは、いい度胸をしておるな?」


 オルテンシーナの目がすうっと細くなる。……怖い! 必死に笑顔を維持する。でも、きっとこの痩せ我慢、見抜かれてる……!


「──まあよい、言うてみよ。内容によっては聞いてやらんでもない」

「俺の案だということを、秘密にしてくれ。そしたら考える」

「なぜだ。そんなことはできぬ。名を贈るのは最大級の名誉だと言ったろう。名誉はよくするべきぞ」

「余計な嫉妬を買いたくないんだよ。王女様に愛称を贈ったなんて広く知られたら、余計な嫉妬を買って、めんどくさいことになるに決まってる」


 俺の言葉に、彼女は眉根を寄せた。下らぬ心配を、とため息をつく。


「我が庇護するのだ、問題あるまい」

「世の中、月夜の晩だけじゃない、ってことだよ。いつ、どんなときに、どんな危険があるか。俺は自分が弱いっていう自覚があるんだから、余計な危険を背負いたくない。

 ──そんな、俺の事情をちゃんと汲んでくれる優しい主君さまのためだっていうんなら、がんばって考えるよ」

「強くなればよいではないか」

「仮にそう努力するとしても、実際に強くなるためには何年もかかる。俺が敵なら、弱いうちに闇討ちするね」


 自分で言っていて情けないが、説得力はあるように思った。我ながらナイス言い訳。


「……うう、どうしても、だめか?」

「じゃあ俺、騎士やめる。やめて国を出れば、名づけなんかしなくていいよな」


 まあ、実際のところ夢から覚めてしまえば、今のやり取りも強制も、なんの意味もなくなるわけなんだけどな。そう思って軽口をたたいてみると、思ってもみない反応が返ってきた。


「な、何を言うのだ。そなたは我の遇する賓客で、我の任じた騎士ぞ! だめだだめだ、そんな勝手は許されぬ!」


 身を乗り出し俺の手を掴んで一気に言い切り、そしてはしたない行為だとでも気づいたのか、目をそらして俺の膝の上から下りる。

 一言、すまぬと詫びてみせてから、「──それでも、出奔しゅっぽんは許さぬ」と付け加えた。


「でも、主君の横暴を、身を挺してさとすのも、騎士の忠義の一つだよな。俺は、家臣のことを考えてくれない主君の目を覚まさせるために、騎士をやめて王宮を出る。うん、美しい忠誠心だよな」

「わ、分かった。分かったヨシマサ、我の負けだ。広く公表はせぬ。それは誓おう」


 続けてからかうと、オルテンシーナはひどく寂しそうな眼をして、譲歩してみせた。


「──誓うから……我に、名を、贈ってくれぬか? その──そなたが、可愛いと思ってくれる名を」


 ……反則だ、その上目遣いは。


「はいはい。その代わり、俺のセンスなんてあてにしないでくれよ?」




 しばらく考える。


 オルテンシーナ。

 ルテシー。あ、オンナ。もういいやコイツにするか? ──納得するわけないか。


 オルテン。折る点? 何を折るんだ? それからボールのメーカーに、近い名前があったっけ。あれはオじゃなくてモだった。


 じゃあシーナは。しいなって、たしか殻ばっかで中身がない、できそこないの実のことで、そっから役に立たないとか、そういう意味の言葉だって聞いたことある。たしか倉木のおすすめ鬱アニメのなかであったぞ。女の子として最低の名前だ、ボツ。


 ルテン……流転か。放浪するみたいな感じだな。王族が放浪したらやばいだろう。


 オルナ。何を折るな? ボツ。


 逆読みでナンシー……ウチの高校のALTのおばちゃんだよ。テルオに至っては古典の照男てるおじゃねえか。シリーズ・ザ・ウチの高校教師かよ。それも、後者に至ってはザビエル頭の照男と同じ名前なんて、気の毒すぎる。


 ──ああ、ダメだ。全然イイのが思い浮かばねえ。


 頭をくしゃくしゃやっていると、そんな俺を、膝を抱え、その膝に頬を乗せて、嬉しそうに微笑みながら待っているオルテンシーナと目が合う。

 くそっ、気楽なもんだ。


「ヨシマサ。我は、期待しておるぞ? そなたが、こうやって真剣に考えて贈ってくれる、その想いを。

 ──どんな名であれ、そなたから贈られた名を、我は終生、大切にするからな?」


 ふふ、と小さく笑ってそんな可愛いことを言われたら、もういい加減な愛称、つけれねえよ!

 くそう、さすが王族だ。人間の扱い方をしっかりと理解してやがる。ひそかに、思いつかなかったら黄金ドリルとか太陽系最外縁天体群オールトの雲とか、意味もなく権蔵ごんぞうとか付けてやれ、などと考えていたことに釘を刺された思いだ。


 ──ああもう、マジでどうしよう。あんな可愛いこと言われて期待されて、変な名前なんか贈れねえよ!

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