第16話:それっていわゆる変態紳士だろ!

 そのとき、何やら声が聞こえてきた。


『姫様ーっ! どちらにおいでですかーっ!』


 姫様。

 俺の知っている姫様と言えば、オルテンシーナ姫、だったか。アレしか知らない。


 ……だめだ、せっかく今まで忘れてたのに、また思い出しちゃったよ。手のひらで、息も絶え絶えに俺に手を差し伸べた、あの姿を。


 声と足音がこちらのほうに近づいてくる。

 ──ヤバイ! 今見つかったら俺はスパイかアサシンか、どちらにせよ持ってもいない情報を吐くまで拷問を食らって、……殺されるか、廃人か。


 きょろきょろと眺め回すと、ちょうど一人分、なにやら垣根に、葉の乱れが見られる場所が一か所あった。

 最小限の損害で通り抜けることができそうだ。

 ジャージの膝が汚れそうなのはしょうがない、とりあえず隠れることにする。


 しかし意外に苦行だった。細かな葉と細く絡まった枝が顔にぐさぐさと刺さる。

 慌てて下を向き、脳天でかき分けるように前進。明るくなってきたので、やれやれと顔を前に向けようとした瞬間。

 弾力のある何か──少し空気の抜けたバレーボールか何かのような感触のものに、顔がめり込む。


『ひむっ!?』


 何かの音が聞こえ、その障害物を押しのけようと思ったとき、しかし後ろの方から姫捜索隊と思われる女性の声が近づいてくる。


『姫さまー!? 賊が侵入したようなのです! すぐに、すぐに出てきてくださーい!』


 ──ヤバい! 音を立てたら見つかる! 俺はボール状のものに顔を埋めたまま、動きを止め、息を殺す。

 このボールがまた、生暖かいうえに左右にゆらゆら揺れるのが恐ろしい。


 足音からして、しばらく周りをうろついている感覚はあったが、やがてあきらめたのか、どこかへ行ったようだった。

 もう、木の根が膝に食い込んで痛くてしょうがない。

 さっさと目の前の障害物を押しのけて前進することにする。


 ペットボトルを握ったままの、グーの右手でそれをグイっと押す。


『きゃうっ!?』


 何かの鳴き声みたいなものが聞こえた。

 ──まさか俺、犬か何かの体に顔を押し付けてたのか?

 そう言えば、妙に温かかった。

 と、それが前進すると、ばさばさっと小枝が俺のほうに跳ね返ってくる。

 前のそいつが巻き込んでいった小枝などが、その反動で顔に襲い掛かってきたのだ。

 小枝や葉が当たる。もう少しで目に入るところだった、クソッ!


 とにかく、膝に木の根やら小石やらが食い込んで、本当に痛い。さっさと出てしまうことにする。頭を下げ、目を閉じ、とにかく前進する。


 ──と、四つん這いで進んでいた、その左手が、太い棒のようなものを掴み、そのまま押し下げ──


『ひっ……!』


 女性の声らしきものが聞こえたかと思ったら、右からこれまた太い棒のようなものが俺の肩を横殴りに襲う。


 泥棒除けのトラップか何かか!?

 俺は慌てて身を起こ──そうとして頭や背中が引っ掛かり、そのまま前のめりにつんのめり、転倒し──


『ふぎゅっ!』


 ふかふかに柔らかいんだかごつごつ骨ばって硬いんだかわからない、クッションのようなものに身を投げ出していた。


「い、てて、くそっ!」


 左手で地面を突いて身を起こそうとし──

 ふにょんと、柔らかい塊を掴んだことを知る。


 改めて、俺は、

 自分がのしかかっているそこには、

 緑の布地が地面に広がっていて、

 その中身があることに気づき、

 その中身……


「ぶっ、ぶれっ……!!」


 慌てて左手をどけ──たのがいけなかった。

 簡単な物理法則。

 つっかえ棒がなくなれば、支えられていたものは、重力にひかれて、

 倒れる。


「ぶみゅ」


 オルテンシーナ姫は、それ以上、口を開かなかった。


 ──単に、倒れ込んだ俺に口をふさがれてしまって、それ以上口を利くことができなかっただけなんだけど。




「……そなた、初めて見たときも命知らずの立ち回りであったよな」

「す、すいません!」


 俺の初めての対面といったら、あんたスプラッタな死に方していて、きっとあんたの方が命知らずなことをやらかしていたと思うんだが、まあ、それはこっちの都合だ。

 とりあえず頭を下げておく。


「まあよい。これは事故じゃ。そなたと我のあいだには何もなかった。そうよな?」

「すいません!」

「愚か者め、せめて『申し訳ございませぬ、麗しきオルテンシーナ姫』くらいは言わぬか」

「……すいません、『申し訳ございませぬ、麗しきオルテンシーナ姫』」

「言われた通りに言うでないわ、自分で修辞句を付け加えるくらいせぬか、この愚か者め」


 ボロッカスな言われようだ。


「……気にせんでよいぞ。犬に顔を舐められて、唇の純潔を奪われたなどと抜かす愚か者はおるまい?

 ──我は、ヨシマサという飼い犬に、……顔を舐められたようなものよ」


 俺が身を隠すためにもぐりこんだ生け垣の先にいた先客は、あろうことか、オルテンシーナ姫だった。

 なんでこんなところに姫君が、というのは、ごく自然な疑問だったはずだが、聞こうとしたら、彼女が手にしていた枝で顔をひっぱたかれた。


 俺のジャージ姿を見て、奇妙な成りをしおって、と呆れてはいたが、しかし、ペコペコと頭を下げる俺を見て一応怒りは収まったようで、ふん、と鼻を鳴らし──慌てて扇で隠そうとするが扇を持っていないことに気づいたみたいで、両手で口元を押さえる。


 ──ああ、さっき、イノリアがやってた仕草だ。

 イノリアが顔を赤らめてやってたら可愛かったが、この縦ロール女がこっちをにらみながらやっても、全然可愛らしくない。というか、ふてぶてしい。


「……無礼者。いま、我に無礼なことを考えていたであろう」


 なぜバレたし。

 ……貴族社会の出の人間ってのは、人間観察力に優れているのかもしれない。朝から晩まで顔色を窺ってくる連中を相手にしなきゃならないんだ、そういうスキルが磨かれるんだろうな。


「すいません。思ってました」


 正直に言うと、オルテンシーナは目を丸くし、そして、顔がじわじわ緩んできて、しまいには、必死にこらえるようにくっくっと笑い始めた。


「お、おぬ、し……! 馬鹿正直にも、ほ、ほどがあろう……!」




 話してみると、オルテンシーナは、ずいぶん人だということが分かった。あのサロンで見た威圧感というか威厳というか、ああいうのは、あの場だから保たねばならない体裁、というやつらしい。


「そなたは楽よな。我の賓客として、特例の宮廷騎士として、日がな一日、何か仕事や役割を求められるでもなく、こうしてぶらぶらとしておることができる」


 ……楽、というのはちょっと違うと言いたい。これでも、結構神経をすり減らしてるんだ。

 そう言うと、オルテンシーナは「そんなわけなかろう」と口を尖らせた。


「我など、朝から晩まで、礼法にダンスに楽器に古典に詩歌に算術に……一日中、息が詰まってならぬ。なんなら代わってやろうか」

「やめときます」

「まったく、それよそれ。我にそのような口の利き方をするなど、そなたをおいては兄上以外にあり得ぬ。

 いちど、我の代わりに礼法を学ばせてやるからな。そなたも紳士になるがよい」

「もう十分紳士なんでいらないです」


 俺の一言に、彼女は目を真ん丸にして、そして、再び、こらえきれないのを必死にこらえるようにくっくっと笑いだす。


「し、紳士……! わ、……我の……、我の尻に顔を埋めておった男が……紳士とな!」


 ──し、尻!?


「え!? い、いや、俺、そんな──いや! そんなことなんてして……!」

「おまけに、あ、あろうことか、われの、我の胸を掴んで、唇を奪っておいて……、紳士!」


 な、ならべられると、すげぇマズいことしてんな俺──!


「よいぞ……! よいぞそなた、最高じゃ……! こ、これからは『尻埋め顔の騎士ヨシマサ』だ! それ以外名乗ることは許さぬからな……!!」


 芝生をぱふぱふと叩きながら、必死に声を抑えつつ笑い転げる。


「ちょ、ちょっと待てよ! 『尻埋め顔の騎士』ってなんだよ、それが俺の称号だって!? 紳士は紳士でも、それっていわゆる変態紳士だろ!」

「うる、さいわ『尻埋め顔の騎士』……!」


 自分で言って、一人で声を抑えながら笑い転げている。王族って、器用だ。




「ああ、笑った笑った。ひと月分の笑いを得た思いだ、『尻顔』」


 ついに略称までできた。

 くそっ……コイツ、自分が王族だと思って。


「……オルテンシーナ様、俺は──」

「うるさい。その名で呼ぶでない」


 ぴしゃりと黙らされる。くそ、歳は同じくらいに見えるのに、こういう時の威圧感は。


「……『麗しきオルテンシーナ姫』様」

「うるさいと言うておる」

「じゃあ、お前のこと、なんて呼べばいいんだよ」


 こっちもふてくされて、おもわず普通にしゃべってしまった。


 慌てて口を閉じ、正座する。


「あっ……いや、その……!」


 出てしまった言葉はもう取り消せない。「ですます」すらもない言い方をしてしまった──ヤバイ!


 ところが、焦る俺に、オルテンシーナは見開いた眼をぱちぱちとさせて、そして、

 ──にんまりと、笑って見せた。


「いいな。その、街の人間のような物言いは」


 カントリー風というやつか、と、にまにましている彼女に、嫌な予感がして謝ろうと口を開こうとして、しかしその口を、人差し指でふさがれた。


「これからな? 我の個人的な呼び出しを受けた際には、そのように話すとよいぞ? カントリー風というのは、我もなかなか、憧れがあったのよ」


 カントリー風。

 そう言えば歴史の先生、マリー・アントワネットも、カントリー風というのにあこがれて、わざわざ庭園に農家のような家を建てさせて、田舎風生活のままごとみたいなこと楽しんでいた、みたいなことを言っていたか?

 知らないからこそ、そういう生活をしてみたいと思うのか。


「ああ、それと我のことは、我と、我が信を置くものとだけでいるときに限り、オウルァティーネと呼ぶがよい。

 ──よいな? オウルァティーネぞ?」


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