第15話:この夢がつながる先は

「むしろラインヴァルトとイノリアの組み合わせは、俺は素敵だと思ってるよ?」

「ヨシくん……!?」


 信じられないものを見るように振り向くイノリア。


「……ほう? まさか、君がそんなことを言うとは。それはまた、なぜだい?」


 目がすうっと細くなるラインヴァルト。

 そして、これまた信じられないものを見るように目を見開いて俺を凝視する、珍しい姿を見せるナイヤンディール。


 イノリアの身に降りかかる、あの悲劇。

 彼女がこれほど生き生きしているのは、あの悲劇が、まだ彼女に降りかかっていないからだ。


 そして、俺が考えた「実はラインヴァルトは王族」の設定が、この夢に反映されたのだとしたら、結末を変えることができるのかもしれないのだ。


 つまり、腹が立つほどいろいろそろったこの男が、恋人としてイノリアのそばにいれば、彼女はあの悲劇を回避できるかもしれないのだ。

 王族なら、ナイヤンディールのように腕の立つ従者が付くのも納得だし、その王族が彼女を守るなら、あんなチンピラなんかに彼女がひどい目にあわされることもなくなるはずだ。


 ──ここだ。

 ここがおそらく、彼女の運命の分岐点なんだ。

 彼女の悲劇を、回避するための。


「ラインヴァルトには、イノリアを守ってあげてほしいんだ」


 俺の言葉に、ラインヴァルトの目が、さらに険しくなる。


「──どういう、意味かな?」


 ナイヤンディールの目も鋭くなる。

 ……どうしたのだろう。


「いや、そのまんま。彼女、いい子だろ? からさ。彼女をだろう?」


 未来のことを言うことは、もしかしたらタブーかもしれない。けれど、におわすことくらいはできるはずだ。


「……それは、皮肉で言っているのかい?」


 ナイヤンディールの右手が、腰の剣に伸びているのが怖い。なんでまた、そんな殺気立つんだ。まずい。ラインヴァルトの機嫌を損ねた?


「いや、俺がそんな性格じゃないの知ってるんじゃないのか? 俺はさ、に、んだよ」


「ヨシ、くん……? それ、どういう意味? ねえ、どういう意味なの、ヨシくん……!」


 俺の服の袖をつかみ、なにやら必死に訴えるイノリア。

 ……しまった、しゃべり過ぎたか?

 言われてみれば、確かに、何かあったら守ってほしいとか、幸せになってほしいとか……まるで彼女に何かあるみたいな言い方だった。ぼかすように言ったつもりで、結局ストレートだった、やらかした!


「あ、いや──ほんと、なんもないよ。ただ、俺はイノリアとラインヴァルトはお似合いだって、そう思ってるだけで……」

「うそ! うそでしょ! 何を隠してるの、ヨシくん! あなたが自分からそんなことを言うなんて──」


 しまいには血相を変えて掴みかかってきたイノリアに、さすがにマズったと自覚する。

 ヤバい。

 これ、収拾がつかんやつだ。


 彼女の耳に口を寄せ、そっと、小声で言う。


「いや、ほら……、イノリアもう、って言ってただろ? もう俺じゃ、力になれないからさ。

 ──でも、ラインヴァルトなら大丈夫! 君を守ってくれる、絶対に!」


 イノリアの動きが止まった。

 大きく、これ以上ないくらいに大きく目を見開いて。

 ゆっくり首を振り、震える口から、かすかに聞こえる言葉が漏れてくる。


「ち、……ちが……、わ、わたし、そんな……そんな意味じゃ……」


 彼女が硬直している間にその手をほどくと、服を整える。


「というわけでラインヴァルト。彼女のこと、マジで、よろしくお願いします!」


 大きく頭を下げる。高校入試の面接練習、そして卒業式までに散々練習した、最敬礼ってやつだ。両腕はまっすぐ体に添わせ、手はズボンの縫い目に合わせてポケットの高さで固定。斜め四十五度、かっちり動きを止めて三秒。


「……変わった礼法だな?」

「そうか? 俺の国では、これが一番敬意を示す礼だって、教えてもらったんだけど」


 ほぼにらみつけるようだったラインヴァルトの目が、ふっと緩む。


「……君がそれでいいなら、私は大歓迎だ。君とは、これからもよい関係が築けそうだね?」

「ああ、よろしく。イノリアを、頼む」

「ふっ……言われずともだ」


 ラインヴァルトが手を差し出してくる。俺もその手を握る。


 力強い手だった、意外だった。

 優男かと思ったら、ごつごつした手のひらだった。

 俺のほうがよっぽど、ふにゃふにゃの手だ。

 多分、剣の練習とかで、鍛えられているんだろう。

 ナイヤンディールの目は、相変わらず厳しい。

 というより、なんというか、嫌悪感丸出しだ。

 自分が主人一番の従者だから、というプライドで俺に嫉妬?

 ……まあ、それはないか。


 これで、イノリアは大丈夫。そう思ったのだが。


「……ねえ、ヨシくん……。

 どうして……? ねえ、怒ってるの……?

 わ、わたし……そんなつもりで、言ったんじゃ……」


 振り返ると、右手で胸元をぎゅっと握るようにして、イノリアが、涙をこぼしていた。


 ……なぜ、そこで泣くんだ?


「ええと、じゃあ、あとはその……ラインヴァルト、頼む!」


 いたたまれなくなって、俺は、庭の出口に向かって走り出した。


「待って……まってヨシくん! どうして! ねえ、どうして!!」


 悲痛な叫び声が背中から追いかけてくる。


 これでいい。

 ラインヴァルトが彼女を守れば、彼女はこの先の悲劇を回避することができるはずだ。


 もし仮にラインヴァルトが王族でなかったとしても、超高級品の紅茶を惜しげもなくおごる金持ちなんだ。

 間違いなく、いずれ彼女は幸せになれる。

 そうしたら、もしかしたら、この夢の結末を、変えることができるかもしれない……いや、変えることができるはずだ!

 俺にはもう、確かめる術なんてないけれど。


 ちらりと、後ろを振り返る。


 後ろから抱きしめられたイノリアが、ラインヴァルトのほうに顔を向け、

 ──キスをしているところだった。


 そばに控えているナイヤンディールが、顔を背けている。


 それでいい。

 それで、この夢がつながる先は、ハッピーエンドのはずだ……!




 一度、確かに、起きた気がする。

 真っ暗な中、妙に喉が渇いて目を覚まし、ひどくだるい体を引きずるようにダイニングにたどり着いた俺は、茶をがぶ飲みした。

 それでも足りずに、レモン風味の炭酸飲料のペットボトルを手に取ると、それを持って……

 ──そこまでは、たしかに、記憶がある。


 だが、そこから先を思い出せない。

 ベッドに戻ったのだろうか。

 リビングのソファーに座ったのだろうか。

 まさか俺、そのまま、ダイニングの床ででも寝ちまったのだろうか。


 俺は、いつのまに夢の中にいたのだろうか。

 どうして俺は、ジャージのまま、こんな、美しい庭園にいるのだろうか。

 なぜ、こんなにも、体がだるいのか。

 まるで、ついさっきまで、全力で走っていたかのように……


『……いたか!』

『いません! この先ですと、もう王女の──』


 遠くの方から、なにやら声が聞こえてくる。


『堂々とあんな怪しい恰好で──』

『もうすぐ日が沈む、黒服はそれを狙って──』

『おそらく間者──』

『──を狙う暗殺者のおそれも──』

『見つけ次第とらえて吐かせろ──』

『黒髪の、黒いおかしな服の──』


 間者──スパイだっけ?

 とらえて吐かせろ──ゲロじゃあるまい、情報……?

 黒髪で、黒い服……


 そして、気づく。

 黒髪で黒いジャージ……ひょっとして、間者とか暗殺者とかって、俺のこと……!?


 声が近づいてくる。

 や、ヤバイ!?

 俺は慌てて、庭園の奥に逃げ込む。


 どこをどう走ったのか、覚えていない。

 くそ、いくら俺が三千メートル障害物S C選手だったからって、はだしで石畳の道を走るなんて想定してなかったよ! いてぇよちくしょう!


 今までの夢は、俺は、その世界らしい服装をしていた気がする。目の前の人間とのコミュニケーションをとるのに必死で、自分の服装なんか詳しく観察しなかったからよく分からないが。


 だから言いたい、なんで今回に限ってジャージなんだよ俺!

 おかげでスパイかアサシン扱いだよクソッ!

 今回ばかりは、もうさっさと覚めてほしい。

 一体いつまで俺は、この夢の中で鬼ごっこをしなきゃならないんだ。




 ……ここがどこかは分からない。

 ただ、どこかの庭だってことは分かる。

 丁寧に刈り込まれた木々、咲き乱れる花々が、この庭園の持ち主が相当な金持ちだということを示しているのが分かるくらいで。


 木の陰、生け垣の陰に隠れながら、俺はしかし、どうしたらいいか分からず途方に暮れていた。

 そして、今さらながら、右手に未開封の「お~いレモンCC」のペットボトルを持っていたことに気づく。


 ──ペットボトル?

 ペ ッ ト ボ ト ル !?


「……え、ちょっとまって? なんで俺、夢に、ジャージで、ペットボトル……?」


 今回の夢は、いろいろ、例外だらけだ……?

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