第11話:彼女を傷つけてばかりの俺は

「お嬢様は、どなたにもお会いになりません」


 例の執事──トラバーといったっけ?

 アイツが最初に登場した時、同じ夢かと思った。


 だが、違った。鉄の格子の門の前ではなく、家の中だった。

 泣き叫ぶ声が、小さく聞こえてくる。

 ──奥のドアの、向こうから。


 確かに俺の名を挙げ、そして、悲痛な、助けを呼ぶ声。

 それでもなお、トラバーは眉ひとつあげることなく、淡々と述べた。


「お嬢様は、どなたにもお会いになりません」

「──いま、俺を呼んでたじゃないか」

「お嬢様は、どなたにもお会いになりません」

「今、俺の名を呼んでただろ!」

「お嬢様は、どなたにもお会いになりません」


 頑固に通路をふさぐトラバー。

 ヤツの背後からは、どう考えても俺の名を呼んでいるイノリアの悲鳴が聞こえてくるのだ。

 会わなければならない。

 俺は、今こそ、どうしても会わなければならない気がする。


「──なりません。これより先は、どなたもお通しできません」


 無理に押し通ろうとした俺の肩を掴むトラバーを押しのけようとしたが、まるで万力でつかまれたかのように、俺の腕は動かせなかった。


「離せよ! イノリアが呼んでるんだ!」

「なればこそです。これ以上無理を通そうというのであれば、人を呼びますぞ?」

「勝手に呼べよ、俺はイノリアに会いに行くだけだ!」

「ヨシマサ殿──御免!」


 ──天地がひっくり返る。

 ふわりと浮いた体は、驚くほど静かに宙を舞い、

 そして、床にたたきつけられた。




「──ってえっ!」


 強烈な衝撃に、目が覚める。

 後頭部が、ガンガンする。

 身を起こすと、床だった。ベッドから落ちたらしい。

 悪態をつきながら起きようとして毛布が足に絡みつき、盛大にコケる。くそっ、泣き面に蜂ってやつか。


 スマホを探して時間を確認する。時間は──

 午後十一時。

 まただ。また仮眠のつもりで、寝過ごした。

 明日が土曜日で助かった。これが木曜日とかだと、明日提出の課題で死ぬところだった。


 ため息をついて、ベッドに戻──りかけて、喉の渇きを潤そうと、ダイニングに向かった。


 そして、少し、驚いた。

 ──母がいた。




「なあに、相談って。珍しい」

「……昨日、相談したいならしろ、みたいなのメモに書いてたじゃん」


 母は、俺の制服の取れかけていた袖のボタンを縫っている。


「ああ、最近、やけに寝苦しそうにしてるから。その割に起きてこないし。今日もお夕飯、食べないまま起きなかったし」


「……あのさ、母さんに聞きたいんだけど」


 俺はしばらく、聞こうか聞くまいか悩んでいたが、思い切って聞いた。


「……ほんとは会いたい人がいるのに、その人に会いたくない……そんな風に思うときって、ある? あった?」

「なあにそれ、なぞなぞ?」


 手を止めることなく、母は続ける。


「あなたは、そういう思いになったことがあるの?」

「ないから聞いてんだよ。それに、母さんも、イチオウ女の子……だったんだからさ」

「ふうん……。なあに、好きな人から嫌われでもしたの?」


 剛速球を胸にぶち込まれたような衝撃だった。


「ちっ……違うって! なんでそうなるんだよ!」

「そう? だって、会いたいのに会いたくないんでしょ? 大ゲンカでもして、会いたいはずなのに合わせる顔がない、なんてときが、そんな気持ちなんじゃないの?」

「ケンカなんかしてねえって!」

「あら、じゃあ好きな人がいるのはほんとなんだ。お母さん、全然気がつかなかったわあ」


 母の中では、俺には好きな子がいるというのは確定になったようだ。


「で、どこの、なんていう子?」

「だから! 違うって! 好きとかそんなんじゃないって!」

「じゃあ、気になる子はいるのね。ああよかった、よっちゃん、全然そういうそぶり見せなかったから」


 だめだ、話が進まない。


「だ・か・ら! ……ええと、友達から聞いた話なんだけど!」

「はいはい。お友達ね。はいはい」

「……ホントなんだって!」


 母は大して信じた様子もなかったが、とりあえず「友達から聞いた話」として、さっきの夢の内容をかいつまんで話した。


「……入院しているのが、女の子なのね?」


 母は、しばらく考え込んでいた。


「それで、ひどいけがを負ったかもしれないのね?」


 二晩がかりの乱暴の話は、事故でケガ、に置き換えた。さすがに女性が乱暴されたと、そのままいうわけにはいかなかったからだ。


「……たぶん、会いたいのは本当ね。そして、会いたくないのも本当……かな」


 母は、どこか、辛そうな表情をした。


「だって、きっと事故のあとで不安だったに違いなもの。会いたいに決まっているわ。でも……」

「でも?」

「会いたくないのも、あるかもしれないわね。今の自分を、見られたくなくて──」


 だって、女の子はやっぱり、好きな人には綺麗な自分を見てもらいたいから。

 母はそうやって笑い、──ため息をついた。


「あとね……見せたくないのも、あるんじゃないかしら。これは、家族が、の話ね?

 ……その話、本当は、事故のケガじゃないんでしょ?」

「……え?」

「だって、家族が、その子の知人が原因でもないのに会わせたがらないなんて、不自然でしょう?

 ……会わせたくない──そうね、に近い、何かなんじゃないかしら?」


 不祥事……不祥事って、どういうことだ?

 首を傾げた俺に、母は、目を伏せた。


「女の子にとって、とってもつらいことよ? それで察してくれると、お母さん、うれしいな」


 おもわず椅子をけるように立ち上がってしまう。

 俺はそんな情報、含めなかったはずだ。


「母さんは、どうして、そんなこと……」

「よっちゃんには、よく天然ボケって言われるけれど。よっちゃんが言う通り、お母さんも一応、女の子んですからね? 恋もしたし、辛い思いもしたことがあるのよ?」


 取れかかったボタンだけでなく、この際にとばかりに、袖の全てのボタンの糸を変えてしまった母は、最後のボタンの糸の始末をする。


「ねえ、よっちゃん。

 どんな人を好きになったかは分からないけど、そばにいてあげるだけでも、その子の生きる力になると思うの」


 ──そばに、いてあげるだけで?

 オウム返ししかできなかった俺に、母は、小さく微笑んでうなずいた。


「もしかしたら、その瞬間は、その子を傷つけるかもしれないわね。──拒否されるかもしれない。

 ──でもね、そうやって相手の愛情をたしかめたくなる女の子も、多いのよ?」

「……最初から素直になればいいのに」

「ふふ、男の子も、それは同じでしょう?」


 ──ね、よっちゃん?

 額をつんと、つつかれる。


「男の子なら、力になってあげなきゃだめよ?」




 ──母さんは誤解をしている。

 俺に、好きな人ができたわけじゃない。

 これはあくまでも夢なんだ。


 ──夢、なんだ。


「……くそっ!!」


 さっきの夢を記録していると、どうしようもなくイライラが募ってくる。


 ──これは夢なんだ。

 自分に言い聞かせながら、あの短い夢の中での出来事、会話を、できるだけ再現して。

 ……再現していると、本当に、心が乱れる。


 だめだ、だめだこんなんじゃだめだ。そもそもなんで母さんに相談しようと思っちまったんだ!

 シャーペンを投げ出し、天井を見上げ、しばらく見つめていた時、ネットで見た情報を思い出し、ゾッとする。


 ──夢日記をつけると、現実と夢の区別がつけられなくなり、最後は発狂する。


 今がまさに、その瀬戸際なんじゃないだろうか。

 そもそも夢の内容に、イノリアなんてどこにも実在しない女性に、なんで俺はこんなに真剣になってるんだ。

 思わずノートを床に投げ捨てる。


 そうだ。

 実在しない存在に、なぜそこまで。

 ソシャゲのガチャに何十万も掛けたという話を耳にするたびに。

 倉木がゲームやアニメのキャラを嫁と呼んで執着するのを見て。

 たかがゲームキャラのためになぜそこまで、と笑っていた俺が。


 ……実在、しない?


 いや──はっきりと覚えている。


 肩を抱いた時のぬくもりを。

 触れた髪の柔らかさを。

 零れる雫の温かさを。

 頬の痛みを、胸を穿うがつ痛みを。


 彼女は、確かに、そこにいて、

 俺と、確かに、触れ合ったのだ。


「ちがう、ちがうちがう……! あれは夢! 夢で、現実じゃない!」


 これが、倉木が言っていた「夢に引っ張られる」ってやつか。

 ──倉木なら、夢の世界にハマって帰ってこれなくなるだって?

 俺のほうがハマってるじゃないか、親に相談までして!


 ──だめだ! 本当に、気が狂いそうだ!

 俺は部屋を飛び出すと、呼び止める母に「ちょっとジョグ行ってくるだけだから!」とだけ言い残し、暗い街の中に駆け出した。




「君はあの時、娘のそばにいたんだろう!? どうして……どうして君は、娘に最後まで一緒にいてやらなかったんだ……いてくれなかったんだ!!」


 暑苦しく涙を流すおっさんに肩を掴まれ、揺さぶられている俺。


 おっさんの背後では、の母親が、服が、体が汚れるのも構わず、を抱きしめている。

 ──号泣しながら。


 その傍らに立ち、彼女の母親に何やら声をかけているのは、金髪の、あのイケメンだ。

 ──さも、残念そうにしながら。

 例の従者も、傍にいる。

 ──彼女から、顔をそむけるようにしながら。


 そして彼女は、虚ろな目で、うつむいたまま、

 ただ、だまって、母親に抱かれていた。




 何キロ走ったのだろうか。

 たまたま見つけた公園のベンチで横になっていたら、このざまだ。


 太陽が地平に出るその瞬間まで赤く染まっていた空は、太陽が姿を現すとともに紫、青紫、藍、群青、そして青へと、目まぐるしく変化してゆく。


 こんなにも日の出は美しいのに、俺の胸の中はどろどろだ。

 どうあろうとも、俺はもう、あの夢からは逃れることができないのだろうか。


 夢は、自分の脳が記憶したことを整理する過程で、再生されるものだという。

 ならば、夢の中で傷つく彼女は、俺が、潜在意識の中で、傷つけているのだろうか。

 夢の中で、彼女を傷つけてばかりの俺は、もう、とっくに気が狂っているんだろうか。

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