第10話:シェダインフェールダーの意味

 倉木の突っ込みをかわしながら、俺は続けた。

 ここからだ、大事なのは。




「月の不浄、という話でしたが、それならばもう終わっているはず。いったい、いつまで引きこもっているのですか?

 ──まさか、あの噂は、本当だったと?」


 倉木の言うところのツンキャラ女の隣の女が、イヤミな口の曲げ方で言った。

 ──あの噂。


「あの噂、とは?」


 わざととぼけてみせると、そいつは扇子を口元に当て、大袈裟に驚いてみせた。


「まあ、ご存じありませんこと? 身分卑しい者どもと、みだらな行いをしていたという──」

「ほうほう、なるほど?」


 イヤミ女が、俺の相槌に対してキッとにらみつけてくる。


市井しせいの者ならば、もう誰もが知っている噂ですことよ! あなたが知らないはずがなくて!?」

「知りません」


 こういう、事実を確認しようとせずに噂をばらまくスピーカー女が、俺は昔から嫌いだった。


 大体、女子の中でいじめっていうと、こういう女がゲスい噂を流すのだ。

 AがBの不満をCに言っていた、それを聞いたゲス女が、Bに対して「AがCにこんなこと言ってたよ!」と、さも心配しているように言うのだ。

 さらに、それを聞いて不満を漏らしたBの言葉を、今度はAに対してゲス女が伝え、AとBの不仲関係が成立する。


 でもってゲス女は言うのだ、「私は事実を伝えただけ」と。


 誰にだって本人には言えない不満があるだろうに。それでもそれを表面に出すのを控えて、人間関係を調整しているのに。

 ゲス女が伝えなきゃ、AとBは不仲にならなかったんだよ!




「分かる! その分かりみ半端ねえ!!

 俺も小学生のころ、階段で女子のスカートの中身覗いてたことをクラス委員の女子に帰りの会に『倉木君がのぞきをしてました、よくないと思います』てな感じにバラされて組八分くみはちぶに──」

「続けるぞ」




「……知りませんが、人間というのは、自分の想像力を越えることを考えることはできないですし、しゃべる内容も当然そうなります」


 俺は、イヤミったらしい口の曲げ方をした女に向かって、俺も可能な限りイヤミったらしく口の端を曲げながら、言ってやった。


「……つまりあなたは、客観的な事実よりも、出所の怪しい、悪意のある噂を流せば、アイノライアーナ嬢を失脚させることができると、そういう風にお考えなんですね。

 じつにな発想ですね。さすがは相手を陥れることが趣味と実益を兼ねる貴族社会──特に、

「なっ──!」


 絶句するイヤミ女に、ちょっとだけ溜飲が下がる。ざまあみろ。




「おいヨッシー! そこでさらに『人間、図星を指されると、とっさには反論できませんよね』とかなんとか追撃しなかったのか!」

「ていうか、自分でもさっきの反撃がスラスラ思いつたことだけでも自画自賛だっつーの」

「ああーっ! もう、なんで追撃しなかったんだよ! このイヤミ女、俺がってやりてえ!」




「……わたしのサロンのをいじめるのは、おやめいただける?」


 オルテンシーナ姫が、顔を真っ赤にしてぶるぶる震えているイヤミ女横目で牽制しながら言う。


「あなたは勘違いなさっているようですが、私は別に、彼女を貶めようとしているのではありません。

 第一、自分の侍女を貶めてどうするというのです。彼女の失態は主の失態、つまり私の失態になるのですよ?」


 ぱちりと、扇を閉じる。


「ヨシマサ。アイノライアーナの様子を確かめてきなさい。このままサロンはおろか、私にも顔出しのできないありさまでは、彼女の身分の保証も致しかねます」




「え? いま、お前、イノリアちゃんが『王女様付きの侍女』って言った?」

「ああ、言ったぞ?」

「……お前、侍女ってどういう存在か、知ってて言ってる?」

「あれだろ? 主人に使える召し使いみたいなもんだろ? メイドさんとか」

「バッカおめー、侍女っつったらな、特別なんだぞ!」


 俺の言葉に、倉木は掴みかかるような勢いで立ち上がると、一気にまくし立てた。


「メイドさんなんか……いや俺メイドさん大スキーなんだが、侍女ってのはメイドさんなんか足元にも及ばない身分を持ってるんだぞ! 独自の部屋とかも割り当てられたりしてたし、主人のおさがりの服をもらえたりもしたんだぞ!

 お下がりっていったって、イノリアちゃんの場合、王族の姫様が着てた服だからな! すげーんだからな!」


 がっくんがっくん、俺の襟元をつかんで揺さぶりながら、まるでマシンガンのようにまくしたてる。


「でもって、特に王女様に仕えているっていうからには、侍女自身も貴族や騎士階級の娘、てな感じで、本人の身元もはっきりしてないとなれなかったんだぞ!

 ゆくゆくは主人のコネで結婚相手もイイ感じのところが紹介されるみたいな、貴族の娘の花嫁修業の場でもあったんだぞ!」

「なんでそんなコト、そんなにも詳しくてしかもめっちゃ早口で言えるんだよお前は!」

「知らねえお前がおかしい! そんなもん一般常識コモン・センスじゃねえか!」

「絶対違う!」


 結局、そんなくだらない言い争いで昼休みは終了したのだった。




「でも、イタい設定だなあ。お前、そんなに女の子いじめるのが好きだったのかよ」


 帰り道、倉木に指摘されてムッとする。

 イノリア暴行事件なんか、ぼかしとけばよかった。


「いくらなんでもストレートにその……アレはねえよ。せめて殴られたとか飯も食わせず監禁されたとか、そっちの暴行にしとけって」

「だから、夢なんだって」

「だからヤベえんだろ。お前、そういうことしたいっていう願望が夢に出たってことじゃねえの?」


 倉木が、真剣な顔で詰め寄る。


「いや、だから……」

「イノリアちゃんが処女じゃなかったなんて、俺的にめっちゃショック。嫁はやっぱ処女じゃなきゃ。そういうわけで、アレなイノリアちゃんの設定はなかったことにしてくれ頼む」


 馬鹿馬鹿しい理由に、がっくりする。俺のことを真剣に考えてたんじゃなくて、脳内嫁をリフレッシュしたいためだとは。ざけんな。


「お前がそう思うならそうしとけばいいだろ、お前ん中でな」

「でもさあ、可哀想じゃん。勘違いだったとかでさ、なかったことにしてやれよ。お前の夢だろ?」

「そうやって考えたのが今朝のハッピーエンド案だったんだって」

「あれはだめだあり得ない」

「てめ、ふざけんな」




 駅前に着いて、またな、と言おうとしたとき、倉木が手を掴んだ。

 

「あのさ、なんかワインの名前言ってただろ? カッコいい響きのやつ。

 シェダインフェールダーだったよな?」


 ……よく覚えてたな。俺はとっさに言えないぞ、そんな名前。


「それっぽい外国語は、いろんなネーミングのイイ元ネタになるんだよ」


 ……感心した俺がバカだった。


「でさ。ヨーロッパの言葉ってさ、結構似てるのが多いんだ。

 ジョン、ジャン、ヨハン、イヴァン……みんな同じ名前だ」

「マジか。ジョンとイヴァンなんて『ン』しか共通点がねえよ!」

「それぞれの国の言葉の発音に合わせた結果、そう変化したってだけの話なんだろ」


 マジか。めんどくさい。


「国同士が地続きだからな。結局、元の言葉からキツい方言に分かれたようなもんだ。東北弁と薩摩弁、絶対理解し合えないレベルで発音も言葉も違うだろ?」


 ──なるほど。

 そう言われるとそうなのかもしれない。


「言葉って、おもしれえんだぜ? ほら、スレイプニールっていう馬、知ってるだろ?」


 ゲームでもおなじみの、八脚の馬だな? それくらいは知ってる。


「アレの元ネタは北欧神話なんだけどさ。

 あの『ニール』って語尾なんだけど。調べると、『~するもの』っていうんだ。スレイプニールは、『滑るもの』、らしい」

「……それで?」

「雷神トールの持っているミョルニールは『打つもの』だ。ちなみに英語で木づちのことをモールっていうんだぜ? ミョル、モール、似てなくね?」


 ──へえ。

 倉木のオタ知識は、たまに馬鹿にできないレベルですごいことがある。


「九夜ごとに八個増える魔法の腕輪、ドラウプニールは『したたるもの』だ。ドラウプがドロップっていう英語に変化した、これも分かるよな」

「……おまえ、マジですげぇな?」

「その論法で行くと、スレイプは英語のスリップ、ニールは英語のerと同じだから、スレイプニールは英語でスリッパー、となるわけだ」

「え、マジ!? 英語にするとそんなダサくなっちまうの!? てか、スリッパ!?」

「そのとーり! ふふん、こんなことどこにも書いてねえけど、たぶん合ってる。オタクの考察力なめんなよ?」


 ふんぞり返ってみせる倉木。まあ、素直に感心する。コイツ、将来は大学の研究室で偏屈教授にでもなっていた方が幸せかもしれない。


「……確かに言葉っておもしろいな。でも、それと俺の夢と、どう関係があるんだ?」

「ほら、前、ドイツ語でボールペンのことを『クーゲルシュライバー』っていうって、話したことあるよな。でもって、大天才アインシュタインは『アインシュタインさん』だ、とか」


 ……だいぶ前の話だ。たしか、まだ夏の前くらいだったような気がする。アインシュタインがカズイシさん、ていう、あの衝撃はなぜかすごく笑えた。


「でさ。お前のワインのネーミング聞いてさ。ある戦闘機乗りのマンガで、シュタインベルガーっていうワインが出てたのを思い出したんだよ。

 ──似てなくね? ちなみに意味は『石の山』だ」


 シュタインベルガー……

 シェダインフェールダー……

 言われたら、確かに似てなくもない。


「でさ、調べてみたんだけどさ。

 ドイツ語で、シュタインフェルトで、『石の原』とか『石の畑』っていうんだぜ?

 あ、ドイツ語ってな、基本的にローマ字読みなんだけど、最後がDのときは『ト』って発音するんだ。

 だからF・E・L・Dでフェルト。英語でいう『フィールド』な?

 ちなみに、『Steinsfeldシュタインスフェルト』っていう地名が、実際にドイツにあった」

「マジか!? お前ホントすげぇな!?」

「ドイツ語ってカッコいいの多いから、オタ知識としては必須だぜ?」


 またしてもふんぞり返る倉木。まあ、あえて何も言うまい。


「でもな……お前、ほんとに夢で見た話、してんの? なんか、偶然にしては怖すぎるんだが。まあ、シュタインスフェルトってところのワインがとくに有名、なんてことはないみたいだったけどな」


 ふうん……なんだろう、俺が忘れてるだけで、テレビのヨーロッパの旅行番組とかでみたことがあったんだろうか。


「まあ、ワインを作るためのブドウ畑ってのは、一般的に石ころだらけの土地らしいぜ? そういう意味じゃ、シュタインフェルトの意味──石の畑って名前は、ワインの成り立ちをよく表してんじゃねえの?」

「シェダインフェールダーの意味……石の畑……石の、畑……?」


 ──なぜだろう。すごく嫌な気持ちになる。

 ラインヴァルトは、なぜ俺に……いや、なぜに、あのワインを贈るようにすすめた……?


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