第8話:その言葉の意味は、いくら俺だって

 気が付いたら、門の前にいた。さっきまでラインヴァルトと会話していたはずなのに。夢ってやつは、本当に訳が分からない。


 シンプルながら、立派な鉄の格子の門だ。

 門からは、小さいながら美しく整えられた庭が見える。

 なんとなく、イノリアが自分で手入れしている様子が思い浮かんだ。

 親兄弟にたしなめられながら、それでも楽しげに土いじりをする姿が目に浮かぶ。

 もちろん、本当は専門の庭師を雇っているのだろうけれど。


「お引き取りください。お嬢様はお体がすぐれず、どなたともお会いなさらないそうです。ヨシマサ様であっても」


 出てきたのは執事っていうんだろうか、タキシードをきっちりと着こなしたおっさんだった。髪は白髪交じりのグレーで、俺のことを知っているような感じだった。


「体調が悪いっていうのは、何かあったのか?」


 あの、赤い湿疹のような症状の病気。あれが急に悪化したとか?

 ところが、俺の言葉に、執事のおっさんは肩眉を上げ、眉根を寄せる。


「──まさか、ヨシマサ様……、理由を、ご存じないとでもおっしゃるのですかな?」


 まるで、俺が知らないことが信じられない──知らないことが罪であるような、険しい目だった。


「本当に、ご存じないとおっしゃられるのですかな? ……、あなたが」


 ──あの場?

 また、夢で見ていない情報がネックになるのか?


 ああもう、本当にもどかしい。

 ところどころ読み飛ばした推理小説を考えなきゃいけないような感じだ。

 しかし、この、立場さえなければ掴みかかりかねないようなキツい目に、さすがに「知らない」と返すことができず、俺はあいまいに言葉を濁すことしかできなかった。


「そう、だったな。ごめん、また出直すよ」

「……こちらこそ、わざわざ足をお運びいただいたにもかかわらず……」


 屋敷のいくつもの窓、あの窓の向こうのどこかに、イノリアがいるのだろう。

『私のこと──きらいに、なっ、て……』

 あのときのことを思い出す。

 俺の頬を二度ひっぱたいた彼女が見せた、あの、絶望的な笑顔。


 彼女に、いったい、なにがあったのだろう。

 俺は、何を、間違ったのだろう。


 俺は、相変わらず厳しい目──まるで彼女にとっての敵であるかのような、にらみつけるような目で見つめてくるおっさんにいたたまれなくなり、きびすをかえした。塀に沿って、門を離れる。


 前の夢では、たしか、建物に囲まれた中庭で遭った。

 よく分からないけど、あの、さっき見えてた屋敷とは違った気がする。夢のくせに、ディテールが細かい。

 あれがどこだったのかはよく分からないが、あのとき、たしか、どうして分かったのか、と言っていたはずだ。


 つまり彼女は、少なくとも自宅ではないどこか、誰にも知られないようにそこにいたことになる。ということは、そこから自宅に帰ってきた、ということなんだろうか。

 全然わからない。夢だから支離滅裂なのは当たり前だけど、なんで俺は夢なんかにこうも悩まなきゃならないんだろう。


 その時、背後から、言い争うような声が聞こえてきた。


「通しなさいトラバー!」

「お嬢様、いけません! 人目もございます!」

「だから何? リープガルテ家は、命の恩人を問答無用で追い返すのが作法だというの!?」

「……おかしいのです。あの方は、お嬢様の今を、理解しておられぬご様子でした。お会いにならぬ方が……!」

「どきなさい! そんなことは私が確認すればよいことです!」


 この、声は……まさか。


「──ヨシくん!」




 貴族の屋敷というのは、もっと豪華なものだと思っていた。

 結構すっきりしている。ベルサイユ宮殿みたいなものを想像していただけに、肩透かしを食らった気分だ。


「──ヨシくんたら、うちに来るのが初めてみたいな顔して。なに? そんなにうちって、見飽きないの」


 彼女が自ら紅茶を入れる。


「それとも、貴族の屋敷なのに貧相だから、毎回びっくりしてるの? 貴族らしくなくて」

「い、いや……すっきりして、落ち着いてて、いいなあと……」

「ふふ、ありがと。

 貴族っていっても、ヨシくんも知ってる通りうちは宮廷貴族、それも末端だからね。ちょっとだけ暮らしに余裕がある庶民、そんな程度かな。暮らしぶりは」


 そんなわけはないだろう。執事っていうのは、それなりのお金持ちでなきゃ雇えないって、何かの漫画で読んだことがある。

 屋敷だってそれなりの大きさだ。人だっていろいろ雇っているだろう。

 いまイノリアが入れている紅茶だって、多分、本当は、きっとメイドさんか何かが入れるんだろう。

 彼女は、きっと何かの理由で、ほかの人を遠ざけているに違いない。


「まさか、ヨシくんが来てくれるなんて思わなかった」


 いや、俺も思っていなかった。気が付いたら門の前に立っていたのだから。夢というのは本当に支離滅裂だ。


 だが、そんなことは言うまい。今日の彼女は、なんだか機嫌がよさそうだからだ。

 明晰夢では、たとえ夢でもひっぱたかれたら痛いということが分かった。また食らいたくない。


「えっと、……お前──イノリアの様子を、見たいと思って……」

「そう、なんだ……」


 テーブルからやや離れたカウチソファーに座り、けだるげな様子で、彼女は力なく微笑んだ。


「気にしてくれるんだね、あんなみっともない場面、見られたのに──」


 ──あんなみっともない場面。

 さっき、執事のおっさん──トラバーとかいったか? あいつにも言われたな。

 ……そういえば、ラインヴァルトも、似たようなことを言っていたか。

 なにがあったんだろうな、知りたい。


「お父様もお母様も、何も言わないけれど。あのことはもう、すっかり噂で広がってるみたいだし。

 ラインヴァルトがみんな殺しちゃったから、あのことを知ってるのは、あなたとラインヴァルト、そして私しか知らないはずなのにね。

 ──どうして、噂、広がっちゃったのかな」

「──噂?」

「知ってるでしょ? 私も下女が街に出たときに聞いた噂っていうのを聞いただけだから、詳しくは分からないのだけれど」


「──中身は、知ってるのか?」

「一応はね。……二晩がかりで乱暴されたって」


 ────!!


 その言葉のもつ意味は、いくら俺だって分かる。……理解できてしまう。

 カップを持つ手が震える。

 とんでもないことを聞いてしまった。

 一見、彼女は何ともないようなそぶりを見せているが、内心はどうなっているのだろう。


 で、が、


 その言葉の意味が分からないほど、俺はもの知らずじゃない。

 ラインヴァルトが言っていたことは、これか。

 あの涙の別れのあと……もしくは、その前なのか。あの涙の中庭の時には、もしかしたら、すでに……。


「……だめね。

 あれ以来、もう、外が怖くって。

 門の前まで来ると、足が──すくむの」


 静かに、他人事のように、語る。


「また、あんなこと、されるんじゃないかって。

 外を歩く人を見ると、怖くて、うごけなくなる……」


 ただの噂なら、もしかしたら何とかなったのかもしれない。


 けれど、門から出られないということは、

 つまり、彼女は、

 事実だと、今、認めているのだ。


「──俺に、話しても、……いいのか?」

「だって、あなたは知ってるじゃない。あなたの前で、私、あんな姿、だったのよ?」


 ────!?

 ショックのあまり、言葉が出ない。

 俺は、彼女が、乱暴されていたその場面を、見たということなのか?


 けだるげな笑みを浮かべる彼女は、いったい今、どういう心持ちなんだろう。

 その場面を目撃した俺を、部屋に招き入れた、その心境は。


「──じゃあ、さっき、門の外に出てきたのは……」

「だって、そうでもしないと、あなた、行っちゃうところだったじゃない。必死だったの」


 あっさりと言ってみせる。


「多分、このままじゃ私、お仕事、解雇になっちゃうね。尼僧院送りかなあ……」


 乾いた笑みを浮かべる。

 けだるげな様子のままに。


「……元気がない──のは、当たり前か。体調はどうなんだ?」


 なんとも身の置き所がない。話が重すぎる。

 話題を変えようと思って口を出た言葉は、しかし、話を変えることはできなかった。


「最近、体がなんだかだるいの。怖くて外に出てないから、ずっとお日様に当たっていないせいかもね」


 彼女はそう言って、うつむいた。


「あなたにあんなことした、報いなんだろうね……」



――――――――――


 貞淑さが求められるキリスト教社会においては、一般的に、処女性が貴ばれます。特に貴族は血縁が重要なので、なおのこと貞淑であることが求められました。

 ゆえに、男性が原因で処女を保てなかったことがされてしまった「貴族の女性」には、社会的身分の破滅が待っていました。


 そうした事情に目をつけ、そういう噂を知ったうえで、立場の弱い女性を「買う」がごとく妻に迎え入れて身分を手に入れる、という商人もいたようです。


 ですが、そうした伝手すら手に入れられない女性は、領地があれば領地押し込め、なければ尼僧院。それが、一般的な処遇でした。

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