第5話:あいつ、イノリアっていうのか

 目が覚めたのは、相当に寝過ごしたあとだった。


 いつもなら、たとえ寝てしまっても駅名のアナウンスがある前に起きるのに。

 アレか。明晰夢ってやつは、夢を見ながら考えることができるだけに、そのぶん疲れも取れにくかったり、いつもなら気づいて起きるようなことができなくなったりするのだろうか。

 帰りの電車だったからまだいいが、これがもし登校の時だったら、問答無用で遅刻だった。日常生活に支障がでないように、これからは気を付けないと。


「俺だけは『そういうこと』をしないと思ったと平手打ち(←『そういうこと』の中身、要確認。泣くほどのこと)

 こんな顔──赤い湿疹のある顔?

 『綺麗』と言ったら、もう一度期待してしまう(←期待とは何か)」


 こうして記録ログに残してみても、やっぱり訳が分からない。さすが夢。

 けっこう長い夢を見たつもりだったが、文字にしてみると大した内容ではなかったことが分かる。

 電車を乗り過ごし、時間と金を浪費したぶん、せめて面白い内容だったらよかったのに。引っ叩かれて目が覚めたら、随分と乗り過ごしていたなんて、何の罰ゲームだ。




 ──だめだ。

 気になって仕方がない。

 帰り路を歩く間……飯を食っている間……課題を片付けている間……。

 彼女の言葉が気になって仕方がない。


 俺はなぜ平手打ちを食らった?


 彼女は何に怒っていたんだ?


 泣くほど期待するって、どういうことだ?


「……ああもう、クソっ!」


 シャーペンを机に叩きつけてしまう。

 なぜ俺は引っ叩かれなければならなかった?

 何が彼女をそこまで怒らせた?

 以前の夢を色々思い出してみても、あそこまで怒らせるようなことをしたとは思えない。


 ということは、夢には出てきていない何かが、夢と夢の間にあったということなのだろう。

 それはいったい、何だったのか。

 何が問題だったのか。


「思い出せ、俺はいったい、何をした……?」


 しばらく記憶をひっくり返……そうとして、自分のバカさ加減を知る。

 あれは夢なのだ。

 夢の中の出来事に、理由などあるはずがない。

 何を焦っているんだ俺は。

 たかが夢に、何をそんなにイライラしてるんだ。


「……クソッ!」


 夢だと分かっているのに、妙に落ち着かない。

 これが、アレか。現実と夢との境が曖昧になる、というやつか。発狂するかどうかはともかくとして、鬱になったとかいうブログもあったし、これは危険信号なのかもしれない。


 ──とにかく、一度風呂に入って頭を切り替えよう。夢なんかでイライラしてたって仕方ない。




「──君は彼女のことを、まだ忘れられないのかい?」


 唐突に、金髪碧眼の超絶イケメンにそんなことを言われたら、俺はいったいどう返せばよかったのだろうか。


 身長百七十三センチ、決して低いつもりはないが、それでも見上げなければならない高身長。

 純白のマント、赤地の布のベスト、金の飾緒が飾られた肩。

 どこの貴族?

 それとも王族?


「……忘れられない彼女って、誰のことだ?」


 言ってしまってから、間抜けな返事をしてしまったと後悔した。

 それもこれも、唐突に始まるこの夢が悪い。いつもいつも思うが、どうしてちゃんと、場面説明になりうる、もう少し前の場面から始まらないのだろうか。


 だが、金髪イケメンは少し驚いたような顔をしただけで、また、さわやかな笑みを浮かべた。


「君がそんな態度に出るとは、思わなかったね。君の言うところの、イノリア嬢に決まっているじゃないか」

「イノリア嬢……?」


 心当たりがない。うちのクラスにはそんな名前のやつも、そんなニックネームのやつもいない。


「……知らないな。人違いじゃないのか?」


 俺の言葉に、今度こそ金髪イケメンが驚いてみせる。


「……驚いたな。君だけは、最後まで彼女のことをかばうと思っていたのに」


 イケメンは、何か失言をごまかすみたいに咳払いをした。隣の、サラサラな黒い長髪の切れ長の目をしたクールな奴──従者だろうか──が、ハンカチを渡す。


「──さては、君も彼女から、なにか理不尽な扱いを受けたのかな?」


 渡されたハンカチで口元をぬぐった金髪イケメンは、ハンカチをクール従者に渡しながら微笑んで見せた。


 ──理不尽な扱い?

 言われて、首を傾げ、そして、思い当たる。

 突然現れ平手打ちをかまし、そして最後にまた、平手打ちをかましたあの女。

 ……そうか、あいつ、イノリアっていうのか。

 君もってことは、このイケメンも平手打ちか何か、食らったってことか?


「──どうも、得心が行ったようだね。では、僕らは同じ失恋仲間ということになるのかな」


 そう言って手を伸ばしてくる。

 握手、ということらしい。


 手を伸ばしかけて、違和感を覚える。

 失恋、仲間?


「……失恋?」

「そうだ。君も振られたというのなら、いよいよ彼女はすべてを拒否した、というわけだ」


 フッ、と、ため息をつくように小さく笑う。

 なんだろう、あきらめ? 自嘲? ……それとも、彼女をわらう?


「とにかく、これでもう、おしまいだな。

 ──君とはこれまで、彼女を巡っていろいろあったかもしれないが、君が彼女と距離を置くというのなら、話は別だ」


 そう言って薄く笑うと、イケメンは改めて手を差し伸べてくる。

 その手を握ると、意外に力が強かった。ケンカを売られたような気がして、奴の目をにらみながら、俺も強く握り返す。


「本当に面白いね、君は。

 ……そうだ、君との関係修復の記念だ。このワイン、君にあげるよ」


 そう言って、彼は、ずっと傍らで控えていた青年に何かささやいた。切れ長の目が冷たい印象を受ける男だが、そいつからワインボトルを渡される。


「いや、ちょうど持っていてよかった。このシェダインフェールダーを受け取ってくれないか。私が言うのもなんだが、十八年物の、なかなかの逸品だぞ」


 シェダインフェールダーの十八年物、なんて言われても俺にはさっぱりわからない。

 ていうか、酒は二十歳になってからだろう? もちろん飲んだことなんてない。


「……俺は、酒は……」

「君が酒をたしなまないのは知っている。

 だが、これを機会に挑戦してみるのもいいのではないかな? これは女性にも飲みやすい、甘みの強いワインだ。ぜひ、堪能してくれたまえ」


 女性にも飲みやすい、と言ったときに、隣のクール男が口の端をゆがめた──嗤ったように見えたのは、気のせいだろうか。


「もし何かの誓いゲルーデを立てていて飲まないのだ、というのなら、別に君が飲まなくてもいいんだよ。

 ──そうだな、誰かに贈る、というのはどうかな?」

「誰かに、贈る──」


 プレゼントにする、ということか。

 確かに、俺は未成年でまだ飲めないし、大人たちが酔っ払って無様な様子をさらすのを考えれば、酒なんて飲みたいとも思わない。

 だが、見るからに高そうな感じがするこのボトル。プレゼントにするならちょうどいいだろう。俺の財布も痛まずに相手に好印象を与えることもできる。



「ニアン──ナイヤンディール、誰に贈るといいと思う? 彼はそういうことに慣れていないようだ、助言してやってくれたまえ」

 冷たい目のストレート黒髪男は、ナイヤンディールというらしい。


「誰がいいか──君なら、ヨシマサの人脈から、最適な相手を、助言できるだろう?」

「……ラインヴァルト様、それは……」

「もともとに調達したのだろう? は」

「……はっ」


 金髪のイケメンはラインヴァルトというようだ。楽しそうに促す。ナイヤンディールはしばらくの間ためらっていたようだったが、俺に向き直った。

「……アイノライアーナ嬢が、よろしいかと」


 ラインヴァルトは、それを聞いて、大袈裟に驚く。俺から見ても、わざとらしいくらいに。


「それはいい、さすがニアンだ! イノリア嬢に贈るなど、私には思いつかなかったよ、素晴らしい案だ! ヨシマサ、ぜひそうするといい!」

「……恐れ入ります」


 満面の笑みで称えるラインヴァルトに対して、ナイヤンディールは硬い表情でわずかに答えるのみだった。


 ラインヴァルトは、おそらく身分が高いんだろうが、あまりそれを感じさせない、比較的陽気で気さくな性格のようだ。

 それに対して、あまり感情を表さない堅物従者といった感じなのが、ナイヤンディールという人間なのかもしれない。


「……そうだ、ヨシマサ。そのワイン、君はどうやって贈るつもりだい?」


 言われて、ハッとする。

 そういえば、名前はイノリアと判明したが、それ以外何も分からない。……いや、そもそも贈ると決めたわけでもないんだが。


「よかったら、そうだな……、ニアン」

「……ヨシマサ様。よろしければ、私めがヨシマサ様名義で、アイノライアーナ嬢に送り届けておきますが」


 貴族の従者っていうのは、大変だ。でも、たぶんそうやって貴族との関係を深めて、後々は側近として力をふるうか、その関係を生かして独立したりするんだろう。


 ──そう言えば、なんだか自動的にイノリアにプレゼントとしてワインを贈る流れになってしまったけど、彼女は、結局何に怒っていたのだろう。

 まあ、贈るにしても俺がわざわざ持っていく必要もなくなったし、やってもらえるならありがたい。

 前回なぜか引っ叩かれたけど、プレゼントを贈っておけば機嫌も直るかもしれない。


 ──なんで俺が、夢の中の女の子の機嫌を取らなきゃならないのか、という疑問は湧いてくるのだが。


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