第4話:別にお世辞を言いたいわけじゃないが
「……自分で書いてみても、本当に訳が分からねえな」
俺は、夢の記録を取ることにした。
そう思いついて、覚えていたことをできるだけたくさん箇条書きにしてみた結果、この感想である。
こういうのは、「夢日記」というらしい。
ネットで調べると、色々出てきた。
慣れてくると、明晰夢と言って、夢であることを自覚しながら夢を見ることができるとか、その延長で自分で夢をコントロールできるようにもなるとか、突拍子もないアイデアが得られるとか、いろいろメリットが書いてあった。
だが、夢と現実をしっかり区別しないと、夢か現実かの記憶が曖昧になって日常生活に支障が出る恐れもあるらしい。中には発狂するとかいうことも書いてあったが、どうせネットの情報だ。
とはいっても、これは夢だと理解しながら夢を見続ける、なんてことをもうしている。明晰夢という奴に、すでに踏み込んでいるんだろう。
ただ、どう考えても日本じゃないというか、ファンタジーというか、昔のヨーロッパっぽい服装と建物だ。夢以外にあり得ないと断言できる世界観なのは、日常としっかり区別ができて便利だ。
……間違いなく、倉木の趣味に付き合ってきたせいだろうな。
「へえ、夢日記」
「知ってるのか?」
「知ってるっつーか……面白い夢見たときは、メモしてる」
「面白い夢?」
「なんかカッケー呪文みたいなのを夢で見たら、ポーズの棒人間付きでメモしとくんだよ!」
……倉木はどこまでも倉木だった。
「……お前、それで受験大丈夫なのか?」
「俺もう創作系専門学校に通うって決めてるから」
「……バカだろお前」
これでバドミントン部のそこそこレギュラーだったのだから分からない。
ただ、スマッシュを打つ時に「俺の右手が光って
「じゃあ、俺、部活だから」
「ああ、がんばれよ?」
インターハイはとうに終わり、秋風を感じる季節になったというのに、倉木は後輩指導なんかに精を出していた。
「健全な創作は健全な肉体から!」
というのが、倉木のモットーらしい。
……創作、ということは、アイツも何かやっているんだろうか。
『ヨミカキ』に投稿しているとか?
「……まさか、アイツ、自分が書いてるやつを読ませたんじゃないだろうな?」
あと数分で電車が来る、という時間にホームにたどり着く。
「……もしかして、あれだけヒロインに惚れたとか何とか言ってたのは、自分で想像したヒロインに萌えてる、なんていうオチじゃないだろうな?」
もしそうなら、なんとコストパフォーマンスの高い奴だろう。外部燃料なしに自家発電できるようになった、というレベルの変態に進化したということか?
ひょっとして、この作品のヒロインは、アイツの理想の彼女像、ということなのだろうか。
「……こんな重苦しい女が? アイツMかよ」
かろうじて空いてきた席に滑り込む。
スマホの小さな文字を、これまたびっしりと埋め尽くす文字を追い続ける。
ヒロインが、主人公のあまりの煮え切らなさに突撃をするも、主人公はのらりくらりとかわすように、真正面から受け止めることがない。
そのくせ、地の文……内心では、ヒロインのことを強く強く想っている。受け止めないのは、自分が受け入れることに対して、彼女を幸せにできない、という思い込み。
「……あー、よくあるよくある」
両片思いとかいうやつだっけ? 両想いのくせにすれ違う、ラブコメにありがちなシチュエーション。
ただこの作品は、二人が全力で真剣で、ソレだということ。
──こういうのが好きっていうやつもいるんだろうけどなあ……。
俺にとっては、正直、かったるい。
目がショボショボしてくる。やっぱり、電車の中でスマホ、それも小説を読むというのは無謀だった。
──目が、痛ぇな……。
パンッ!
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
夢だよな?
なんで俺は、左の頬をひっぱたかれてるんだ?
結構痛いぞ?
──夢、だよな?
「私、ヨシくんだけは、
栗色の髪の、あの女の子だ。
今、まさに俺の左頬をひっぱたいたやつ。
──痛かったのか、自分の右の掌をそっと左手でさすっているところが間抜けというかなんというか。
しかし、
訳が分からない。せめてぶっ叩かれる前のシチュエーションからにしてくれよ。
ほんとこの夢、肝心なところがいつも抜けている。
「訳が分からないって……本気で、言ってるの?」
彼女は、目尻に涙をじわりと浮かべる。
いまさら気づいたが、空色というか、エメラルドグリーンに近い瞳が、すごく神秘的だった。
その瞳から、涙が、こぼれ落ちる。
──おいおい、泣くなよ、女のそういうところが反則だっていうんだよ。
泣けばいいと思いやがって。
理由もわからずひっぱたかれた俺は、じゃあ、なんなんだよ。
「ほんとうに、心当たりがないっていうの? 理由が分からないって、本気で言ってるの!?」
「ああ、分からないね。突然人の横っ面を張り倒す行為を理解してくれる男がいるっていうなら、叩かれて喜ぶ特殊な性癖持ち以外のやつらを、今すぐここに一ダースばかり並べてくれよ」
昨日の夢までは、それなりに知った仲──もっというと、仲は悪くなかったように感じていた。 それが、この平手打ちである。訳が分からない。
しかもこの夢、妙なリアリティで、今も左の頬がじんじんしている。夢だ、と認識したのが平手打ちって、ひどくないか。
「……そう、よね」
言い返してくると思ったら、彼女は肩を落とした。うつむいて、ドレスの端を、きゅっと握り、肩を震わせる。
──これだから、女って、ほんと嫌なんだ。
いつもそうだ。議論に負けたら泣きやがって。
中学でも、なんかあったときの学級会では女子が泣いて、それで合唱でもなんでも、女子の意見に合わせなきゃならなくなっていた。
高校ではさすがに誰もが大人になっていて、問題解決のホームルームなんてモノが開かれた経験はないが、それでも女子が涙で問題をうやむやにする、というのはたまに見られる光景だ。
たいてい、泣かせた方が悪くなる。──クソッ!
「そう、だよね……。私、
「こんな……って、なんだよ」
うつむきながら、ぽつりと言ったその言葉が、妙にひっかかる。
そうやって曖昧な言葉を使って興味を引こうというのも嫌いだ。
率直に言えばいいのに、何かの恋愛のハウツー本にでも書いてあるのか?
「……ひどいなあ。それ、私に言わせるの……?」
雫の零れた跡をそのままに、彼女は顔を上げ、困ったような微笑みを浮かべた。
「あなたに……こんな顔をさらしているだけで、もう、十分じゃないの?」
「こんなって……」
不美人だとでも言いたいのか?
そばかす……ではないな、ニキビでもない。アトピー? 赤い斑点が顔にたくさんある、というのはたしかにアレかもしれないが、顔自体はとても整ってて、綺麗だと思う。もしコイツが不美人なら、うちのクラスの女子はほぼ全てコイツ以下だ。
「──別にお世辞を言いたいわけじゃないが、……綺麗だろ?」
夢っていうのは便利だ。現実では絶対にこんなこと、ストレートに言えない。言えるわけがない。
だがこれは、俺にもカノジョができたときのための、いい予行演習になるかもしれない。少なくとも、倉木が好きな恋愛ゲームをやるより、よっぽど実践的だ。なにせ、選択肢から回答を選ぶんじゃなくて、自分で考えて行動するんだから。
こうやって意識して練習できるなら、明晰夢ってやつも悪くないかもしれない。
「……やっぱり、ずるいよ、ヨシくんは……」
彼女は、困った笑顔のまま、ぽろぽろと、涙をこぼし始めた。
……またかよ。俺、何か泣くようなこと、したか?
夢なんて自分の脳内の記憶のツギハギ再生っていうから、きっと、これまでの女子のイメージから、こういう時の女子は泣くもんだ、というイメージが再生されているのだろう。
しかし、めんどうくさい。本当に、女子ってやつは。夢の中でくらい、もうすこし理性的になれないのか。
「あなたに、綺麗、だなんて言われたら……もう、一度……期待、しちゃうんだよ……?
私、こ、こんな、なのに……」
泣く方向性が、俺の予想と違った。
これ、怒ってるんじゃない、よな……?
……そういえば……。
そういえば、彼女の赤い湿疹みたいなもの……。
どんどん、少なくなってきているのだ。
……なんだ、そんなことを気にしていたのか。
確か保健体育で聞いたことがある。
強迫症ってやつだ。例えばダイエットを繰り返す女子なんかがそうらしい。
自分は太っていると思い込んで、十分やせていても、鏡で見て骨と皮ばかりになっていても、まだ太っていると思い込んで過剰なダイエットをしてしまったりするってやつ。
物事を客観視できず、自分をダメだと思い込み、もはやそれが無意味なことになっていても繰り返してしまう精神状態。
おそらく、彼女はあの湿疹が出る病気にかかって、自分は醜いと思い込んでしまっているのだろう。ああやって、夢に出てくるたびに治っていっているにもかかわらず、だ。
もう一度期待、というのが気になる。この場面の前には一体どんなやり取りがあったという設定なんだろうか。俺の脳みそが見ている夢なんだから知りたいのに、この夢はいつも、情報が足りない。まあ、でも夢なんてそんなもんか。
それより、こうやっていろいろ考えてもまだ目が覚めないっていうのも、明晰夢に慣れてきたっていう証拠だろうか。面白い、これは確かに夢でいろいろ遊べるかもしれない。
「えっと……ヨシ、くん……?」
「え? あ、ああ……なんだっけ?」
思わず間抜けな返事をしてしまった──そのことに気づいた時にはもう、言葉は口から出てしまった後だった。ハッとして口を閉じるが、もう遅かった。
彼女は再び口をへの字に曲げ、一歩前に出る。
その、頬を膨らませている顔も、お世辞を言うわけじゃないが、可愛い──
そう思った瞬間だった。
「もう、あなたなんて、知らない……!」
俺の左頬は、再び、乾いた音を立てたのだった。
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