第2話:俺は、意地なんか張っていない
「そりゃ、異世界がお前を呼んでんだよ!」
「お前の頭の中はそればっかだな」
倉木の奴に相談した俺がバカだった。
アニメオタクのこのアホは、最近は異世界転生ものとかいうやつが好きらしい。
下敷きはでかでかとそのキャラが描かれたやつ。朝読書用に持ってくる本も、そういうやつ。
いずれは自分が異世界にダンプでGo! をしたいと公言しているやつ。
……そういうとこさえなけりゃ、普通にいいやつなんだけどさ。
「あのな、相談しといてバカとはなんだ。いいか、今河教授の『世界構成原理』の論文を知らねえのか?」
「知らねえよ。てか、今河教授って誰だよ」
「お前こそバカだろ! あのな、今河教授ってのはこの世の──」
そのとき、担任がドアを開けて入ってくる。
「きりーっ」
日直の間延びした号令に、倉木は慌てて自分の席に戻っていった。
──今朝は最悪の寝覚めだった。
何だったんだ、あの夢は。
ひどい寝汗で、べったりと張り付いた髪をかき上げたときの疲労感は、本当にシャレにならなかった。
じりじりと鳴り続ける目覚ましになかなか手が届かず、延々とうるさい思いをし続けたのも、その最悪ぶりにスパートをかけたかのような朝だった。
夢は、脳が保存しておいた経験や情報を、睡眠中にいろいろと整理したりする過程で見るものだと聞いたことがある。
じゃあ、俺は、人間をひとつかみでき、簡単にひねりつぶせるような化け物の経験をしたことがあると?
ばかばかしい。
じゃあ、そういう映画、ドラマ、アニメなどを見た?
そんなもの、見ていない。
まして、真っ黒い怪物が出てくるなんて。
昼食後の授業はいつも眠気との戦いだ。
倉木が「世界史Bは教養に必須!」と力説し、一緒に取ろうと熱心に誘いまくったから選択したけど、正直、失敗だ。
必須なのは奴だけだ、アイツの好きな小説の元ネタが世界史にはメガ盛り状態らしい。
おまけにこの歴史の先生ってのが、やたら細かい、大学受験には果てしなく関係なさそうな小ネタを大量に投下してくるもんだから、倉木の奴、実に生き生きと授業を受けやがって。
いや、赤点は取らないようにしてるけどさ。
それにしても昼飯の後の授業ってのは、マジでだるい。
小ネタ大盛りの先生自体は、実は嫌いじゃない。
一生懸命、その当時起こったことを説明して、俺たちに、なんでそんなことになっちまったのかを考えさせようとしてくれる。
地図、当時の産業とそのデータ、人々の様子。
カラー印刷された資料を基に。
……でもさ。
分かんねえよ。
俺は当時を生きた人間じゃねえんだ。
インドで反乱? そんなもん、政治家に不満があったからじゃねえの?
消費税が上がったとかさ。
窓の近くの席は暖かく、つい眠たくなってくる。
先生は嫌いじゃない。
だから、なるべく寝るような真似はしたくない。
だからこうして、目をとじる、のは、
ねるんじゃなくて きゅうけい──
「大丈夫?」
目を開けると、そこにいたのは、
「──お前は!?」
今朝の夢で、多分、投石機か何かから飛んできた石に潰されて死んだ、あの、栗色の髪の女性だった。
あの時に着ていたズタボロのドレスと違って、なんか、茶色っぽい、すごく地味な、足元まで隠れそうなワンピースという違いはある……けど……!
「うわあああああっっ!!」
自分でも驚くほどの大きな声であとずさりする。
後ずさりして、気づく。
なんだここは。
この、しめった石の床は。
鉄格子のはまった部屋は。
俺の首にはめられた、硬いもの──おそらく、首輪は。
それよりも──
人間を、握りつぶした、感触。
飛び散る鮮血、臓物。
そして逆さ吊りに
「な、なんだお前! く、くるな! こっちへ来るな……!」
「もう、そうやって意地を張って。だからこんなところに押し込められるのよ? 姫様の性格、いい加減に理解したら?」
「姫……さま?」
「そう、姫様……オルテンシーナ様。あなたが意地を張らなかったら、むち打ちなんてなかったはずなのに」
「俺は、意地なんか張っていない」
「はいはい。いっつもそう言って、意地を張るんだから。
……ほら、背中を見せて」
言われて、初めて、背中の痛みに気づく。
女の子はしりもちをついている俺の肩を掴むと、ぐいっと引っ張った。
「い、いててっ」
無理に体をねじられた痛みに、情けない悲鳴が漏れる。
「ほら、みなさい。こんなに……って、あれ? なんでこんな、怪我が……治りかけなの?」
女の子は不思議そうに首をかしげる。
「あなた、なにかお薬、飲まされた?」
薬も何も、俺は……
……俺は、ここで、なにしているんだ?
俺は、なぜ、こんなところにいるんだ?
「……これも、あなたの不思議な力なのかしら。とにかく、お薬、塗っとくね?」
そこで初めて、俺は上半身、何も着ていないことに気づく。
「俺……なんで、こんな……」
「ああ、途中で気絶しちゃったもんね」
彼女は薬とやらを塗りながら続けた。
「ほら、あなたが認めなかったから、むち打ち三十、受けたでしょ? 姫様に何度、『認めたら許す』って言われても、あなた、認めなかったよね。二十あまりまで耐えてたけど、そこで気絶しちゃったの。覚えてない?」
「認め……なにを?」
俺は、いったい、何をして、そんな罰を受けたんだ? なにがどうなって?
そんな俺に、彼女はあきれたように答えた。
「なあに? むち打ちを受けて、頭までおかしくなっちゃったの?」
ひどい言い草だ。見知らぬ女に馬鹿にされる覚えはない。
だが、彼女は、そんな俺に、哀れみなのか、同情なのか、それとも違う感情なのか……
眉根を寄せて、そして、苦笑いをした。
「ふふ……。そうやって強がっても、でも本当はあなたがとっても優しいこと、私、知ってるんだよ?」
……強がって? 優しい?
「いまも、こうして私を避けずにいてくれるの、あなただけだもん」
薬を塗り終わったのか、今度は包帯を巻き始める。
包帯といっても、俺が知っている、あの白い、伸縮するテープのような布じゃない。
何度も洗った、薄手のハチマキのような布だ。
で、それを何度も巻くもんだから、脇腹に何度も手が触れて、くすぐったくてしょうがない。
だけど、彼女は、「動くと巻けないよ、じっとしてて?」と言いながら、やめてくれない。
というか、そう言って密着するたびに、後頭部に、首筋に、柔らかい塊が当たるんだ。なんだかものすごく、落ち着かない。
「私が金の燭台、盗んでないって……最後まで言い張ってくれたの、あなただけだもん。嬉しかったんだよ……?」
……なんの、話なのか、まったく、分からない……。
俺は、そもそも、いったい、
こいつは、いつの話をしていて、それで……
「でもね……。それを見せられ続けた、私の気持ちも、察してよ……。あなたが、悲鳴一つも上げずに、ずっと耐えて……背中の肉が飛び散っても、それでも耐えてるのを、見せつけられ続けた……
私の気持ちも、察してくれると、もっと、嬉しかったなあ……ヨシくん」
そう言って彼女は、笑って見せた。
なんとなく、その顔は、可愛いと思った。
ただ、ひどく気になったのは。
その顔、その首筋、その腕、その手。
その白い肌に広がる、特徴的な、赤い、湿疹みたいなもの──
ニキビとかとはちがう、ナニか。
「……というわけで、
ごつん、と、なじみ深い、教科書の背表紙の衝撃。
「んあ……わかりません」
笑いが起きる。
まただ。
また、あの夢だ。
場面はまるで違ったけれど、あの女の子は、共通していた。
だけど、姫サマのむち打ち……だって?
姫ってヤツは、俺の手の中で、……潰れて、死んで……
……死んで!?
「うわあああああっっ!?」
思わず叫んでしまい、先生を驚かせ、その手から落ちてきた分厚い世界史Bの教科書が、俺の右手の甲を直撃した。
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