第3話 不倫研究会
「ふ、不倫ですか?」
思わず声が裏返ってしまう。
「そうだ。社会学の観点から、不倫をテーマに研究しようというサークルだ」
なぜか田沼は腕組みをして偉そうにウンウンと頷いている。どうやら彼の癖のようだ。
「いきなりだが、森岡少年、君は童貞かね?」
いきなりすぎるよ、不倫と童貞に何の関係があるのか意味わからない。
戸惑っている僕に、田沼が続けた。
「なにも恥じることはない。誰しもが初体験を済ませるまでは童貞なのだから」
「い、一応、童貞です」
そもそも、初体験どころか女子と付き合った事さえない。僕は『年齢=彼女いない歴』なのだから。
「やはりな。そして君は東京で彼女を作ってイチャイチャしたくて、この大学に入ったのだろう。しかも君は『年齢=彼女いない歴』ではないのか?」
田沼が、どうだと言わんばかりに指でL字型を作り、僕を指さした。これが漫画なら、<ビシッ>という効果音が挿入されていることだろう。
「うっ」図星をつかれて、言葉に詰まる。
「どうやら図星のようだな。だったら話は早い」
満足そうに田沼がまたもウンウンと頷く。
「森岡少年よ、彼女を作るにはどうしたら良いと思う?」
「そ、それは、女の子と仲良くなって……」
そんな事が分かっていれば『年齢=彼女いない歴』になんてならない。
「女の子と仲良くなるにはどうすれば良いか、また仲良くなっても、その先は?」
「分かりません……」
消え入りそうな声で答えるのがやっとだった。
「そうだろう、君には願望があっても、それを実践する為の知識も経験もない。
野球をやったことのない奴が、いきなり満塁ホームランを打てるか?」
田沼にたたみかけられて、僕は更にタジタジとなる。
「我がサークルでは、女性の心理に踏み込むために不倫をテーマに研究しているのだよ」
田沼は腰に手を添え、仁王立ちのポーズで『どうだ!?』と言わんばかりに胸を張った。
「森岡君、あいにく僕達は若い女の子と接する機会は少ないけど、女性と話せる機会は多く得られるし、きっと彼女作りにも役に立つと思うよ。
僕も上京したての頃は女の子と喋ることすら出来なかったけど、今ではそんな事なんて克服してしまったからね」
岸本が横からフォローしてくれる。やっぱりこの人には親近感がもてる。
「さっそくだけど、うちら、この後すぐにサークル活動があるんだ。森岡も一緒に来てみれば分かるよ」
「サークル活動ですか? 何をするんです?」
岡田がなれなれしく肩に手を回しながら僕に耳打ちする。
「このコンパが17時までで、そのあと新宿へ移動。そこでまたコンパさ」
岡田がウインクして、ニヤっと笑った。胡散臭い笑いだ。
「コンパって、相手は誰なんです?(まさか、女子大生か!?)」
「残念だが、女子大生ではないぞ、森岡。
相手は人妻さ。19 時に待ち合わせしている。うちらは片付けがあるから、お前も手伝え。
片付けが終わってから向かえば丁度よい頃だ。年上の女性に可愛がってもらえ」
あれよあれよという間に訳も分からず、僕は不倫研究会に入部することになった。
僕のキャンパスライフが……、何か間違った方向へ進んでいく気がして「はあ~」とため息が漏れる気がした。
不安を覚えながら、先輩の指示に従って後片付けを手伝い、片付けを終えた頃には18 時を少し回っていた。
「よし、忘れ物はないか? では、いざ出陣だ」
田沼が号令をかけ、他のメンバーはそれに続いた。僕も先輩三人の後ろからついていく。
もう、どうにでもなれと半ばやけくそ気味だった。
他のサークルも、この後に新入生の歓迎会でもやるのか、楽しそうな声があちこちから聞こえてくる。僕は、早々と本流から外れていったのだと自覚した。
大学から新宿までは電車を乗り換えなしで行ける。なんなら歩いても行けるのだが、今日の移動は電車だ。まだ地理に疎い僕は、先輩の後を必死でついていった。
このまま逃げてしまおうかとも思ったが、声をかけてくれた先輩に申し訳ない気がして思い留まる。
辞めようと思えば、いつでも辞められるだろう。僕は楽観していた。
そこそこに混雑した電車に揺られ、新宿駅に着いたが、足早に移動する人の流れに目が回りそうになる。
ここでも先輩を見失わないように必死でついていく。
まるでダンジョンのような地下通路を右へ左へと縫うように進みながら、ようやく地上に出ると、田沼が「あ、いたいた」とひとりのスーツ姿の男性のもとへよ歩み寄っていった。
「高橋さん、すみません、待ちましたか?」
「おう、田沼。俺も今来たところだ」
高橋と呼ばれたスーツ男は、見たところサラリーマンのようだ。切れ長の目に知性を感じる。
「お、知らない顔があるな。新入生か? 今年は獲得できたんだな」
「はい、我がサークル期待の大型新人です」
「高橋だ。田沼の二つ上で、今は広告代理店に勤めている」
「森岡圭、経済学部です」
簡単に挨拶を交わすと、高橋は、圭を値踏みするかのような視線を送ったかと思うと、穏やかに微笑んだ。
「森岡君、今日は君の歓迎会も兼ねている、存分に楽しんでくれ。さあ、遅れるとまずい、行こうか」
「ありがとうございます」も言い終わらないうちに、高橋はスタスタと歩き始めた。
またもや、先輩たちの後を必死でついて行く、人の垣根を越えて。
やがて、高橋が小さなビルの前で立ち止まり、「ここだ」と指差し、小さなエレベーターに乗り込んだ。定員八人となっているが、男五人が乗るとギュウギュウだ
「高橋さん。今日のお相手は高橋さんのクライアント関係の方だと伺ってますが、どんな人たちです」
「まあ、そこそこ旦那が稼いでいて、ちょっと暇を弄んでいる、昔遊び人だった女子大生のなれの果て……と言ったところかな 笑」
岸本の問いかけに、高橋はフンっといった感じで答える。
「ああいう過去の栄光を忘れられない連中は、いつまでも自分が若くて魅力的な女性だと勘違いしているものさ。だから、長谷田のブランドだけで集まってくる」
僕たちが通う大学は長谷田大学と言って、お坊ちゃん校の啓蒙義淑大学と並んで日本の私立大学のツートップを担う超難関校だ。ブランドという点では申し分ない。
「あの、高橋さん。その人達って年齢は、どのくらいの人達なんですか?」
僕は、おずおずと高橋に尋ねる。もし母親くらいの年齢の人だったら、とても話が合うとは思えない。いや、そもそも僕は女の人とまともに喋れないのだ。
「森岡君、女性に年齢を聞くのは野暮だよ。君が見たままの彼女たちを受け入れ、感じたままに行動するんだ」
高橋はウインクしながら答えた。
「はい……」なんともモヤモヤした感情と不安が残る。
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