タイムカプセルと、✕✕✕ゲーム

入川 夏聞

本文

 人類の西暦21回目の区切りとなった21世紀は、多くの者にとって特別な憧れを抱く特別な世紀だった。それは多少異なる世界線上であろうとも同じことである。


 人々はチューブの中を走る車やテクノなファッション、流線型の建物や動く歩道などを好きなだけ夢想していた。当然、ある者にとっては世紀末だ、末世だと些末な取り越し苦労を「予言」と称して、滑稽なほどな恐怖をざんぶと頭からかぶる向きもあるにはあったが、多くの庶民にとってはやはり、理想の未来世界とは夢にまでみる憧憬のまとで有り続けた。

 だから、当時の人々はこぞって理想的な未来の姿をしたためて己だけの特別な「タイムカプセル」を作って、それを将来の自分のために各々の思い出の地に埋めたのである。


    ◆


「本当に久しぶりだわ、お日様の下でこうやって二人っきりなんて。ふふ、りっちゃん。本当に、大きくなったのね。」

「ううん、全然。私なんて、そんなこと。り……リナは、あ、あの。やっぱり、すっごくキレイなまま、なんだね」


 この二人が会うのは、実に十年ぶりのことだった。まだ世界が世紀末の到来に沸き立っていたころに彼女らは一度別れたのだ。いつか、必ず再会しようとお互いに、自らへの精一杯の愛情を込めて。


 かつての姿を保った桜の古木は野暮な日差しから隠すように、二人の久方ぶりの逢瀬を覆っていた。


 リナと呼ばれた女性は、単純にはギラギラとした長身の美女で、落ち着いて客観的な視点に立てば、りっちゃんの方よりは少しだけ大人びて見えた。ショートにまとめた黒髪は内向きのカーブを描いて表情の一部にかかり、ハッキリした目元の艶めかしさをより引き立たせていた。

 それに対して、りっちゃんの方は肩越しまで伸びたブラウンの髪を控えめな三編みにまとめて自分の胸元に流し、かつそれを両手の細い指先に頼りとしながら、大げさに分厚い眼鏡の奥に隠した瞳を未だ白黒とさせている。


 実のところ、二人はまだ社会に出て間もない未熟な年齢ではあった。そんな互いの視線はときに絡み合い、ときにすれ違いを繰り返しながら、やがては相手を正面に捉え合った。

 ただ、りっちゃんの方が気後れして目のやり場に困ってしまうほど、リナが持つ大人な女性としての象徴的な各部位から受けるというものは、これまでに知れた女の群を抜いていた。

 それは、かつてりっちゃん自身が切望したとおりの『グンバツ』の女そのものだった。今、それは死語であったとしても、本気で憧れ求め続けていた過去の自分の理想的な女性像は、まざまざと眼の前に現実として存在していた。


「なに、想像しているの?」

「あ、ごめんなさい……」


 りっちゃんの方がつい、目元をうるませながらうつむくと、リナは息がかかるほどに距離をつめた。そして、ちらり、ちらりと、控えめなカーブを描く相手の全身を、切れ長の瞳でであげていく。


「どうしたの、顔、暑そうね?」

「そ、そうかな? あの、リナ。その……胸が――」


 耳元での艶めかしいささやきが聞こえてしまうのなら、必然的にお互いの体の引力は強くなっているということだ。リナの胸元の主張はりっちゃん自身のそれを遥かに凌駕しており、背中の桜の幹に体をあずけていなければ押し倒されてしまいそうだった。


「髪、染めちゃったのね。あんなに、キレイな黒髪だったのに」リナが言った。

「うん……ごめんね、リナ。私、その――」りっちゃんの方は耳まで真っ赤になって、うつむく。


「誰か、好きな人でも出来たのかしら?」

「あ……」


 いつの間にか、リナの指先は彼女の指先に絡みついていた。愛撫するような、細長くしなやかなその動きから逃げようと腕を動かすと、リナの体をより強く引き寄せてしまう。


「ねえ、誰? もう、したの?」

「ま、まさか……!」いなやともう満足には顔も左右にふれないほど、二人の距離は近くなっている。

「あら、してないの? なぜ? 好きな人とそういう関係になるのは、あなたの憧れだったでしょ?」リナの吐息は、かつて願ったとおりのハチミツに近い悪戯イタズラな甘さに満ちていた。

「だ、だって。やっぱり、私、リナのようにはいかなくて」


 うるむ瞳には、切実な思いがにじみ出る。薄い桜色のチークは地の肌の上気に合わせて濃さを増し、その頬にも明確な紅がさす。


 かつて、りっちゃん自身は願った。いつか、私の巡り合う恋人はとっても素敵な人なのだから、それには今のリナがよく似合う――――。


 だからこそ、かつての彼女は目の前に立つリナという人間を切望し、心からの愛情を込めて、一旦は別れたのだ。

 そうして、すべての理想は十年前に「タイムカプセル」へ込められた。


 見つめ合う二人を通り過ぎる風、それに合わせて色づいた桜の花弁が舞う。


「ごめんね。私、やっぱりリナのようには、なれなかったよ……」


 消え入りそうな声を押し出したりっちゃんの頬を伝う小さな涙粒を、リナの指先がひろう。彼女のしなやかな指先の暖かさは、世紀を超えて今日まで重ねてきたりっちゃん自身の悲しみのすべてを、優しくすくい取ってくれるかのような慈愛に満ちていた。


 リナはその自分の指先に移った雫を、愛おしそうに、そっと舌の上に落とす。

 目をつぶって、喉を鳴らして、それでもう一度、目をあけて。


「もう、泣かないで。りっちゃんは、りっちゃんのままで。そう、それでいいの。そのままで。ね?」


 リナはかつての幼いりっちゃんに言い聞かせるように、どこまでも優しい微笑みを浮かべている。


「そろそろ、行かなくちゃ……最後に、あなたのいっぱいの笑顔が見たいわ」

「え……もう、時間なの? イヤだよ、もっと、一緒にいてほしいよ。もっと私に、いろいろ、教えてほしい――」


 りっちゃんの濡れたまつ毛のすぐ先には、リナの情熱的な瞳が輝いていた。

 そのときのリナの笑みには、すべての答えが含まれていた。りっちゃん自身が憧れた、理想の女性。自分にはない強さと美しさ、何よりも表情や振る舞いに満ちるしなやかな自信。それらはもう永遠に出会えない、彼女の最後のきらめきなのだった。


「りっちゃん。もう一度、聞くわ。恋人は、本当にいないの?」

「うん、本当にいないよ。まだ、出来たこともないもの」


 りっちゃんの震える肩を、リナは優しく包み込んだ。甘い吐息を感じながら、二人で密着した心臓の鼓動は、みるみると交わっていく。


「なら、タイムカプセルの罰ゲーム。覚えてる?」


 リナからの言葉に、りっちゃんはおびえるようにこくりと一度頷いて、「でも、本当に? 本当に、初めてなのに――」と言ってはその顔を最高潮に赤らめた。


 この日の春風は、いつまでも止みそうにはなかった。桜の花びらは悪戯な風にもてあそばれて、散っては舞い上がるを繰り返す。対して、古木こぼくに残るつぼみはみずみずしく湿り気を帯びて、恥じらいつつのほころびは見せど、いまだこの世の温もりも冷たさも熟れるほどには知らずといったあまりに初心うぶな様子で、枝にしがみついたままだった。


 リナとりっちゃんは、お互いにぎゅっと抱き合い、自らの体温を交換する。少しく探るような動きを見せた彼女らの唇は、ゆっくりと重なり、止まり。弾むように、離れた。

 それは、世紀を超えた二人の、古い約束の儀式だった。


「私のファースト・キス。奪われちゃった――――」


 唇の余韻に残る感触を、りっちゃんは指先でなぞる。

 さすがに火照った頬を持て余して、リナが茶化すように言う。


「自分となんだから、ノーカン、ノーカン!」

「まあ、そーなんだけど」


 そして、二人はいっぱいに笑顔を交わした。

 彼女らの歓声に、懐かしいこの学舎まなびやの景色すべてが答えてくれているように輝いていた。


 りっちゃんの笑顔を満足そうに見届けて、リナは春の風と共にすっと消えていった。

 彼女と共にかつてタイムカプセルに込められた約束は、こうして果たされたのだった。


    ◆


 かつて小学生だったりっちゃん――自分のことをそう呼んでいた田中リナは、未来の自分の理想の姿をホログラム作成キットで作った。この世界線では、誰もが図工の時間に行うありふれた行為だ。その実体ホログラムをタイムカプセルに込めることも、とてもポピュラーなイベントだった。


 もちろんすでに述べた通り、当時のリナは理想の自分の姿を持てる限りの愛情を込めて作成し、未来の自分へと託した。タイムカプセル投入用に実装できる約束イベントには、そのときまでに恋人が出来ているかどうかを指定した。そして、その罰ゲームにキスを設定してしまったのは、おませで小さな女の子の気まぐれであった。


 いずれにしろ余計なことかも知れないので、幼い小学生が21世紀をイメージした結果として、タイムカプセルから出てきたリナはやたらと銀色のぴちっとした全身スーツを着てギラギラしていたということは、この際は言わない方がよかろう。


 野暮な描写は不要なのである。これは、小説なのだから。

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