21回目
尾八原ジュージ
21回目
遠山さんは不思議な人だった。
彼は僕がアルバイトをしていたバーの常連だった。見た目は普通のおじさんだが、美女をとっかえひっかえしていたので目立った。僕とはたまたま同郷だということがわかってからよく話すようになったのだが、元々話好きな性格らしかった。
「あの人、うちの古い常連さんなんだけど、昔はもっと地味だったんだよ。三十路入った頃から急に羽振りがよくなってね」
マスターは遠山さんのことをそう説明し、そういう運が向く人もいるんだろうね、と結んだ。客商売を長くやっているせいか、マスターには達観したようなところがあった。
遠山さんは怪我が多かった。指にギプスをつけたり、片方だけサンダルを履いた足を引き摺った姿を何度か見かけた。
「遠山さん、お仕事は何をしてるんですか?」
よほど危険が伴う仕事をしているのだろうか、と思って尋ねてみたが、答えは予想外のものだった。薄くなった頭のてっぺんをポリポリと掻きながら、彼はこう答えた。
「いやぁ、俺、実は何もしとらんのよ」
いっちゃんには特別に教えてやろうかな、と遠山さんは僕に耳打ちをした。
「金がほしいときは、悪魔に祈るんだよ」
「悪魔?」
「そう。そうすると金が入ってくるんだ。宝くじが当たったり、万馬券が当たったりしてさ」
タダじゃないけどね、と言って、遠山さんはちょうど指に嵌めていたギプスを撫でた。
与太だろうと思ったが、反面羨ましい話だとも思った。もしそんなことで大金が転がり込んでくるなら、誰だって悪魔に祈るだろう。
遠山さんは僕に歳を聞くのが好きだった。酔うと大抵一度は「いっちゃんはいくつ?」と来る。僕も仕事と思って、毎回真面目に答えていた。
「22歳です」
「若いねぇ。若いってのはそれだけでいいよね」
「そうですかぁ」
「俺ねぇ、若い頃はジジイになる前に死のうと思ってたの」
高いブランデーを傾けながら、遠山さんがそう言ったことがあった。
「太く短く生きてえなと思ってね。でも年食ったからって急に死ねないんだよなぁ」
遠山さんは俺を見て静かに笑うと、自分の両手を眺めた。
「あと一本しかないんだよ」
それが何のことなのか、その時の僕には見当もつかなかった。
あるとき、遠山さんは右手の親指にギプスを巻いて店に現れた。
「最後になっちゃったから、もうやめないとね。こんな金の使い方は最後だよ」
そう言いながら彼は連れのお姉さんのためにカクテルを頼み、居合わせたお客さんにも一杯ずつ奢った。
「最後って、何かあったんですか?」
彼がいい気持ちになった頃を見計らって尋ねると、連れのお姉さんが代わりに笑った。
「この人、変なこと言うの。若い頃に悪魔と契約したんですって。そいつにお願いすると、大金が転がり込むんだっていうの。おとぎ話みたいでしょ」
「全然おとぎ話じゃないよ」
遠山さんが言った。
「お願いするときに、自分で自分の指を一本折るって契約なんだよ。こいつが20回目」
彼は右手の親指を立ててみせた。
「あいつ、この次は全部の骨を持ってくっていうからさ。もうこれでおしまい」
その後遠山さんは、お姉さんと一緒に夜の街に消えていった。どこか寂しそうに背中を丸めて歩く姿が、僕が彼を見た最後になった。
「遠山さん、道を歩いてて、でっかいトラックの後輪に巻き込まれたんだって」
ある日、マスターが僕にそう教えてくれた。
「古い付き合いだから葬式にも行ったんだけど、棺は蓋が閉まったままでね。やっぱり全身滅茶苦茶だろうから」
僕には単なる偶然とは思えなかった。遠山さんはやっぱり21回目のお願いをせずにはいられなかったに違いない。僕はそれまで少しだけ抱いていた「自分も悪魔と契約したい」という気持ちが、そのとき音を立てて萎んでいくのを感じた。
21回目 尾八原ジュージ @zi-yon
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