プロローグ『天妖界にて』






 三度目の正直。

 ――――今度こそは、成し遂げないと次はない。


 そう思いながら化け猫の御愛みあは、猫神の待つ神殿の部屋の前に目を閉じ佇んでいた。


 ミルクティーに似た金色の毛色が窓から差し込む陽光に照らされて煌めいている。

 ジャージの上に似たような見た目の赤いケープを羽織り金色のフレームに緑色の石が埋め込まれているペンダントを下げた、二つに裂けた尾をゆらゆらとさせている二足歩行の猫だ。


 ここは『天妖界てんようかい』。天界の内にある化け猫が暮らす区域。

 化け猫は二本の尾を持ち、妖力を用いて人間の姿に変化出来るあやかしである。


 化け猫はかつて人界で生きていた普通の猫だった。

 強い願いや未練を残した猫の魂に天妖界の猫神は化け猫のカラダ――――人間体と生前とは違う猫の姿――――を授けた。

『叶えたい』と願う猫には任務を課し、達成させたらその願いを叶えるのだ。


 御愛も”強い願い”を持つ化け猫である。

 今日はその任務を請け負いに来たのだった。


 心を決め、緋色の瞳を開いた御愛は神殿の扉の脇にあるスイッチを肉球でぺちっと押した。

 跳ね上げ式の扉が上方にウィーンと音を立てて開く。

 とても広いその部屋は、外が見える透明の壁に雲のようなもこもこの絨毯じゅうたんが床に敷かれていて、陽の光の照明で明るかった。


 この神殿は猫神が任務を成功させた化け猫の願いを叶える儀式を主にする場所に使われるが、最近は長らくそういうことがない為、行われていない。ちなみに今は猫神の寝るだけの場所と化している。



「来たな、御愛よっ! 」



 中に入ると、猫耳をぴょこんと折れさせた人型の幼女が白いもふもふの裾の長い着物を翻しながら、笑顔で迎えた。


 彼女が天妖界の猫神・あられである。


 白く長いまつ毛に薄い水色と金色のオッドアイ、腰より長いさらさらの白い髪は結んでいないが背中で奇麗に分かれ、双方に細い三つ編みの束に薄い水色のリボンが編みこまれている。


 御愛は人の姿の霰と目線を合わせるため、ペンダントから放出された緑色の光を纏って人の姿に変化した。


 猫の時と同じ金色の前下がりショートと前髪の一部に赤のメッシュ。白いラインの入った赤いジャージはファスナーを首まで上げ、膝丈の白いプリーツスカート、厚底の赤いハイカットスニーカー。

 正体が化け猫だと知らない人間がその姿を見れば、(猫耳を付けた)ただの人間の美少女だと思うだろう。



「……今回は割と眠りの時間が短かったな。三回目の任務は皆こうなのか?」


 御愛がそう言うと霰は呆れ顔になり、


「三回目ともなる奴など今まで滅多におらぬかったわ……。オマエが特別なのじゃ」

 御愛の額に人差し指をツンツンする。



「それは失礼いたしましたー」


 御愛はジト目を逸らしながら、バツが悪そうにその指を手で軽く払いのけた後、目線を再び霰に戻し、「それで?次の任務内容は」と聞いた。


「今、千影ちかげが資料を持ってきているから待つのじゃ」


「またパシれられてんのかあいつ」


「……にゃんか云ったか?」


「……別に」


 千影は、御愛の後輩化け猫だ。御愛にすごく懐いていて、慕っている。

 御愛の為なら何でもしたがり、今日も御愛の役に立ちたいがために猫神のパシリに買って出たのだ。


 少し待つと、猫から美少女に変化した状態の千影が小さな光から舞い降りた。


 毛先だけを細長い黒いリボンで結んだ薄紫がかった銀色のゆるく巻かれた長い髪。前髪には濃い青のメッシュが二本入っている。

 服装は振袖の揺れる肩やひじが出ている裾の短い、黒生地くろきじがベースの和風な小花柄のワンピースと薄紫色のパンプスを着用している。

 人間時は胸がでかく、御愛の人の姿より少し背が高い。そして、顔立ちも大人びた感じにギャルっぽさを足した感じだ。



「猫神さま、おーまち。……あっ!御愛先輩、お久しぶりっす!」


「久々……、そんな久しくないけどな」


 元気で明るく現れたと思ったら、御愛の姿を目に捉えた瞬間若緑色の瞳を輝かせながら駆け寄ってくる千影。

 可愛いなと思いながらもそっけない態度をとる御愛。


 そんな御愛に「むー」とむくれる千影。

 ちょっと背伸びして御愛は千影を宥めるように頭を撫でると、霰が「オマエらほんとうに仲がよいのだなー!」と笑った。


「見た目は逆転してるけどな!」と霰。


 人間時の外見年齢という意味だろう。

 背が高く大人びた顔立ちの千影と、少し幼げで背が低めの御愛。

 化け猫になったのは御愛のほうが先輩である。


 それを聞いて頬を赤に染める千影は話題を次に行かせようと「ところで、」と切り出した。


「今回も”護り猫”の任務っすよ」


「……ああ」


「確認のために改めて説明しますね、御愛先輩」


 すぐに手元に目線を移す。 表面に水色の雫の文様が印字された茶色のカバーの綴じ込みのファイルを手のひらに呼び出し、開いて中にある資料を読み上げた。


「護り猫――――……人間の心に現れる”靄”を目印にその人間に取り憑き、身体を支配する”憑き者”と呼ばれる特異な悪霊を化け猫の妖力を用いて浄化させる……」


 ん、と御愛が相槌を打つと千影は説明を続けた。


「……特定の人間とコンタクトを図り、互いの合意の上、誓約を立て”専属護衛”の契約を結ぶ。その人間と力を結び協力して、憑き者や大体の靄から完全浄化出来たら、任務完了となる……達成すれば、晴れて御愛先輩の願い事が叶う条件が整うというわけです」


「……ん、改めて理解した」


「うむ、千影。 次に今回のパートナーになる人間の資料を見せるのじゃ」


「……今回のパートナーの人間です」


 千影はページをめくり、資料を御愛の目の前に広げた。


 その人間の名は……、雨夜あまや……沙那さな。暗色のセーラー服を着た小波さざなみ高校の一年生。

 長い黒髪は耳の横でツインテールで纏められ、向かって右の束は短めのスカーフのリボンで結ばれている。

 緑色の瞳は黒く長いまつ毛で半分伏せられ曇った表情をしていた。


「こやつは靄の色が濃く出ている。厄介な過去を背負ってここまでになったのだろうなー」

 霰はそう言って唸った。


「…………」


 資料を見て黙り込んでいる御愛を見て、霰が「あ」と何かを思い出した声を出した。


「そういえば、呪いの話をしなければならん……御愛」


「また呪いなんてあるの⁉」


 御愛よりも先に反応したのは千影だった。


「今まで御愛は二人のパートナーとの任務を失敗しとるから、下界での変化の時間を制限する呪いをかけておいたのだ」


「確か前の呪いは……、変化や浄化魔法に使用した妖力の回復に必要な睡眠の時間が長くなるとか一日何時間しか化けられないとかだったか」


「今回はその睡眠に必要な時間を増やし、その時間が経過するまで起きられにゃいというものじゃ。代わりに変化時間もは減る」


「……それは不便だな。変化できるのは何時間なんだ」


「一日六時間じゃ」

 霰は両手で”5”と”1”を出して”6”を作った。……つもりが御愛側から見ると出している指が逆である。


「「…………」」

 ジト目になる二人。


 霰はすぐ手を下ろし、

「……御愛のことだ。どうせまた無理をするじゃろうが、三度目じゃ。くれぐれも慎重にな」

 語気を強めて言った。



「……わかってる」


 千影がふと資料に目を落とすと、見落としていたところに気付き、慌てて読み上げた。

「おっと、ちなみにタイムリミットは二年、人間と同じ時間を過ごすためその期間は下界に滞在すること……ってあります」


「その辺は前と一緒だな。相変わらず短い期間だ」


「それは妾たちが猫であり、天空の存在だから時間がそう感じるのにゃー。下界の人間どもからすれば長いものだったりするのだ」


「そういうもんですか……?」

 首をかしげる千影。


「……まあ、任務内容も理解したしパートナー相手のことも覚えたしそろそろ任務に向かうか」


 足早に先程入りの時に使った扉から外へ出ようと足を進める御愛。


「はや⁉もう行くんだ……」


 千影は驚きながら御愛を目で追う。


 御愛は一度立ち止まり、千影のほうに振り返る。


「ご苦労様、千影。ちゃんと戻ってくるから」

「……はい、いってらっしゃい御愛先輩」



 名残惜しそうだが笑って見送ってくれる千影に頷く御愛。



「ちょっと待て。ほれ~」

 霰は右手をむすんだあと、パッと開き、光の粉を御愛にかけた。


「光のまじないじゃー!帰ってくるときは妾の好きなスシを土産に持って帰ってくるといいのじゃ!あと、ここから行くがよい」


 トンッ


「え」


 御愛は足元の雲を丸く切り抜かれ下界に突き落とされた。

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