雨夜沙那
第1話 『誰がために泣くのか』
――――今日もまた、憂鬱だ……。
「……あ」
授業途中、うとうとしていたら、いつの間にか授業が終わっていた。
周りの生徒の話声で、私はうっすら浮かんでいた夢の世界から一気に現実に引き戻された。
連日の雨で外は霧が立ち込める梅雨真っ只中の六月の空を、窓越しに見る視界はは少しぼやけていた。
全然授業、頭に入ってこなかったな……、まあ私――――
机に広げた教科書類を一個ずつ畳んでいきながらため息をついた。
どうも勉強は幼少期から苦手なのだ。
ダメ元で受験して何故か受かった
ここに入学して早二ヶ月、未だにぼっちをかましていてなかなか高校に馴染めていない。
つまりは、友達がいないということ。
原因は私が会話に応じようとしない、無口で暗い人間だから。……いや、クズと言っても過言ではないだろう。
過去のトラウマにいつまでも囚われて、引きこもっていた小六と中学全ての四年間。
無駄に毎日を潰していた時を取り戻したくて、高校に行くことを決意したのに……、入学して早々、自分を変えたいという計画は停滞してしまった。
ずっと陰鬱な気分で、息苦しい。何をするにも億劫。
胸の内に雲がかっていて、心も喉も手で掴まれるような感覚が常にある。
故に、泣くことや笑うことなどの感情を表に出す行為や、声を出して話すことに何かに塞き止められているようだ。
一生このままなのだろうか……? ――――わからない、そう嘆息して教科書類を机にしまおうとした瞬間、机の上に置いていたシャーペンが手に当たって床に落下し転がった。
「…………ぁ、」
声にならない息が漏れて、ころころと転がっていくシャーペンを目で追いかける。
私のシャーペンは、クラスメイトの女子生徒の上履きのつま先に触れて止まった。
ベージュブラウンの髪をシュシュでひとつに纏め、高校生にしては長身で大人びた顔立ちのその子は私のシャーペンを拾って渡してくれた。
この人の名前は――――……、明坂ねね。
「沙――――……雨夜、さん……シャーペン落ちたよ。 はい」
クラスで唯一、喋らない私に懲りずに話しかけてくれる。一言も返せない私にだ。
「……っ」
お礼を言わなければと思ったけど、言葉が喉で引っかかって出すことができなくて諦めてしまった。
自分で最低だと心中で戒め、ありがとうの意で会釈してみた。……伝わんのかな……。
「……?」
首を傾がれてしまった。
受け取った後、一度だけ合わせた目をすぐ逸らして、背を向けると、後ろからあきれたような棘のある声が聞こえた。
ちら、っと横目で声の主を視界に入れる。
「ねね、そんな奴構わないでいいんだって」
「そーそー」
小柄で華奢な体型でメイクばっちりで長いネイルのミルキーブロンドのボブカットの女子――――……確か名前は小宮羽唯――――が言う。
前髪をシュシュで結った、でこ出しの黄色みがかった金髪の女子――――……多分名前は夏川しゆ――――がそれに同調する。
「ちょっ……、羽唯もしゆも……そんなこと言わなくていいから」
「だってあいつ嫌いなんだよね。暗くて一言も喋らないし」
「羽唯」
「表情ひとつ変わらないしね」
「二人とも、やめなって。 聞こえちゃうでしょ……!」
宥めてくれてるけど、絶対聞こえるように言ってるんですよ……。
小宮という子は、どうも私が嫌いみたいだ。常に私を見る目がとげとげしい。
夏川って子はよくわかんない。小宮って子にいつも合わせてて、何考えてるのか全然読めない。
私は前に向き直り、ペンケースにシャーペンを片付けた。
色々言われるけど、言い返したりはしない。
だって言われても仕方ないから。深く捉えるのは、もうやめた。
……ちょっと心が痛んだりするのは秘密。
そうやってまた気持ちを封じ込めると、雲が胸の内に増える感覚になった。
「……はぁ……」
苦しくなって、息を吐いた。
***
下校時間。
帰宅部なので、すぐさま帰ろうとしたら傘立てに自分の傘がなかった。似ている傘があったから、間違って取られたのかもしれない。
雨が降っているから、傘がなければ帰れないのに。
本当ならこれは先生に言いに行くべきだと思うけど、面倒事になったり長くなりそうなのが嫌なのでやめておく。
私は雨に打たれて帰ることにした。
大丈夫。駅から近いし。
だけど。 ――――ほんと、ついてないな。
鞄を抱き、買ったばかりのベルクロスニーカーを履いた足を急がせた。
雨は涙みたいで、嫌い。
自分はあの日から、泣くことができないから余計に嫌い。
でもあの空を見上げるとちょっと、いいなって羨んでいる自分がいる。
心から、泣いてみたいと思っている自分がいる。
だけどそれは叶わない願いだ。我が儘なことだ。
そう思ってその想いに蓋をする日々。
私は小走りで駅を後にし、家路についた。
ガチャッ
玄関のドアを解錠し、中に入った。
耳の後ろで二つに結っている黒髪も、暗い色のセーラー服も、足元は白い靴下まで雨で濡れてぐしょぐしょだ。
一刻も早くお風呂に済ませてしまいたい。
雨夜家は母親と私の二人暮らしで、マンションに住んでいる。
母子家庭なので、母親は朝から晩まで仕事に出ているため、家には誰もいない。
数年前のあの出来事がきっかけで、母親との関わり方も変わってしまって今は顔を合わせても話をすることは少なくなった。
仕事で忙しい母親に代わって、家事は殆ど私が担当している。
帰ってきたらまずは洗濯機を回す。面倒くさいので制服も気にせず普段着と髪に付けていたスカーフのリボンと一緒に洗ってしまう。
その間、私はシャワーを浴びた。
***
上がったころには外は暗くなっていたので、電気をつける。
洗濯物は先程、浴室乾燥にかけておいた。
Tシャツ半パンでシャワーで濡れたままの髪を下ろしている自分が映るリビングのガラス窓にカーテンを引き、とりあえず無心でテレビをつけた。
19時なので、ちょうどクイズバラエティー番組が始まったのだ。
「……、あ」
テレビには今話題の女優の青柳芹がゲストで出ていた。笑った表情が可愛い。
昨年に見た学園ドラマで主演を務めていて、その演技がすごくてとても印象に残っている。
私は映画やドラマなどの映像作品が昔から好きで、さっきも言った昨年青柳芹が主演を務めた学園ドラマも気になる作品としてチェックしていたんだけど、そこでやられてしまった。
かっこいい。
その後他の出演作品も全て視聴したけど、青柳芹がいつの間にか自分の中で大きな存在になっているのを感じた。生き甲斐、あるいは推しというやつである。
その姿は腐りきっている私には、目が眩むほど輝かしかった。
同じ空間のカウンターキッチンからテレビを時折チラ見しながら、ご飯の準備をする。
今日はカップラーメン。スーパーで安売りしていた豚骨の細身のカップのやつ。
熱湯を注いで三分も待たず、フォークでかき混ぜ、リビングのソファーに腰掛けテレビを見ながら食べた。
……開けるのちょっと早かったかな……。
蓋を剥がしてしまったものはしょうがないので気にせず平らげることにした。
それにしても青柳氏可愛い。……というよりも、奇麗といったほうがいいかもしれない。
大きな瞳と肩までの長さの艶のある黒髪、背も腰も高くて足が長い。それでいて、聞き取りやすいはっきりした声。
なんと最近は歌まで出しているのだから(しかも上手い)、今売れに売れまくっている芸能界の隅にも置けない存在だ。
これでまだ高校三年生らしい。もっと大人に見える。年齢が二つしか変わらないなんて信じられないくらいだ。
ところで彼女はここまでクイズを一度も外していない。真面目か。
そんな彼女に心を打たれ、一度ドロップアウトした学生生活に戻る勇気をもらったのだけど……。
結局また、行き詰っちゃったな……。
食後のアイスコーヒーを水色のマグでちびちびと飲み、ソファーの背もたれに頭を預けると、また心に雲が広がる感覚になった。
番組が終了し、この後みたい番組も無かったのでテレビを消して自室に戻ることにする。
そういえば、雨音がしないな。雨、止んだのかな。
一時的に止んでいるだけかな。
あまり気にせず、リビングを後にした。
テレビを消して途端に静かになったからか、一気にブルーな気持ちに引き戻される。
楽しい高校生活を送りたいと意気込んで頑張っていたつもりだったけど、頑張り方を見失ってしまっている日々。
学校に行くのだってやっとだ、そのために朝起きることも億劫。
勉強も人間関係も上手くいかず、感情を表に出すことも、喋ることすら苦手のままで……。
苦痛だって、苦手だっていってもみんなちゃんと生きてる。
――――……わかってる。
でもなんで私はできないの、できない方向に行こうとしてるの。
このまま生きていくわけにもいかない、このもやもやの気持ちは断ち切らないといけない。
――――わかってる、わかってるけど……!
ぐるぐる、ぐるぐる。
「……う」
ちょっと、頭痛が傷んで壁に凭れた。
思い出す。
幼少期、ひとりぼっちの私に差し伸べてくれた小さな手も……今はもうない。
――――……わかってる、もう誰も、助けになんて来ない。
わかってる……。
心に雲がまた広がっていく。
雨が降らせたら楽なのに。
大雨を降らして、この気持ちが洗い流せたらいいのに。
降りそうで、降らなくて、もどかしい。
「……は……っ……!」
私は自室に駆け込み、ベランダの扉を勢いよく開いて柵にしがみついた。
荒くなる呼吸を落ち着けようと、ゆっくりと深呼吸をした。
***
何度か深呼吸を繰り返してようやく落ち着いた。
ここまでこみ上げてくるのは久しぶりだった。
もう、自分でも気づかないうちに耐えられなくなってきているのかな。
空を見上げると、また降りだしてきそうな雨雲が空一体を覆っていた。
「……?」
その雲間に、小さく微かな光を見つけた。
赤みのあるピンクのような光だ。
なに、あれ……?
流れ星……?
「…………」
――――なぜだろう、わからない。
あの光に何か惹かれる思いが、私の心を駆ける。
気付けば、私は右手を空へ伸ばしていた。
その瞬間、光が手に引き合うように私のもとに降ってきた。
ここからはもう一瞬の出来事だった。
光の中から猫が現れ、その猫の手が私の手と重なり合った瞬間、猫は光を纏って人の姿に変身したのだった。
人になった猫は私を押し倒す形でうつ伏せに倒れこんだ。
ゴンッ
「……ううっ……」
私は扉のサッシに後頭部を勢いよく打ち付けた。
雨空tears* 凪水 なも @nagi_ayuno22
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