第4話 水音響く、暗闇のベッドの上
「疲れました……」
怒られたり、泣かれたり、情緒不安定なのでしょうか。出会い頭、パットを詰めている姿を見られたらそれも仕方がないかもしれませんけど。
「瑞樹様、こちらがホウオウイン家の次女、ラケシスお嬢様のお部屋でございます」
「次は勝手に開けないでくださいね?」
被害を被るのは僕である。
それに対して、ミアさんは満面の笑顔を向けてきました。
「ご安心くださいませ。開ける必要はございません」
「……? どういう意味――」
「瑞樹さまぁあっ!!」
扉が突然勢いよく開くと、そこから伸びてきた手に掴まれてしまいました。
え? なに? と驚いている間に室内へと引きずり込まれ、
「いってらっしゃいませ、瑞樹様」
「ちょっ、待ってくだ――」
無情にも扉は閉まり、暗闇の世界へと誘われました。
■■
「くふふふふふ! あぁ、なんて可愛らしいのでしょうか! ガラスケースに閉じ込めて一日中眺めていたいぐらいですわぁ」
「(ガクガクブルブル)」
室内に(強制的に)招待された僕は、椅子に座らされました。近くの丸テーブルには、準備していたのか湯気立つ紅茶が置かれています。
僕はダラダラと汗を流して、椅子の上で静かにしていることしかできません。
招待方法が強引だったので緊張しているのもありますが、部屋があまりにも黒いのです。カーペットからベッド、あらゆる調度品が黒く、カーテンも閉め切っていて世界は暗黒一色。
唯一の光源といえば、骸骨の中にある青く光る蝋燭です。灯で心休まるどころか、不気味さがより際立っています。
「よくぞいらっしゃいました! 瑞樹様。わたくし、ホウオウイン家の次女、ラケシスと申します。以後、お見知りおきをお願いいたしますわぁ」
ゴスロリと言えばよいのでしょうか。フリルの多い黒いドレスを着たラケシスさん。
髪も黒く、部屋の色合いも混じって暗闇に溶け込んでいます。唯一、血のように紅い瞳だけが宙に浮かびあがり、ドロリと淀んだ歓喜が内包しているように感じられて、とても逃げ出したいです。誰か、助けてください。
「あ、あの……僕は瑞樹と言います」
「知っておりますわぁ。異世界から来られた、可愛らしい殿方。けどぉ」
「うひゃいっ!?」
背後に回り込まれて、抱きしめられました。
両腕が蛇のように身体を這い回り、鳥肌が立ちます。胸に触れ、スカートの中へと伸びて、下着を撫でてきました。まごうことなきセクハラです。お巡りさん助けてください。
「今はぁ、女の子なのですよねぇ?」
「そ、そうですけどぉ!?」
異世界に召喚されて出会った人物はご当主様、ミアさん、クロトさん。全員、三者三様にヤバさがありました。その中でもラケシスさんは断トツでヤバイです。身の危険どころではありません。命の危険すら感じます。バレンタインに自分の血九十パーセントで作ったチョコレートを送ってきたストーカーを連想させる恐ろしさです。箱を開けた瞬間の濃密な血の匂いに、貧血を起こして倒れてしまったほどショッキングの出来事でした。そのせいで、手作りチョコレートが苦手になりました。なにが入っているかわからない恐ろしさが拭えません。
「どういたしましょうかぁ? くふふふ、このまま食べてしまうのも、一興だとは思いませんかぁ?」
「思いませんけど!?」
絡みつく腕の力が強まり、クロトさんと同じ血を引いているとは思えない大きな胸が背中でむぎゅっと潰れます。今は女の子の身体ですが、心は男です。こんな状況だというのに、我ながら悲しいことですが、気持ちいいやらなにやら意識してしまって顔が熱くなってしまいます。
「うふふ。耳まで真っ赤。可愛らしいですわねぇ……ぺろぉ」
「きゃぁっ!? な、ななななにを!?」
耳を舐められました。背筋がぞくぞくします。怖気か羞恥か、判断すらできません。
「ちゅぱっ……れろぉ…………んっ……」
「あんっ……や、止めて…………くださ……っんん!」
「本当に、可愛らしいお方……ちゅっ」
耳たぶにちゅっとされました。自分でもわかります。顔が茹でタコです。
「では、こちらへ」
ふらふらの覚束ない足で、案内されるまま夜の海面のように暗いベッドに倒されてしまいました。
そして、覆い被さってくるラケシスさん。
「蕩けた甘い表情に、頬に差す紅……うふふ、誘っておりますの?」
「こ、れは……ラケシスさんが」
「私のせいですか? それでもいいですわよ? ……んむ」
「ひゃいっ!?」
首筋を甘噛みされ、女の子みたいな悲鳴を上げてしまいました。
恥ずかしいという感情は湧きません。ただ、襲いくる気持ち良さに抵抗するので精一杯でした。
「白い肌……性転換の魔法とはいえ、これは素養ですわよ? 素敵……」
「や、止めてください……これ以上はっ!?」
「これ以上は? うふふ、どうなってしまいますの?」
僕自身ですら発した言葉の意味はわかりません。ただ、これ以上されてしまったら取り返しがつかない。そう思えてならないのです。
「安心してくださいませ。わたくしと瑞樹様はこれより夫婦になるのですから。どのような瑞樹様であれ、わたくしは受け止めますわぁ」
「いやぁ……」
「涙を浮かべて……れろぉ…………美味しい♪」
頬に伝うざらりとした感触。涙が舐め取られたのがわかりました。
もうダメです。身体からあらゆる力が抜け落ち、抵抗する余力なんて残されていませんでした。
「うふふふふっ! わたくしを受け入れてくださるのですねぇ? 嬉しいですわぁ。それでは、これより夫婦の契りを――」
「――そこまでございます、ラケシスお嬢様」
ドレスを脱ごうとしたラケシスさんを止めてくれたのは、非情にも暗闇に食べられるのを見送ったミアさんでした。
あの時は悪魔! 鬼! メイド! と思いましたが、今は後光を纏う救世主に見えます。もしくは天使。
「あらぁ? わたくしの邪魔をするのかしら、ミアさん。わたくしと瑞樹様はこれから夫婦になるのですわよぉ?」
「はい、ご当主様の命によりご無礼ながら、邪魔をさせていただきます」
「お父様の?」
「あくまでお選びになるのは、瑞樹様。お嬢様方は、あくまで瑞樹様にアピールをするだけに留めるというのが、決まりでございます」
「うふふ。よいではないですか、別に。同意であれ、食べてしまったのであれ、結果は同じではありません?」
「他のお嬢様方の前でも同じように仰れますか?」
「……ふぅ。まあ確かに、フェアではなかったですわねぇ」
ミアさんの説得によって、ラケシスさんが僕の上から身体をどけてくれました。
黒い天蓋を見上げ、呆ける僕の視界に銀色の川が流れます。
「ご無事でございますか? 瑞樹様」
「み、ミアさんんんんんんんんっ!?」
ボロ泣きです。男とか女とか、そういったプライドなんてかなぐり捨ててミアさんの胸に泣き縋りました。とても恐ろしかったのです。本当に、食べられてしまうのではないかと思いました。
「っ! ……ふふ。怖かったのですね。ラケシスお嬢様は少々過激な一面がございますので。慣れていただくには二人で接するのが一番と思っておりましたが、瑞樹様には少しばかり刺激が強かったご様子。助けるのが遅くなり申し訳ございません」
「ありがどうございまずぅううううっ!!」
「……はぁ。良い立場を持っていきますのね? ミアさん?」
「役得でございます♪」
柔らかい胸が暖かく、小さく刻まれる心音に心が落ち着きます。このまま眠ってしまいたいぐらいの心地良さです。
「あらあら? おねむでしょうか? 可愛らしいですわねぇ」
「ええ、本当に。では、このままお連れしましょうか――私のお部屋へ」
「お
女性は皆肉食獣。隙を見せてはいけないと姉に口酸っぱく言われていたことを思い出しました。危なかったです。心を許した瞬間に、子ブタな僕は狼メイドさんにお持ち帰りされるところでした。
「冗談でございます」
ミアさんは笑っていました。けど、僕には笑顔の裏に隠された真実を見抜く目はありません。
「瑞樹様」
ラケシスさんに名前を呼ばれて身体が震え上がりました。思わず、ミアさんの背に隠れてしまいます。
そうした僕の反応に気分を害することなく、むしろ微笑ましそうに見つめてくると、ゆっくりと傍に寄ってきて手を取ってきました。
さっきまで恐ろしさばかりが先だって気付きませんでしたが、陽に当たっていないかのように白い細い手は陶器のように綺麗でした。
「先程は驚かせてしまいまして申し訳ありません。わたくし、瑞樹様とお会いできて、あまりの可愛らしさについ我を忘れてしまいましたわぁ」
「そ、そうなんですね」
「ええ。ただ、瑞樹様と仲を深めたいというのは真実ですわぁ。それだけは、信じてくださいません?」
真摯な紅い眼差し。暗闇の中で見た彼女の瞳は、血のように赤かく恐怖を植え付けるものでした。けれど、開け放たれた扉から差し込む光を反射する瞳は、宝石のように美しい光を放ち、見る者を魅了して離しません。
だからでしょうか。恐怖が薄れて、すっと言葉がでてきました。
「ぼ、僕も嫌いたいとは、思っていません」
「あら、可愛らしい表現ですわね。益々、好ましいですわぁ」
ころころと、鈴を転がすような声で楽しそうに笑っています。
それだけ見れば、礼儀正しい上流階級のお嬢様そのものです。
「それでは、次の逢瀬はまたいずれ。今度は誰の邪魔も入らない場所で二人きりで愛を確かめ合いましょうねぇ? もちろん、瑞樹様から求めさせてみせますわぁ」
「やっぱりラケシスさん怖いです!」
怪しく不敵に笑うラケシスさんを見て僕は誓いました。絶対に二人切りにはならない、と。
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