それは祈りのような願望

里場むすび

(副題)-Puissiez-vous me parler de moi un jour.-

 たまたま機種変の時期が合致したので、スマホをおそろいの機種に買い替えた。色は白で、スマホカバーは二人そろって手帳型。マティスの『赤のハーモニー』があしらわれたもの。こんな原色まみれのカバー、きっと私達くらいしかいないよねって話しながら二人で決めた。


「この絵、最初は赤じゃなくて緑だったらしいよ」


 そう蘊蓄を語る彼の顔は、どこか楽しそうで、そんな彼を私は見ていた。


 ◆


 大学2年生の春。ゴールデンウィークを利用して実家近くの美術館に行った。なんとなく人生で悩むことがあると、私はいつもそこへ行って、名前も知らない作家の作品を眺めることにしている。

 だからその日も、私は焼き物を眺めて、夕方まで時間を潰した。

 今の時期はどうやら「かわいい」がフィーチャーされてるらしく、かわいらしい焼き物が多かった。かわいいもの=毛がふわふわ、というイメージがあったせいか、釉薬のつやつやとした光沢がなんだかおかしかった。


(……あの焼き物の作家、ちょっと気になるな……インスタやってるかな……)


 そう考えてた帰り道、高校の同級生に会った。


「あれ? ミハルじゃん! 久し振り!」


 彼女は私の名前を呼ぶと、小動物みたいに可愛らしい足運びでこっちに来た。彼女が変わってないことに、少し安堵する。


「うん。久し振り」

「どしたの? たしか、一人暮らし始めたんだよね?」

「ああ……うん。ちょっと久しぶりに帰ろうかなって思ってさ」

「ふうん……あ、そうだ!」


 彼女はいいこと思いついた、と言わんばかりのオーバーな動きで私の肩をがしっと掴んだ。


「今日の夜ヒマ? 実は、彼氏が近くの店でちょっとした集まりをやるんだけど……あんまり人集まんなかったみたいでさ」

「人数合わせに?」

「タダメシ、嫌いじゃないでしょ?」


 私はどうも押しに弱いところがあり……そういうことになった。


 気になっていた作家の名前は、完全に頭の中から消えていた。


 ◆


 私はグイグイ酒を呑まされ、千鳥足になって帰るハメになった。実家に帰ると、比較的酒に強い身体に生んでくれた両親に感謝した。

 そのまま、お風呂にも入らず、コップ一杯の水を飲んで私は寝た。


 ……翌朝、目が覚めると見知らぬ名前からのlineに気付いた。


「ハルタ……って、誰?」


 それが、私がきちんと彼の名を認識した最初だった。


 詳しく話を聞いてみると、彼は昨日の「集まり」に参加していたうちの一人だったらしい。どうやら、ふらふらになった私を気遣ってくれていたようだ。生憎と私にその記憶はないのだけど、一応、お礼は言っておいた。


 昨日、忘却の彼方に置き去りにした陶芸作家の名前が知りたくて、私は再び美術館に足を運んだ。


「あっ」


 そこで、私は彼、本人と出会った。私達は言葉もなく、一緒に美術館を回った。彼が私についてきてるのかとも思ったけど、どうやら彼と私の足の向き方が一致してるだけだったらしい。


 一通り見て、なんだかよくわからないなあと思いながら美術館を出ると、彼が言った。


「近くのカフェに入りませんか? その、展示について語りたいんです」


 私は語れるほどの何かを持ち合わせてはいなかったけれど、おごってくれると言うので承諾した。


 そこからはすごかった。彼は私に口を挟む時間さえも与えずに展示について語りはじめた。展示に限らず、「かわいい」という言葉の歴史や、陶芸の歴史……最終的には人間国宝松井康成について熱弁をふるっていた。

 私はただ、その熱意に感心するばかりだった。


 ◆


 それから、何度か私は彼を美術館や博物館に誘って、一緒に展示を見に行った。目的はもちろん、彼のマニアックな語り。私は最低限の知識だけ詰め込んで、彼の熱意を堪能した。


 詳しく話を聞いてみたところ、彼は美術史を専攻する学生だということが分かった。しかも彼の実家は私の住むアパートのすぐ近く。

 なんとなく、会う回数が増えていった。


 これは、ひょっとするのではないか——私はそんな期待を胸に抱いた。


 ◆


 大学に入ると、回りはカップルだらけで、初恋もまだな自分がおかしいような気がした。不安だった。

 私も変わらなくてはならないのだと思った。

 地元で、高校の同級生の彼女に会った時は、見た目があまり変わらなかったから安心したけど、「彼氏」という言葉が登場して心が冷え切っていくのを感じた。


 だけど、いま。


 私は何を見ても、「彼ならなんて言うだろう」と考えている。

 一人の時、相手のことをずっと思うことが恋——そう考えるなら、きっと私のこれは恋だ。


 出会って三ヶ月が経った日。私は彼をデートに誘った。勝算はあった。彼は私といる時、楽しそうな顔をしてくれるし、lineは既読がついてからすぐに返事を送ってくれる。

 彼はおためごかしやお世辞の得意な部類でないことはもう分かっている。つまり、きっと彼は私に本音の言葉を告げてくれているのだ。そうに違いない。


 果たして、私の告白を彼は承諾してくれた。


 なんとなく、その言葉をなかったことにされるのが嫌だったのでその日のうちに私は彼を自宅に連れ込んだ。


 ……翌朝、鈍い筋肉痛を感じながら目を覚ますと隣には彼がいた。こっちに背を向けていたので、つん、とその大きな背中を指で押してみた。

 すると彼はくすぐったそうに身をよじらせた。


「起きてるでしょ」

「…………こういうとき、どうしたらいいのか、分からなくて」


 そういう初心うぶなところが、かわいいと思った。


 ◆


 それからなんやかんあって、私たちはちゃんと、恋人になることができた。なんやかんやの部分については割愛する。早い話が、恋人関係になることを急ぎすぎた私の自業自得である。


 二人で色々なことをした。スマホの機種変更を一緒にしたり、二人で美術館に行ったり。カップルらしく、デートで海に行ったりもした。


 ……だけど、あとから思い返してみれば。


 私は彼を見ていたんじゃくて、彼の蘊蓄を聞いてただけなのかもしれない。


 彼の両親が大企業(エンタメ系の有名企業だった)の勤め人で、彼自身もその会社に入るよう言われていると知ったのは、私たちが恋人になって1年が経過してのことだった。

 それまで私は、何も知ろうとしなかった。彼自身のことは、なにも。


 ◆


 彼の就職が決まった。もう、私とは一緒にいられないらしい。


「これからは、一月に一回会えるか会えないかだと思う」


 そう言うのを聞いて私は、自分が彼と別れることになんの抵抗もないことに気付いた。未練のような感情が、まったくないのだ。

 これからは会えなくなるのなら、それはそれで別に構わないと思ってしまった。

 一生会えないとなったら、流石にいやだっただろう。でも、年に一回でも会えるのなら、それでいいと思ってしまった。

 私はもう十分、楽しませてもらったから。

 満足していたのだ。


 それに、気付いてしまったから。


「…………別れよう」


 私は、取り返しがつかなくなる前に、この傷が深く深く、どうしようもないくらいに私の中に刻み込まれるより前に、そう提案した。


 ◆


 ——月に一度、会えるか会えないかとは一体なんだったのか。彼が働きはじめてからも、私はたびたび彼と街で遭遇した。それもけっこうな頻度だった。

 だけど、互いに目を合わせることはなくて、ただ、お互いに相手のスマートフォンを目でうかがうだけ。


 マティスの『赤のハーモニー』がプリントされたスマホカバー。それを見て、安堵する。


 でもそれは、私が彼に恋していたからじゃないのだと思う。

 私ははじめから、彼に恋なんてしていなかった。彼自身には、きっと、なんの興味もなかった。

 それなのに、彼のスマホカバーが変わってなくて安心するのは、きっと、忘れられるのが怖いからだ。


 あるいはいつか、語ってほしいと思っているのかもしれない。彼自身の口で、私について、どこか、別の誰かに。

 スケッチブックの入ったトートバッグを握り締めて、私は彼から逃げるようにしてそそくさと歩いていく。今はまだ、その時ではないと思うから。


(了)

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それは祈りのような願望 里場むすび @musmusbi

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