晩夏の候《ばんかのこう》
其乃日暮ノ与太郎
君がくれたもの
お世辞にも栄えているとは言えない駅前から片側一車線の道を東へ向かう。
歳のせいですっかり白くなった頭を夜風が撫でる。
ランダムな色使いで全体のデザインが構成されている歩道に埋め込まれた真っ直ぐな黄色に沿って進む。
景観を損なわない街路灯に照らされて本日の営業を終えた店舗の前をのんびりと通り過ぎながら。
全国にチェーン展開する居酒屋、宝石・時計・メガネを揃える店、保健衛生を扱う会社の看板を眺めつつ。
道路を挟んだあっち側のレンタサイクルの垂れ幕、炭焼き丸鶏がでかでかと強調されている看板、カッティングシートで美容室と貼られたガラス窓を見ながら。
斜め上からの光以外久しく出会わなかった明かりの正体はコンビニで、現在の時刻を知ったのは自分が通った小学校の教室に有った様な薬局の壁に固定された丸いアナログ時計だった。
今の時間帯と場所柄も相まってか、この時期の気候にしては流石に涼しく感じる。
Yの字が左に延びる一歩通行には入らず、コインランドリーが角にある交差点も曲がらず、県道同士が交わる右折可の矢印式信号も渡って歩を進める。
足元の誘導ブロックが引き続き埋設されていたが何時の間にかアスファルトに変わっていた舗装の上を街路灯と同じ様に植えられていた街路樹を越す度に一本一本の幹に触れながら。
この県を含む地域に電力を供給する会社や信用組合の建物から遠ざかり、通りを隔てた割烹料理屋をチラッとだけ見ながらも足取りを保つ。
横断歩道の標識と並んで設置されたポールにはオレンジロードと記されていて、総合病院のカーゲートが備わった駐車場の前を抜け、十五メートル分の巨大な物差しが取り付けられた訓練塔のある消防署を通り過ぎる。
中央公園は右へと指し示す入口を教える道路案内板を仰ぎ見て歩行した先の通り沿いにあったスロット専門店でさえも電気が消えていた。
方面、方向及び道路の通称名で国道と交差する旨を予告する
フォークリフトの修理工場を越えて中古車の査定や買い取りで有名なフランチャイズチェーン店の前を通過し、日中なら拝めた筈の奇妙山も含まれているであろう山々を右手の方角に感じながら歩く。
高級外車がショールームに展示された別々の代理店が並んだ先にあった二つ目の信号が青に変わるのを待ってから右折し、急に寂しくなった道に入った時には心が躍り出していた。
(目的地はもうすぐそこだ)
その緑豊かに整備されていた公園に差し掛かった時にツートンカラーの車両が右隣に停まる。
「ちょっといいですか。私、そこの警察署の者なんだけどね……」
「認知症が酷くなってきたんじゃないの」
シルバーメタリックのトヨタカローラハイブリッドの助手席で妙子が嘆いた。
「そうかもなぁ」
運転席の中森祐作が相槌で応える。
「今回は長野よ。一昨日は渋谷区初台で一週間前は大阪の吹田市」
「そうだよなぁ」
「あなたは又そんな返事しかしないんだから」
車を高速道路に乗せ、静岡へと走らせていた
「この先もう遠くに出歩けない様にキャッシュカード預かったら?」
「そこまでしなくていいんじゃないかな」
5年前に20年ローンで建て変えた二世帯住宅を目指してハンドルを握る祐作は妙子の要望を却下する。
「何か不満があるのなら直接言ってくれればいいのにね」
「昔から口数が少なかったからな、親父は」
これを機に法定速度で走行する車内が静寂に包まれる。
メーターの距離が1つ上がった頃に会話が再び始まった。
「けど、どうして最近になって遠方へ行くのかしら。それまでは元の実家周辺でしか見つからなかったのに」
「そうだな」
「大阪に何があったのかしら。発見されたの住宅展示場よ」
「あぁ、万博記念公園のそばにあっ……ん?……あ!」
いきなりアクセルを踏み込んでいた足を離してカローラが減速する。
「太陽の塔だ。有名な芸術家が亡くなった年におふくろが新幹線に乗って出掛けたって聞いた事がある」
「そうなの?」
直ぐに速度を戻した祐作の閃きに妙子はピンと来ていなかった。
「だとしたら、渋谷区は?」
この一言に今度は運転に集中しつつ記憶を呼び起こす。
「……新国立劇場!」
妻のクイズに正解を導き出した一瞬だけ隣を見てから続ける。
「天皇と皇后が臨席して鑑賞したこけら落しのオペラへ行ったって言ってた」
「その繋がりでいったら?」
妙子が初耳だったお義母さんの過去に興味を示す。
「長野は、23年前のオリンピックか。親父が警察に職務質問されたのはメイン会場がある公園だ。生前おふくろが話していた所ばっかりだ」
祐作がドリンクホルダーから麦茶を抜き取り喉を潤した。
「芸術家の死去が平成8年、オペラが多分1997年、で、長野オリンピック」
つられた様に助手席でも自分の飲み物を一口含む。
「確かお巡りさんが荷物検査したらL判のポケットアルバムを所持していたって教えてくれたわ」
「親父はそれを持っておふくろの思い出を辿っていたのかも」
「それなら昔住んでいた街界隈を徘徊していたのも合点がいくわね。脳の働きが悪くなっても覚えていたのかしら」
そう言い終えた妙子が運転手の顔を覗き込み付け足す。
「しかもこの一週間で見つかった三カ所はお義父さんも訪れた事のある所とか」
「まさか、そうなのか?」
「それでなければ特定して行動できないんじゃないかな」
妻の分析に腑に落ちた夫が頷いた後、首を横に振った。
「知らなかった。毎年一度だけしていた旅行が親父とのだったなんて」
「そんなバカな。だってご両親の事よ」
視線を遥か前方のリアバンパーを捉えたままで祐作は隣からの疑問に答える。
「その頃に大学生だった俺は上京していたから一緒に暮らしていなかったんだ。てっきり近所の奥さん達と出掛けたものだと勘違いしてた」
妙子は助手席の背もたれに体を預けて聞く。
「当時見た写真にはおふくろ一人で笑ってたのだけだった。言われてみればカメラが嫌いな人間だから当然そうなるのか」
「未だに家族揃って写るのさえも嫌がるのよね」
ハンドルを握り続けている祐作が追想にふける。
「瑠奈の小学校入学が十三回忌の年だったから、おふくろが天国へ逝ったのが22年前になるのかぁ」
その横顔に妙子が判然としない胸の内を漏らす。
「認知能力が衰えてても懐かしく想い返す事って出来るのかしらねぇ」
後部座席で二人の会話を黙って聞いていた中森智昭が心で呟く。
(息子たちはボケて放浪していると思ってるが、私は房子と行った地を巡って死に場所を決める旅をして、二十一回目の
晩夏の候《ばんかのこう》 其乃日暮ノ与太郎 @sono-yota
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
裏与太/其乃日暮ノ与太郎
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 24話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます