第2話 不思議な子ども

 ――時の彼方の、遠く離れたどこかで。

妻のニレーサが無事に出産を終えたと聞きつけた数分後、ヤルワ村の農民コットマンは自らの血が流れる小さな命を両手に抱えていた。


 「ニレーサ、よくやった!元気な男の子だ!」

 「喜んでくれて、嬉しいわ。貴方と、私の、子どもね」

 「そうとも!もう名前は決めてあるんだ。いいかい、この子の名前は、マドクだ!」


 マドク、と名付けられた当の本人の反応は、あまりに揺れが酷い腕の中の環境を抗議するようなゲップ一つのみだった。

 子どもに一通り、慈愛を振り注いだコットマンは、その息子を産婆に預けると、元気な子どもを産んだ最愛の妻のそばで彼女を労うことに決めた。

 そんなわけで、夫婦も産まれた赤ん坊も、その日彼らの家から出てこなかったが、そんなことは知るかとばかりにヤルワ村は夜中まで、宴やら大騒ぎやらを繰り広げた。

 村の男たちが、コットマンとニレーサの息子に!と声をあげ、調子よく酒の入った杯を頭上に持ち上げる。

 泣かないことを産婆に心配されているのをよそに、赤ん坊は村の様子を眺めながらふと思う。


 ――楽しそうだねぇ?


 俺にもその酒ほしい、と目を輝かせる赤ん坊など違和感しかないが、その胸中の思いはついぞ知られることがなかった。


 たくさんの人に祝福されて産まれたマドクは、特に大きな病にかかるようなこともないまま、すくすくと成長していった。

 村民の中でのマドクの評価は高かった。同じ年代の悪たれどもと比べて、マドクはとても大人しい。聞き分けがよく、言いつけられたことをしっかり守り、積極的に農作業の手伝いも申し出る。

 「マルク?遊んできていいのよ…?」

 「大丈夫。ちゃんと手伝うよ」

 母親のニレーサにそれとなく言われても、明確な意思を伝え、慣れた手つきで作業に加わってくる。

 そんな息子の態度を、コットマン夫妻は罪悪感に似た感情とともに、少々気味悪く思っていた。コットマン夫妻としては、子どもは子どもらしく、純粋で無邪気な笑顔で健やかにしてほしかった。


 子どもの教育に悩む夫妻だが、しかし一度だけ、息子がいつもの仏頂面ながらも一欠片の好奇心を覗かせた日のことをよく覚えている。

 「お父さん、今の、なに?」

 とある秋の日。

 物が焼ける時の、特有の臭いが周囲の空気に乗って鼻腔を突く。

村から、少し離れた何もない場所で、黒い煙に目が痛くなるのを耐え忍ぶ時間。まさか声をかけられるとは、それもそれが息子の声だとは思わず、コットマンは反応が遅れてしまった。

「お父さん?」

「…ああいや、なんでもない。マルク、これは、火だ。遠くにいる分には温かいだろうが、これに触ってしまうと熱くて危ないぞ」

「ああ、いや、そうじゃなくて。これが火だってことは、知ってるよ」

もしかして、人生で初めて見た炎に驚いているのかと、少し上機嫌に説明すると、それは既知だとの回答があった。

では何が疑問なのだ、と目で先を促すと、マドクはこう答えた。

「その火、つけるとき、何かしてたでしょ」

やっとコットマンは、息子が父に問いたいことを理解した。

「これだな?」

コットマンは地面に屈み、指で何やら、地面に図形を描き始めた。

図形が完成すると、コットマンは一言、こう呟く。

「イグニス(燃えよ)」

次の瞬間、地面から炎が飛び出した。

炎は、地面に描かれた奇妙な図形をなぞるように燃えていて、そこから移動することがない。

「…そう、これ」

「これはなマドク、魔法というんだよ」

「魔法」

呆然と呟くマドクの無表情な顔は、いつもと変わらないように見える。

しかし、黒い瞳にかすかに光が覗いているのを、コットマンは逃さない。

「魔法というのはな、便利なんだぞ。こうやって、地面に魔法陣を書いて、あとは一言唱えるだけで終わりだ。火だって水だって、果てはドラゴンなんかも呼び出せるんだぞ。まぁ、魔力が足りなくてお父さんには無理だが…っと、こんな話はわからないか」

珍しい息子の様子に嬉しくて、コットマンは語り口が饒舌になってしまう。

「マドク、魔法が使いたいか?でもな、まだ小さいからな。もう少し大きくなれば、教会で神父さまに、学ぶだろうさ。それを楽しみにしていなさい」

「そうなんだ。ありがとう、お父さん」

その後特に親子は魔法について話すことはなかったが、依然としてコットマンは上機嫌なままだった。


「よし、これで終わりだ。マドク、家に帰ろう」

しばらくして、後に残った灰を適当に足で踏み鳴らしながら、コットマンはマドクに声をかけた。

特に不安もなく、先に村へ向かって歩き出したコットマンの後ろで、マドクは魔法の火が消えた魔法陣の跡を眺めていた。

「魔法か。面白いじゃん」

その言葉は、秋風にのまれて、溶け消えた。ゆえに、その言葉がこの世界で話されている言葉ではないと違和感を持たれることもなかったし、マドクが遅れてコットマンを追いかけるのを止めるのを止める者もいなかった。

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異世界でもチートする 胡蝶の夢 @skygoldofmash

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