バベルの紙折り
広瀬 斐鳥
バベルの紙折り
さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう。――旧約聖書「創世記」11章
そうだ、僕らは初めから狂っていたんだ。
七国大学。九州の片田舎にキャンパスを構えるこの私立大学は、立地の悪さと教育の質の悪さという二重苦にあえでいた。ここ数年の受験者数は定員を大きく下回り、経営努力が見えないとして昨年から国の補助金も打ち切られている。かといって、理事長をはじめとした経営陣にはそれを改善しようとする意気込みもなかった。
理事長はもともと製紙会社の社長であり、この七国大学は顧問税理士に言われて税金対策で開いた学校法人だという。しかしその税理士がいい加減な奴だった。大学を創ったところでなんの節税にも繋がらず、それが分かった途端に理事長は全てを放り出してしまったらしい。
「それでも、しばらくの間は一部の幹部職員たちの必死の努力によって何とか運営が続けられていた、と」
宮崎は口元を歪めて、軽くうなずいた。
「まあ、食べながら話そう」
渋面の同級生に促された俺は、箸袋からワリバシを取り出す。俺たちの目の前には出来立ての醤油ラーメンがそれぞれ鎮座していた。
七国大学の学食はいつも閑散としており、話を周りに聞かれることはないので密談をするには最適な環境である。
「それで、経営は立ち直ったのかよ」
なかなか割れないワリバシに悪戦苦闘しながら訊く。見れば、宮崎も苦戦しているようだ。
「いや、理事長は無情にも全職員に給料カットを宣告して、その有志たちから目の光を奪ったんだ」
「ひどい話だな」
結局、二人ともうまくワリバシを割ることができず、木の繊維がハリネズミみたいに飛び出すように割ってしまった。仕方ないのでその箸でラーメンに手を付ける。
「そしてその無力さから来る絶望感は教職員から伝播し、学生たちにもじわじわ広がっているのさ」
宮崎の話を聞きながら、俺はどこか腑に落ちた思いだった。
たしかに、ここ最近でキャンパス内の灯りは随分と薄暗くなったし、学務課から配られるプリントも真っ白なコピー用紙から藁半紙へと変わっていた。もともと虚な目をしていた教授陣は、いまやウォーキングデッドのような様相で淡々と授業をこなすのみだ。
「たしかに、ラーメンのスープも薄くなったような気がするな」
「だろ。ワリバシだって安いやつ買ってるから、うまく二つに割れないんだよ」
「で、実際どれくらいやばいんだよ」
切り込んでみると、宮崎は黙って首を振る。こいつは俺と同じ四年生であり、父親がさっきの「必死の努力を続けていた幹部職員」の一人であるため、大学の内情には詳しいのだ。
「国からは大学認可の取り消しを匂わされてるらしい」
事態の深刻さに俺は絶句した。
「認可の取り消しって、俺たちはどうなるんだ。大卒の資格すらもらえないのかよ」
「そういうことになるな」
「この陸の孤島で四年間も歯を食いしばって耐えてきたんだぞ。こんな仕打ちってあるか」
「だから、学生広告コンクールで銀賞を獲ったお前に起死回生のアイデアがないかを聞いてるんだよ」
「そんなこと言われてもなあ」
俺は頭をかく。
七国大学に通う学生のほとんどは、単に「大卒」という肩書きが欲しいだけだけという不届き者たちであった。かく言う俺もその一員で、ろくに授業も出ないで学外の友人と趣味の映画作りにいそしんでおり、ひょんなことで学生広告コンクールで賞をもらってしまったのだ。
他にも授業がゆるいのにつけ込んで、それぞれの青春を謳歌する者が多い。"悪い意味で"自由なのがこの大学の校風なのである。
「数学部は? 数学オリンピックで何個もメダル貰ってた奴がいたろ」
「長崎君な。彼にも何かアイデアがないか聞いてみたんだけど、10分たっぷり悩んだ後の答えは『円周率を無限に校庭に書き続ける』だったよ」
「絶望的なレベルでつまらないな。確かに、あのだだっ広い校庭なら無限に書き続けられそうだけど。あ、土木部はどうだ。いつも重機をガーガー動かしてるだろ。あれでなんかデカいことできないのか」
「いや、部長の鹿児島に顛末を話したら、理事長に対してカンカンに怒っちゃってさあ。『ブルドーザーでキャンパスをぶっ壊そう』とか言って聞かないんだよ」
「そりゃあダメだな」
「な、ダメだろ。なんとか新入生が増えるようなアイデアはないか。このままじゃ千人の学生が路頭に迷うんだ」
「うーん。金を掛けずに宣伝になるようなことか……」
そんな都合の良いアイデアが果たして浮かぶだろうか。
考えながら、箸袋を指でもてあそぶ。蛇腹に折るとばねのようになって小さく跳ねた。
それを見た俺は、何ともなしについ口を開いていた。
「なあ、紙を何回折れば月に届くか、知ってるか」
「なんだよいきなり」
「たしか、新聞紙だったら40回くらいで月に届くんだよ」
「へえ、そうなのか。まあ一回折るごとに二倍の厚みになっていくんだから、案外そんなものなのかもな。でも現実的には無理だろ」
「ああ。折るごとに紙の面積は半減するし、何回か折っただけでも折り目がかさばって、折れなくなる。月に届かせるためには、それこそ天文学的なサイズの紙が必要だろうな。でも、ある程度の高さなら到達できると思うんだよ」
「で、それがこの大学の危機と何の関係があるんだよ」
「まあ、聞けって」
焦れる宮崎を制し、俺はふと思いついたアイデアを伝えた。最初は戸惑っているようだったが、そのうち「座して死ぬよりはいい」と半ばやけくそになるような形でこのアイデアに同意したのだった。
一か月後――
「いーち、にーい、さーん!」
七国大学の広大な校庭に、1年生から4年生までの全学生が集まっていた。千人を超える人数が、スピーカーから流れる掛け声と共に一斉に移動する姿は壮観だ。大勢駆けつけたマスコミのカメラも、矢継ぎ早にフラッシュを焚いていく。
「よし、これで13回目だ。約41センチだね」
数学部の長崎がメガネを直しながら言う。
「そろそろブルドーザーとクレーンの出番だろ。エンジン温まってるぜ」
そう笑うのは土木部の鹿児島部長だ。
俺がうなずくと、すかさず宮崎がマイクのスイッチを入れた。
「14回目からはブルドーザーで牽引します! 学生の皆さんは、ヨレているところを直したり、破れている部分がないかをチェックしてください」
学生たちから大きな歓声が上がる。だが、ここからが正念場だ。
俺は校庭を埋め尽くすように広がる、超巨大な白紙をじっと見つめた。
「どこまで紙を折れるか」。その限界に挑戦する——というのが、この企画の趣旨だった。
月まで届かせるのは無理だとしても、数十メートルならいけるかもしれない。間違いなく世界初のチャレンジだし、掛かるコストのわりには大きな反響があるはずだ。
宮崎は俺の提案を受けて、さっそく準備に取り掛かった。
必要な紙のサイズを数学部の宮崎に計算させ、紙自体は宮崎の父親が理事長に直談判し、経営する製紙会社の機械を総動員させて作製した。厚さ0.05㎜の特殊紙。折り目がかさばる問題については、折り目の部分をごく薄く加工することによってクリアされた。
よくあの理事長がゴーサインを出したものだと思ったが、宮崎によれば、父親が半ば脅すような形で理事長に認めさせたらしい。
折りたたむ作業は、全学生の動員と土木部の協力によって目処が立った。周りの人からは、広大なキャンパスと尖った人材をめいっぱいに活かしたアイデアだと称賛された。
少なくとも、俺もその時まではずっとそう思っていた。
土木部員の目覚ましい働きにより、折りたたみ作業は20回目に達していた。
高さはついに50mを超え、うずたかく積まれた紙はもはや束ではなく、山と形容したほうが良いくらいの巨体だ。
一回折るのにも、紙の端にワイヤーを通したり機材の確認をする必要があり、ひどい長期戦になっていた。それでも学生たちはほとんどが残ってなりゆきを見守っている。
そして、その時は訪れた。
21回目。これが成功すれば、ついに100mを超えるのである。
「さーん!にーい!いーち!お願いしまーす!」
音頭を取る宮崎の声はすでにかすれていたが、その目には爛々とした光が宿っていた。みんながこの紙製の「バベルの塔」に期待を寄せているのだ。
合図とともに何台ものブルドーザーが黒煙を上げ、クレーンがその長いアームを軋ませる。
地鳴りを上げながら引き摺られていく紙の巨塊。破れかけた箇所をその都度補強しながら、二時間ほどかけてついに21回目の紙折りが果たされた。
約104mの紙の塔。その威容にどよめきが広がっていく。すでに深夜になっていたが、盛大に焚かれたカメラのフラッシュで夜空が白んだ。
「よっしゃあ!やったぞ!」
飛び跳ねて喜ぶ宮崎を抱きとめ、ぐるぐると回りながら俺も快哉の声を上げる。これで知名度が爆増し、新入生も期待できるはず。
だが、絶頂は長く続かなかった。どよめきはいつしか絶叫に変わり、そして悲鳴となったのだ。
数十トンに及ぶ紙の塊は、21回目にしてついに自重を支えきれなくなった。
うわ、うわ、うわ。
俺が最後に見たのは、壁のように迫ってくる紙の雪崩だった。
結局この事件で校舎は半壊し、俺たちは世間に悪目立ちすることになった。
ところが、これがさらなる「不届き者」たちを呼び寄せるきっかけとなり、なんやかんやあって経営は立ち直ったのであった。
バベルの紙折り 広瀬 斐鳥 @hirose_hitori
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