Side of 一樹 ②


 その後、僕たち四人はベッドを突き出すような形で迫り来るシュクシャの群れへと突っ込んだ。

 心なしか動きが鈍っていたように見える男の頭上を越えて廊下の奥まで突っ込み、そのまま男を伴って階段下へと一気に突き進む。一階に降りてからは、単純な力勝負だ。シュクシャの寄る波をかき分けて、外を目指してひた走る。

 この時も、男はおおいに活躍してくれた。


 「俺が道を作る!走れっ!!」


 その言葉通り、彼は圧倒的な力でシュクシャ達を薙ぎ倒し、道を切り開いてくれたのだ。彼がいなければ、僕達は一階を切り抜けることはできなかっただろう。

 家を脱出した僕たちは、必死に走って玄関口までたどり着く。いつも使っている移動用の自転車でここから離れようと考えたのだ。だがその時、玄関口の内側から大量のシュクシャ達が溢れ出してきた。その混乱の中で、男と萌香さんの二人と分断される形になってしまう。


 「萌香ちゃん!くそっ!!」

 「っ、よせっ、啓吾!!」

 「離せこら!向こうに萌香ちゃんが!!」

 「突っ込んでも無駄死にするだけだ!後で必ず合流できる!今はとにかく離れるんだ!!」


 捨て身で萌香さん達の方へと突っ込んでいこうとする啓吾を何とか抑えて、僕たち三人は自転車を漕いでその場から逃げ出した。襲い来る無数のシュクシャ達の猛追を何とか振り切り、僕達は無事にもう一つの拠点としている一軒家へとたどり着く。

 啓吾はすぐにでも萌香さんを探しに行こうと言ったが、まだ辺りは暗い上に僕達を追ってきていたシュクシャ達が家の周りをうろついていたので、何とか説得して一晩をおとなしく明かすことにする。

 最初は不満げな顔をしていた啓吾も、張っていた気が緩んだのか少しした頃にはすやすやと寝息を立てていた。むしろ眠れなかったのは詩音の方で、俯いたままずっと浮かない顔をしている。


 「眠れないのか?」

 「うん……姉ちゃん、大丈夫かな」

 「きっと大丈夫だ。あの人が萌香さんを抱え上げてるのが見えたんだ。あんなに強い人と一緒にいるんだから、無事に違いないよ」

 「うん……」


 それでもやはり浮かない顔をしていた詩音は、それからしばらくの時間が経った後でようやく眠りについた。二人が寝静まったのを確認して、僕も瞳を閉じる。萌香さんはきっと大丈夫だ。あの人がうまくやってくれているに違いない。名前も知らない男のことを、僕はそんな風に信じるしかなかった。







 夜が明けると、長い間寝すぎてしまったと慌てている啓吾を筆頭に、僕達は目を覚ます。外での食料調達に加えて大量のシュクシャ達から逃げるという昨日一日を経て、思っていたよりも疲れが溜まっていた様だ。慌てて外へと飛び出そうとする啓吾をなだめる。


 「啓悟、いい加減に落ち着け」

 「っざっけんな!てめぇはどうしてそんなに落ち着いてられるんだ!?」

 「慌てたら萌香さんが帰ってくるのか?そうじゃないだろ?無策で外へ突っ込んでも犬死にするだけだ」


 僕の言葉を受けて、啓吾は唇をぎゅっと噛んでいる。


 「……それに、萌香さんはあの人と一緒にいるんだ。あれだけ強い人と一緒にいるなら」

 「だから心配なんだろうがっ!!」


 啓吾が叫ぶ。


 「俺たちのアジトに勝手に入り込んで食料を食い荒らすようなやつなんだぞ!?録でもねぇやつに違いねえ!」

 「だが、僕たちと一緒に戦ってくれた。そして、ピンチの萌香さんを助けてくれた。悪いようにはしないはずだ」

 「……女が男に連れてかれたんだぞ?あんなナリだが萌香ちゃんも女だ。……死ぬより辛い目に逢ってたらどうする?」


 力なくそう言う啓吾を前に、僕は息を飲んだ。無意識のうちに、あの人はきっと悪い人ではないと決めつけていたが、それはなんの根拠もない願望に過ぎない。もし啓吾の言う通りになっていたら……。


 「っ!何か聞こえる」


 嫌な考えが頭を過った時、詩音がそんな声をあげる。

 それは、段々と大きくなっていくエンジン音だった。慌てて窓から外を確認すると、一台のバイクがこの家に近づいて来るのが見える。乗っているのは一人の男性と、彼にぎゅっと掴まっている小さな女性だった。


 「姉ちゃんだ!」


 詩音が叫ぶ。

 僕は目を見開いていた。もしかしたら、彼が萌香さんをここまで連れてきてくれるかもしれない。そんな、頭の片隅に思い浮かべていたあまりに都合のよい妄想が、こうして現実となったのだ。

 しかも、昨日の今日でという速さである。


 「一体何者なんだ……?」


 バイクを運転する男性を見つめて、僕はそんな呟きを漏らしていた。


 その後、何故か怒り顔で飛び出そうとした啓吾をなんとかなだめて、やって来た二人を中へと招き入れる。恐らく啓吾からしてみれば想い人・・・を助けたヒーローとなった男が気に入らないのだろう。

 攻撃的な態度をとっていた彼は、しかしあることが発覚してその態度をやわらげることになる。隆二さんという名前であると判明した彼に、萌香さんが年齢を偽っていたのだ。普段は大人に見られようと必死な萌香さんは、今回ばかりはそうもいかなかったようである。

 隆二さんが彼女のことをただの子供だと見ていたことを知り、啓吾も態度を軟化させたのだろう。

 案の定、萌香さんの実年齢を聞いた隆二さんは面食らってしまっていた。無理もないだろう。世界がこうなる以前から、僕らは何度も目にしてきた光景だ。

 隆二さんと話をすすめていくと、何と彼は道中で手に入れた食料をこちらに全て提供すると言いだした。

 言うまでもないが、この世界で食料は貴重だ。生きていくための生命線でありながら、危険を冒して外に行かなければ手に入れることの出来ない代物だからである。そんなものを彼は全てこちらに譲渡するというのだ。

 僕達に食料を渡すことに、この人にとってどんなメリットがあるというのだろうか。


 「こちらからは碌に何かをお返しすることも難しいですが、それでも本当に良いのすか?」


 僕は問いかける。

 萌香さんを無事にここまで連れてきたことからも、この人が悪人ではないことは明白だ。しかし、だとしても無償で食料をくれるというのは虫の良すぎる話だ。隆二さんの内心を図るためにも、僕は尋ねた。


 「ああ。今後も良い関係であり続けられるなら、それでいい」


 返ってきたのは、そんな答えだった。良い関係、か。彼の言葉を、とりあえずは表面通りに飲み込むことにする。

 その後は、せめてものお礼として夕食の席を用意することになった。その中で僕たちは隆二さんと多くの話をすることとなる。隆二さんはごく普通の大学生で、自分でもこのようにシュクシャと渡り合えるほどの力を持っていたことに驚いているのだと言うのだ。

 僕は正直、彼の話を素直に信じることはできなかった。まるで恐怖という感情など持ち合わせていないかのようにシュクシャの大群に向かっていき、その中でシュクシャを薙ぎ倒していく彼の背中を思い出す。あんな芸当が出来る人が、ただの平凡な大学生だったなどとはとても信じられない。

 そして、萌香さんの話によると彼はここに来るまでの道中で更なる活躍を見せたらしい。他のシュクシャを呼び寄せるという謎のシュクシャの出現により、隆二さんと萌香さんの二人はピンチに陥ってしまったのだ。そんな中で、彼は萌香さんを抱きながら大立ち回りを行って見せたという。

 萌香さんは目をキラキラとさせながらその時の隆二さんがいかにすごかったのかを語ってくれた。彼女のこのような姿は珍しい。それに心なしか、萌香さんと隆二さんの距離が近いような……?もしかしたら、啓吾にとってはあまり面白くない展開になっているのかもしれない。そんなことを内心で考えながら、夕食の時間は過ぎていった。

 その後、僕は平然と帰ろうとする隆二さんを何とか引き留め、今夜は止まってもらう運びとなった。やはり彼はシュクシャが怖くないだろうか?

 この家に備蓄してあった酒を一緒に飲まないかと提案すると、隆二さんは首を縦に振ってくれた。酒の席でのコミュニケーションと言うのは、関係を深めるにあたって非常に有効な手段だと僕は考えている。だから、この世界になってから滅多に飲んだりしていなかった酒を空けることに決めたのだ。

 隆二さんとの仲を深めること、そしてあわよくば酔いが回って口が軽くなった隆二さんの心根こころねを聞き出すことができるかもしれない。そのためなら、貴重なお酒を空けるくらいは安いものだろう。そんな思惑から僕は隆二さんと酒を酌み交わすことになったのだ。







 そして現在、僕の企みは失敗に終わっていた。

 床の上で啓吾がいびきをかきながら寝そべり、ソファの上で身体を丸くした萌香ちゃんがすやすやと寝息を立て、僕の正面に座る隆二さんは腕を組んで目をつむっている。結局、みんな酔いつぶれて寝てしまったのだ。


 「失敗したなぁ」


 最初の方こそ節度の守られた楽しい飲み会だったはずだが、いつの間にかエスカレートしてしまっていたのだ。本来ならば僕がストッパーとならなければいけなかったのだが、思いのほかお酒を飲めるのが嬉しかったらしい啓吾と萌香さんの楽し気な雰囲気につい流されてしまった。

 更に言えば、隆二さんの雰囲気が比較的変わらずに、その酔い加減が掴みづらかったというのもある。テンションの上がっている他二人に対して、隆二さんはずっと態度が変わらなかったのだ。いや、今思えばむしろ段々と静かになっていっただろう。そして、それこそが彼が酔っている証拠なのだと気づいた時には手遅れだった。

 啓吾がひたすら萌香さんを子供だと煽り、隆二さんは一人でぶつぶつと何事かを呟き、萌香さんはそんな二人との会話を行ったり来たりする状態。彼らの様子を見て呆れた詩音が一足先に寝室に向かった頃には、同じくして三人潰れるように眠りについてしまった。


 「はぁ……」


 一つため息をつく。

 きちんと飲むペースを制御できなかった僕の落ち度だろう。そんな反省を抱きつつ、せめて三人に毛布でもかけようと席を立つ。

 その時だった。


 「……んあ?」


 そんな気の抜けた声と共に、隆二さんの瞳がパッチリと開かれる。


 「りゅ、隆二さん、起きていたのですか?」

 「……いや、ねてた」


 どこかふわふわとした雰囲気のまま、隆二さんは答える。


 「そうでしたか。よければ布団を用意しましょうか?」

 「……いや、ここでいい」

 「分かりました。ではせめて毛布をお持ちしますね」


 押入れから毛布を取り出し、うつらうつらとしている隆二さんの身体にかける。


 「わるいな」

 「いえいえ。こんなことでは、とても恩を返しきれませんよ。……隆二さん」

 

 萌香さんと啓吾も寝ていて、今は僕と隆二さんの二人。そして彼は今、酔いにやられてうまく思考が働いていないように見える。これは、チャンスかもしれない。


 「どうして、萌香さんを無事に返して、そして食料を届けてくれて、僕達に見返りを求めないでいてくれるのですか?……あなたの、目的は何ですか?」

 「んあ?もくてき?」


 隆二さんの瞳はもう半分くらいしか開かれていない。僕の質問をきちんと聞いてくれているのだろうか?


 「そうです。その気になれば僕達を力づくで支配できる程の力を持っているのに、それを振りかざさないのは何故ですか?どうして、僕らに良くしてくれるのですか?」


 そう。結局のところ、僕は怖いのだ。明確な利害関係が一致しているわけでもなく、何か見返りを求めてくるわけでもないこの人が。味方ならばこれほどまでに頼りになるこの人が、いつか僕達に牙を向けてくるのではないか。彼の目的が分からない限り、そんな不安を払しょくすることができないのだ。


 「ちからづく……?」


 こてりと首を傾げて、呟いた隆二さんはそのまま言葉を続ける。


 「それは……しゅじんこうっぽくないな」

 「え?」


 隆二さんの言っていることがよく分からなかった。主人公?彼は今そう言ったのか?


 「隆二さん、それはどういう……」


 そこまで言ったところで、僕は口を閉ざす。隆二さんは瞼を閉じてすやすやと寝息を立てていたのだ。完全に眠りについてしまったらしい。

 僕は萌香さんと啓吾にも毛布を掛けると、光源となっていた置き型ランプの明かりを消して部屋を後にする。


 「主人公、か」


 結局、隆二さんの心意を確かめることはできなかった。だが、何故だか僕の彼に対する恐怖心は、前よりも薄くなった気がしたのだった。


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