Side of 一樹①



 「萌香ちゃ~ん、子供がお酒飲んじゃダメだろぉ~?」

 「もう啓吾くんっ、ちゃんづけは止めてっていつもいってりゅでしょぉ?りゅーじしゃんからも言ってやってくだしゃいよぉ」

 「萌香ちゃん、君が二十四歳っていうのは嘘なんだろ?」

 「へ?りゅーじしゃん?」

 「そうだ。そうに決まってる。じゃなきゃありえん。萌香ちゃんが二十四歳はありえん。どう考えたって普段ランドセル背負ってるだろこの娘。中学生でも厳しいくらいだ。そうだ。みんなして俺を騙してるんだ。あぁそうだ。きっとそうに違いない。そうやって俺を騙して楽しんでるんだな。そうだ人間なんてどいつもこいつもそうだ。大体……ブツブツ」

 「わぁ~、りゅーじしゃんが壊れちゃったぁ」

 「萌香ちゃ~ん、何でそいつは良くて俺はちゃん呼びしちゃダメなんだよぉ?」


 やりすぎた。

 僕は目の前の光景を目にして、そんなことを考えていた。

 お酒に飲まれて普段とは明らかに違う言動を口走っている三人と、そんな彼らをジト目で観察している詩音。詩音はまだ未成年でお酒を飲むつもりはないらしく、一人でもくもくとつまみとなるお菓子に手を伸ばしている。

 隆二さんにお酒を飲ませて口を軽くし、その上で腹を割って話し合おうという僕の作戦は失敗に終わったのだ。この状況では、落ち着いて話し合いなど到底不可能だろう。僕は結局、未だに葉木芝隆二このひとのことをはかりかねている。







 およそ二週間前のあの日、僕らはたまたま同じ場所に集まっていた。

 子供の頃から仲の良い四人組だった僕らは、しかしそれぞれが大人になるにつれて会う機会が減ってしまっていた中で、久し振りに全員で集まって夕食をとっていたのだ。

 社会人の僕と萌香さん、大学生の啓吾、高校生の詩音。全員の予定を合わせるのには苦労したが、その分久し振りの再会は実りのあるものとなっていた。僕らは非常に楽しい時間を過ごしていたのだ。夕食を食べていた店内で、悲鳴が上がるあの瞬間までは。

 何やら、各地で暴力事件が多発していることは知っていた。ネット上で嘘か真か分からないようなことが囁かれていることも知っていた。だがまさか、あのような形で真実を目にするとは、人が人の形をした何かに喰われるところを目にするとは思ってもみなかったのである。

 動揺する三人を引き連れて店内から何とか脱出した僕が目にしたのは、地獄と化してしまった町の風景だった。そこで僕は、世界の終焉を知ったのである。

 それからは、とにかく必死だった。生き残るために、地獄と化した世界の中で必死にないってもがいた。シュクシャの恐ろしさも、人間の醜さも、嫌というほど目にすることになった。

 そんな過酷な世界で四人揃ってここまで生きてこれたのは、正に奇跡と言っていいだろう。逆に言えば、この四人でなければ絶対に生き残れなかったと思う。時に仲違いしたり窮地に陥ったりしながらも、僕たちは力を合わせて何とか終末を生き抜いていたのだ。

 世界の終焉から二週間程が経った頃、拠点となる家を二つ確保することに成功した僕達だったが、その一方で食料問題にひどく頭を悩ませていた。中々食べ物を手に入れられないでいたのだ。

 このままでは餓死してしまうと、リスクを覚悟で行った食料調達のための探索は残念ながら空振りに終わり、残り一つとなってしまったカップ麺をみんなで分け合おうと決めて帰宅した僕たち。しかし、そんな僕らが見たのはそのカップ麺が何者かに食い荒らされたあとだった。

 まだ家のどこかにいるかもしれない犯人を見つけ出してやると動きだしてしまった啓吾の後に続く様に、僕達は家中の捜索を開始。そしてすぐに、二階に向かった詩音から声が上がった。啓吾と共に急いで現場に駆け付けると、そこにいたのは萌香さんの首にナイフを突きつけている男だったのだ。

 しまったと思った。別れて捜索を行うべきではなかったのだ。今からこの悪人が、僕達に何かよからぬことを仕掛けてくるに違いない。そんな考えを抱いた僕だったが、何故か男は黙ったまま何もしてくる様子がない。それどころか、男はどこか困っているような、どうしようかと思案しているような表情を浮かべていたのだ。


 「望みは何ですか?」


 一向に口を開こうとしない男に対し、僕から切り出す。話をしてみると、何と彼は悪意を持ってこの家に侵入してきたわけではなく、この状況も不本意なものである言うのだ。ならば萌香さんを解放して欲しいと僕が言うと、彼は本当にあっさりと萌香さんのことを解放してみせたのだ。

 僕はひどく驚いた。もしやこの人は、本当にたまたまこの家に入り込んでしまっただけなのだろうか。そんな考えを抱いていた時、啓吾が突然男に向かって走り出す。制止の言葉も間に合わず、彼に襲いかかってしまったのだ。

 悪気の無かった男を傷つけてしまうかもしれない。そんな不安は、啓吾があっさりと返り討ちにあってしまったことで杞憂となる。吹き飛ばされた啓吾を慌てて受け止めると、僕もその衝撃で飛ばされ二人共々床に倒れこむ。

 そこから男のことを見上げた時、理解した。眉一つ動かさず、息一つ切らさず冷たい目で僕らのことを見下ろしている彼を見た時、理解した。ああ、この人は強いのだと。


 「ど、どうか許してはもらえませんか」


 気づけばそんな言葉を漏らしていた。彼がその気になれば、僕達は一方的に命を落とすことになる。そんな予感を感じさせるほど、目の前の男が大きく見えたのだ。

 だが、事態はより厄介な方向へと動き出す。騒ぎの音を聞きつけた周囲のシュクシャ達が、家の中へとなだれ込んできたのだ。階段を駆け上がり、廊下の奥から迫ってくる大量のシュクシャ達。その光景を見た時は、正直もう駄目かもしれないと思ってしまった。

 しかし、そこでもまた男は予期せぬ行動に出た。彼は健吾の落としたバッドを拾い上げると、それを構えて僕たちの前へと躍り出たのだ。


 「な、何を」


 思わず口に出してしまった言葉に、男は答えた。


 「戦うんだよぉ!」


 そう言って駆けだした彼の背中が、やけに瞳に色濃く映る。

 男の戦闘は、まさに圧巻の一言だった。流れるような動作で得物を振るい、迫り来るシュクシャ達を見事に薙ぎ倒して行く。

 ありえない。

 そんな感想を抱いた。僕も啓吾たちと協力してシュクシャを仕留めたことは何度かある。だからこそ思うのだ。あんな、あんな簡単にシュクシャを倒すことができるなんておかしいと。腕一本で振り回すバッドの力で、頭を破壊できるなんてどう考えたっておかしいのだ。そんなありえない芸当を、彼は平然とやってのけているのである。

 僕は、男に恐怖と希望を感じていた。自らの常識の範疇を超える力への恐怖と、シュクシャにあそこまで対抗できる人がいるという点への希望だ。


 「おいっ、いつまでそうしてんだっ!?この隙にベランダから逃げるぞ!」


 気づけば、いつの間にか起き上がっていたか啓吾にそんな言葉をかけられていた。萌香さんと詩音も、どうしたのかと僕を見つめている。どうやら、僕は隆二さんの戦いを見るのに夢中になり過ぎてしまっていたらしい。普段司令塔の役割を担っている僕が中々動き出さないから、啓吾が痺れをきれしたようだ。


 「あ、ああ」


 逃げようと言った啓吾の提案に頷き立ち上がる。

 そうだ。逃げるのが最善手に決まっているだろう。今日会ったばかりのあの人よりも、自分達の命を守ることの方が重要なのだから。…………本当にそうであろうか?

 その時、戦っていた男がバランスを崩す。足元に転がるシュクシャの死体に躓いたのだ。

 その光景を見た瞬間、僕は走り出していた。


 「っ、のばかっ!」


 啓吾が詩音からひったくるようにして刺股さすまたを手に取り、僕に追従する。


 「啓悟っ、いつも通りにやるぞっ!」

 「分かったよクソがっ!」


 啓吾がシュクシャを転がし、その隙に僕がシュクシャの頭を潰す。普段は役割が逆のことも多いが、いつもやっている上等パターンだ。

 男は僕たちのことを一瞥すると、再び戦いへと戻っていった。このシュクシャが無防備な彼ではなく僕たちに狙いをつけたのは、ある意味幸運だっただろう。


 「一樹てめぇ、どういうつもりだっ?っておい!」


 突っかかってくる啓吾を無視して、僕はベッドルームへと駆け込む。他の三人も、慌てて僕の後に続いた。


 「ったく、何なんだよ。ようやく逃げる気になったか?」


 そんな言葉を放った啓吾に、されど僕は首を横に振った。


 「みんな、聞いてほしい。僕は、あの人を見捨てられない。助けたいと思っている」


 話すや否や、啓吾が胸倉に掴みかかってくる。


 「何ふざけたこと言ってやがるっ!まさか、以前のヒーロー気取りに戻っちまったわけじゃねえだろぉなぁ!?この世界じゃ他人に対する優しさや正義感なんて足枷あしかせでしかねぇって嫌ほど思い知ってきただろぉ!?」

 「そうじゃないっ!」


 僕も、大声で反論する。


 「あの人の戦いを見ただろう!あそこまでシュクシャとまともに戦える人が他にいたか?この先現れるかっ!?今ここであの人を見殺しにしてしまったら、もう二度とあんな人は現れないぞ!優しさや正義感から言ってるんじゃない、リスクをとってでも助ける価値が、あの人にはあるんだっ!!」


 珍しく口調を荒げる僕に、啓吾は顔をしかめる。


 「俺達の命を危険に晒してでもアイツを助けるべきだって、そう言うのか?」

 「そうだ」

 「……」


 下唇を噛む啓吾が押し黙り、僕らの間を沈黙が流れる。そんな中で口を開いたのは、詩音だった。


 「ボクは、賛成」

 「っ、詩音、てめぇ」

 「啓悟兄、怒らないで。僕達、一樹兄の指示に助けられて、ここまで生きてこられた。なら、ここもそうすべき」


 詩音が発言すると、目尻を垂らして困り顔を浮かべていた萌香さんが意を決したように、きゅっと握りこぶしを作る。


 「そ、そうだよね。うん、私もしーちゃんの言う通りだと思う。一樹君の考えに賛成するよ」

 「萌香ちゃんまで……」


 詩音と萌香さんの賛同を受けて、啓吾はうがぁと髪を掻きむしった後口を開いた。


 「ちくしょぉ、どうなっても知らねえからな!」


 半ば強制的な形にはなってしまったが、彼も覚悟を決めてくれたようだ。


 「ありがとう、みんな」


 僕の危険な考えに賛同してくれた仲間達に頭を下げる。


 「けっ、やるって決まっちまったなら全力を尽くすぞ。おい一樹、策はあるんだろうなっ?」

 「あぁ、勿論。だからこの部屋に来たんだ」


 僕は、部屋に置いてあるキングサイズのベッドを指差して見せるのだった。


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