Q3 食べ物がなければどうする?
あれから、一日の時間が経過していた。
自分もシュクシャになってしまうのではないか、そんな不安を抱えながら一晩を過ごした俺だったが、一向にそのような気配は感じられない。むしろ、体の調子はどこか良好なくらいだ。
何故俺が噛まれても無事なのかは分からないが、これ以上恐れを抱き続けていたら精神的に参ってしまうだろう。
「……大丈夫だ、俺はシュクシャにはならない」
自分に言い聞かせるようにして、強引にそう結論付ける。
「よしっ、今は他のことを考えよう」
気を紛らわす意味合いも込めて、俺は向き合うべき他の問題について頭を悩ませる。
現状、俺には早急に解決すべき問題が存在している。それは何を隠そう、食糧問題についてだ。
そもそも、引きこもりの俺がわざわざ外へ出たのも、夜食を買う為にコンビニへと向かう予定だったからである。いつもネットで大量にまとめ買いしているインスタント食品は既に底をついており、非常時に備えた備蓄品のようなものも何も用意していない。
そう。この部屋には、現状食料と呼べるものが全くもって存在していないのだ。強いて挙げるとするならば、冷蔵庫の片隅に置かれた醤油などの調味料だけだろう。
「腹減った……」
元々空腹を感じてコンビニに向かう筈だったあの時から約一日半、俺に襲いかかる空腹感は想像以上のものとなっていた。
「シュクシャにはならなくて済んだとしても、このままじゃ餓死しちまうな」
そんな結末を避けるための方法はたった一つだ。
「外に、出るしかないのか」
昨日から頭の片隅ではずっと考え続けていたことなのだ。世界がこんな風になってしまったというのなら、俺はいずれ必ず部屋の外のへと足を踏み出さなければならない。そうしなければ、生きていくことか出来ないのだ。
勿論、外にうようよしているのであろうシュクシャ達のことを考えると、それだけでどうしようもない恐怖感に襲われる。先日目にしてしまった男の姿が、その感情に更に拍車をかけた。
だがそれでも、そうする以外に生き残る道は残されていないのだ。このまま何も食べずに部屋にこもり続けていたら、いずれは動く力さえもなくなってしまう。そうなってからでは手遅れだ。
「……やるしかない」
自分の頬をパンっと叩くと、俺は外に出る決意を固めた。
♢
外に出ることを決めた俺は、準備を進めながらもネットから得たシュクシャについての情報を今一度頭の中で整理していく。
奴らは生前に比べて視力こそ大きく失っているものの、聴覚は逆に敏感になっているという。基本的に、より大きな物音がする方へと寄っていく習性があろうそうだ。外に出たら、なるべく大きな音を立てないように注意するべきだろう。
シュクシャが厄介である点は、その俊敏さだ。普段はのろのろと鈍重な動きで辺りを闊歩しているにも関わらず、一度
そんなシュクシャを倒す唯一の方法は頭部、正確には脳に大きな損傷を与えることらしい。脳の破壊が何故シュクシャに有効なのかは定かではないが、恐らく寄生虫が寄生しているのが脳であるのではないかとの仮説がネット上では立てられていた。
「まあ、そうは言っても戦うのは最終手段だな」
そもそも、全力で襲い掛かって来るシュクシャの頭部に脳が傷つくほどのダメージを与えることは簡単ではないだろうし、一体を相手にしている間に囲まれてしまっては絶体絶命だろう。シュクシャとの戦闘は極力避けるに越したことはないのだ。
頭の中でそんな考えをまとめながら、着々と外に出る準備を進めていく。
動きやすい長袖と長ズボンの服を身に纏い、靴ひもを解けないようにしっかりと結ぶ。背中には手に入れた食料を入れるためのバックパックを背負った。
「武器は……これしかないかぁ」
台所から取り出した包丁をしっかりと握りしめる。もしもバッドや木刀などがあればそちらの方が好ましいのだろうが、生憎武器と呼べるような代物がこれしか存在しないのだ。どこまで役に立つかは分からないが、何もないよりはマシだろう。
「ふぅ」
全ての準備を終えた俺は大きく息を吐く。
恐る恐る玄関の除き穴を除きこみ、外に誰もいないことを確認した。
「……よし、行こう」
今一度覚悟を決め直し、俺は扉を開いて外へと足を一歩踏み出した。
……………そんな俺のすぐ真横、肌が触れ合ってしまいそうなほど直ぐ近くに、一体のシュクシャが佇んでいた。
「うわぁぁぁぁ!」
絶叫と共に尻餅をつく。
のぞき穴からは死角となっている扉の丁度真横、そこにシュクシャは立っていたのだ。腹部に風穴が空いているそのシュクシャは、先日俺に襲いかかり左手の肉を噛み千切ったその個体である。あの後も、ずっとこうして部屋の前にいたというのだろうか。
「ひ、ひぃ!」
情けない声と共に尻餅を着きながら部屋の中へと後退すると、それにつられるようにシュクシャも部屋の中へと踏み入って来た。
死んだ魚のような濁った瞳が、俺のことを見下ろしている。
「く、来るなぁ!」
ブンブンと包丁を振り回してけん制するが、相手は刃物に対する恐怖心など持ち合わせていないのであろう。一切躊躇することなく、のろのろとした動きでこちらへと向かってくる。
「あ、あぁ……」
全身の力が抜けていき、手から取りこぼしてしまった包丁がカタリと音を立てて床に落下した。
駄目だ。今度こそ、俺はここでおしまいなのだ。
迫り来る死の恐怖から逃れるようにして、俺はギュッと目をつむった。
「………………あ、れ?」
いつまで経っても、シュクシャが襲い掛かって来る気配がない。恐る恐る目を空けると、そいつは不気味な唸り声を上げながらただただ立ち尽くし、俺のことを見つめ続けていた。
一体どうなっているか。
そんな疑問を覚えながらも、震える足で立ち上がる。
「……な、何なんだよお前」
気づけばそんな声を漏らしていた。
「……で、出ていけよ」
「あ゛あ゛ァ゛あ゛ぁ゛あ゛ア゛あ゛」
シュクシャはただ唸り声を上げ続けている。
「俺の部屋から出ていけってんだよっ!!」
俺は恐怖と混乱で自棄になっていた。
自分でも驚くほどの大きな怒鳴り声を上げると、無謀にもシュクシャに向かって精一杯の蹴りを繰り出す。格闘技の経験があるわけでもなければ、碌に喧嘩すらしたこともない俺の攻撃。そんな俺の蹴りが相手の胸部に命中した瞬間、ゴンっという重たい感触が足の裏に伝わり、シュクシャが後方へと吹き飛んで行く。
「……へ?」
吹き飛ばされたシュクシャは部屋の壁に激突し、そのまま床へと倒れ込む。
俺は呆気に取られていた。
元々運動が得意だったわけでもなく、ましてや1年間も引きこもっていたはずの自分では考えられない動きのキレを伴った蹴りだったのだ。しかも、人一人分の重さを吹き飛ばすなど、本来素人ができるような芸当ではないだろう。
「た、倒したのか?」
自分の動きに対しての混乱に陥りながらも、まずは目先のこと確認しようとシュクシャの様子を窺う。
「あ゛ア゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛」
俺の希望的観測もむなしく、シュクシャは再びよろよろと立ち上がった。やはり、頭部にダメージを与えなければ意味がないらしい。
今度こそ襲われる。そんな考えから慌てて身構えた俺だったが、今なおシュクシャがこちらに襲いかかってくる様子はない。
「襲ってこない、のか?自分が攻撃されても?」
俺は床に落ちていた包丁を拾い上げて、恐る恐るシュクシャに近づいていく。
「ふぅ……ふぅ……」
荒ぶる呼吸を必死に抑えながらシュクシャのすぐ真横まで近づき。包丁を振り上げる。
「ふんっ!!」
そして、それを思いっきりシュクシャのこめかみへと振り下ろした。意外なほど簡単にするりと奥深くまで突き刺さっていった包丁からは、ズブリと肉を切り裂く嫌な感触が伝わってくる。
「アあ゛ガぁ」
最後にそんな声を漏らしたシュクシャは、その頭に包丁を突き刺したままバタリと床に倒れ込んだ。
「……や、やった」
こうして俺は、あまりにもあっさりとシュクシャを倒すことに成功したのだった。
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