第2話
「それだけじゃないでしょ、
わたしの言葉が途切れるのを待っていたようなタイミングで
市岡稟市という弁護士がわりと腕も良く、あとこういった……つまり埋めた死体が消えてしまった……ような案件にも強いという噂をフリーで製作をやっている同業者から聞き、藁にもすがるような気持ちでアポを取った。その面談の現場にいたのがこの男、市岡ヒサシだったのだ。
市岡ヒサシ。業界では有名な男だ。歳の頃は20代後半、本職はバンドのベーシスト。しかし昨年の夏、暇を極めたという理由で唐突に映画を撮り始め、YouTube経由で全世界に放流されたその作品が国外問わず様々な映画関係者から高評価を得た。正直腹立たしい。「暇を極めて」映画を撮り評価を得るなんて、わたしたちのように人生のすべてを賭して映画を撮っている人間の努力を嘲笑うようなやり方ではないか。
弁護士の稟市氏には会いたかったが、市岡ヒサシには用はない。
「稟ちゃあん」
「黙ってろおまえは」
甘え声を一蹴されている。ざまあみろ。だが、わたしを見詰める稟市氏の眼差しは冷たい。
「しかし……弟の言う通りなんでしょうね。鎌田さん、私に言ってないことがあるんじゃないですか」
無言で俯いたわたしの言葉を稟市氏も黙って待つ。市岡ヒサシだけが何やらきょときょとと視線を揺らしている。落ち着きのない男だな。自らもステージに立つ仕事をしているだけあって、見た目の良い男である。190センチ近い長身にモデルと見紛うばかりに端正な顔立ち。今日は量産品と思しき黒のスタンドカラーシャツに、やはり街中で良く見かけるブルージーンズを着用している。それでも美しいのだ、市岡ヒサシという男は。彼の撮った映画が世界中でバズった理由のひとつに、彼の外見があるとわたしの知る映画関係者は皆口を揃えていた。
「鎌田さん」
稟市氏が呼んだ。わたしはちいさく息を吐き、覚悟を決めた。
「杉山くんが失踪しました」
「ほう……?」
稟市氏が手元の煙草に火を点ける。わたしは非喫煙者なのに断りもしないのか。感じが悪いな。
「それは……失礼ですが鎌田さん、あなたとこれ以上関わり合いになりたくなくて黙って姿を消した、とかではなくて?」
本当に失礼だ。
「違います。杉山くんの実家のお母さんから電話が来て知ったんです。年明けの映画封切りの際に杉山くんの地元でも、撮影地という関係もあってですが劇場で公開してくれて、その際にわたしと杉山くんと芹井くんで舞台挨拶に行ったんですが……それ以降息子と連絡が取れないが、何か知らないか、と」
「埋めたものを掘り返しに行ったのは映画が公開してからですよね。その際、杉山氏はご実家に立ち寄らなかったのですか」
「……立ち寄るわけないじゃないですか」
何を言ってるんだこの弁護士は。弟が弟なら兄も兄だ。自分たちが殺して埋めた名前も知らない人間の死体を掘り返そうという日に、わざわざ実家に立ち寄ろうなんてまともな神経の人間なら考えもしないだろう。
「鎌田さんまだ言ってないことあるよね」
「!」
またヒサシだ。黙っていてほしい。と、応接室の扉が2回ノックされ、お盆を手にした長身の女性が入ってきた。秘書だろうか。お盆の上にはコーヒーとお茶菓子が乗っていて、それらをテーブルの上に置いて彼女はすぐにその場を去った。一言も言葉を発さなかった。
「言いなよ」
「うるさいな。わたしは弁護士さんに仕事を頼みにきたんで、あなたには関係ないんだけど」
思わず上げた唸り声に、溜息を吐いたのは稟市氏だった。
「仕事」
稟市氏が呟く。
「俺に何をさせたいんです。死体のない死体遺棄事件の弁護ですか」
「それは……」
それは。
「全部言っていただかないと手の打ちようがない。姿を消したのは杉山
「……どうして」
知ってるの。まだ何も言ってないのに。
杉山くんが消えた。その翌週には黒辺もいなくなった。野々瀬ちゃん(彼女はわたしの映画が封切られると同時に芸能界引退を表明した。大した仕事をしていたわけでもないくせに、引退発表当日にはSNSに手書きの長文画像を載せていた)もいなくなった。野々瀬ちゃんが芸能活動を続けていてくれればもっと早く知ることができただろうが、引退して事務所を辞めてしまったために知るのが遅れた。芸能界引退と同時に住んでたマンションを解約して北島のところに転がり込んだという噂を耳にしていたのだが、北島によると引退発表の数日後に電話で話をして以降音信不通なのだという。黒辺は別の現場で撮影の仕事が入っていたのにドタキャンした上にやはり音信不通になったということで、いったいどういう人間なのかと彼と最後に仕事をした監督であるわたしに先述の同業者から問い合わせがあったのだが。
「消えてないのは鎌田さんと芹井さん」
稟市氏が呻く。芹井もそろそろだよ、とヒサシが歌でも歌うように軽い調子で言った。全身に鳥肌が立つ。なんてことを言うんだ。
「適当なこと言うのやめてくれる!?」
「適当じゃないよ。その杉山って人、X県Q市の人でしょ。山っていうのはこれかな」
「は……?」
どこからか取り出したタブレットの上で左手の人差し指をすいすいと動かしたヒサシが、ひょいとその画面をわたしの前に示す。地図アプリの上に表示されているのは、たしかにあの日のあの山だった。
「おかしいと思わなかったんですか。杉山って人が簡単に『埋めよう』って言ったの」
「え」
「芹井も共犯でしょこれは。ねえ稟ちゃん」
話を振られた稟市氏は大きく顔を歪めてタブレットを覗き込み、ああ、と答えた。
「だろうな」
「どういうことですか」
「知りたい? じゃあ最後まで吐いて。鎌田さん、見たんでしょう」
自分が埋めたおじさんが街中を歩いてるところ。ヒサシの言葉に、わたしは手にしていたコーヒーカップを取り落とした。カップは奇跡的に壊れなかったが、
「なんで!?」
「そういう場所だからです」
悲鳴を上げるわたしに、稟市氏が低く応じた。煙草の煙が狭い応接室を満たしていて息苦しい。客が来ている時にこんなに煙草を吸いまくるなんて、人間としてちょっとおかしい。まともじゃない。
「まともじゃないという意味では全員まともじゃないですね。まず杉山直紀氏。彼はX県Q市という『土地の人間』です。彼と彼の一族が持つ山にはそれなりの力があります」
「それなりの力って……」
「俺は当事者ではないので知りません。でもまあ想像で物を言って許されるのであれば、そうだな、『死体を食う山』っていうのはどうですか?」
紫煙の向こうで稟市氏は続ける。わたしからは稟市氏の姿はほとんど見えない。もちろんヒサシも。
「芹井煌氏をキャスティングしたのは誰ですか?」
「誰って……わたし……」
「鎌田さん先ほど仰ってたじゃないですか。芹井煌氏は今売出し中の俳優で、キャスティングするのも大変だったって」
「それは」
「以前から杉山氏とつながりがあったんでしょうねえ。映像撮影のどさくさで人を殺したのも初めてではない。その後始末はすべて山がやった」
「なに、それ……」
「想像です。杉山氏の山は死体を食う山。杉山氏と芹井煌氏がいつからそれを繰り返していたのかは知りませんが、」
「10年ぐらいかなー」
ヒサシが口を挟む。彼も煙草に火を点けている。副流煙で息が苦しくなってきた。
「なんでそう思う?」
「勘。まあでも10年間一定のペースで死体食わされたら吐くでしょ、山も」
「いい加減だな。だが一定のペースで食わされたら吐く、の部分は同感だ。吐いたんですよ、山は、あなた方の埋めた死体を」
わたしにはもう何を言うこともできない。市岡兄弟の吐く煙がわたしを包み込み、呼吸すら困難になってきた。首を絞められて殺される時の気分は、こういう感じなのだろうか。
朦朧とする意識の中、応接室の扉が今度はノックなしで開くのが見えた。
「稟市さん、お電話です」
秘書の声だ、と思ったところで意識が途切れた。
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