補習と夏休み三日目。


昨日と一昨日の事を思い出してどうしようかと悩んだ。覗くだけ覗いてみていなければ帰れば良い。どうせ暇だし。


「くらげさん?」


教室に入るとくらげさんは寝ていた。

床で、水槽の方に顔を向けて丸まった格好で。


窓を開けているのか、遠くからざわめきと、昼間の光が教室内に入り込んでいる。電気は消してあるのに暗くない。


そういえば、海月のライトアップにデスクライトを置いたのはくらげさんだろうか。それとも、教室に元々あったライトを使っているのか。


今そんな事はどうでも良い。


「どうしよう……起こすべき、か?」


いや、でも気持ち良さそうに寝ているし。


はあ……。と長めのため息を遠慮がちにして、少し考えてから俺は自分の鞄から問題集を出した。


くらげさんが起きるまで夏休みの宿題をしている事にした。去年はやらなかったし出さなかった気がするな。


これをくらげさんに言ったらええ、とか眉をひそめて言われそうだ。勝手なイメージだけれど。


窓が開いているから教室は温い。


しばらくするとじっとり汗ばんできた。寝ているくらげさんにもあまり良くないと思って閉めたが、またしばらくすると寒くなってきて開けた。


学校のクーラーは一括で管理されているというのが恨めしい。くらげさんは毛布も何も被っていなかったから寒そうだった。


結局くらげさんが起きるまでに二回窓を開け閉めした。



俺がいるのを見てくらげさんは目を見開いて驚いた。


「ごめ、ん。来ると、思ってなかった、から」


俺も来るつもりなかったんだけどな。朝までは。


「あー。気にしなくて良いよ。勝手に入って宿題してたし」


そっか、と言ってくらげさんは起き上がって腕をさすった。俺は立ち上がって窓を開けに行く。


「あっつ」


午後のむわっとした熱気が一気に頬に触れる。


一日で一番暑い時間だ。今帰りたくない。というか外に出たくない。


「くらげさんはさあ、何だって学校で海月飼ってるの?」


くらげさんはきょとんとした顔をした。


「え、そのくらげさん、て、私、の、事?」


「そうだけど。駄目だった?」


「んん、ん。えっと、ううん、……」


うーん、とくらげさんは考え込んでしまった。これはまずかったかもしれない。


「安直」


くらげさんはようやく口を開くとそう言った。


「私には、月に、海、で、つぐみっていう、名前がある、の」


少し怒ったように見える。怒る時もゆっくりなんだ。タイミングがいまいち読めない。


「ほぼ海月じゃん」


この時くらげさんは目をぱちくりさせたあと、ちょっと考え込んでにっこり笑った。


何でか。


「あと、さん、別に、要らない、よ」


「じゃあ、くらげ?」


「うん」


くらげで良いみたいだった。


ほぼ海月と言ってからくらげは機嫌がなおったみたいで、ほぼ海月……、とかしばらくぶつぶつ言っていた。


ほぼ海月がなぜか気に入ったようで、それからはくらげと呼ぶのも何も言わなくなった。


「話、戻すけど、くらげは何だって学校で海月飼ってるの」


そう、だった、とくらげは言った。


「動物、とか、飼うの、は駄目、って、親に、言われてる、の。だから、家で、飼う、代わりに、学校で、飼う、事に、したの」


「家ペット禁止のとこ?」


「うう、ん。親がね、嫌がる、の。生き物、は、死んじゃうから」


「どういう意味?」


「ペットが、死んだら、親は、そのペット、に、私を重ねて、悲しく、なる、から」


よく、分からないと思った。ペットが死んだら子どもにその死を重ねる親なんて。かなり悲観的なのか、それとも。


「くらげは死にそうなの?」


「実は、余命、二ヶ月、だったり、して」


え……ほんとに?


さすが、に、嘘。


「でも、ね。死にそう、なの、は、本当、かも、ね。心臓、が、弱いの」


「病気?」


「そう。産まれ、て、から、ずっとの」


本当、なのだろうか。もしくらげが質の悪い嘘吐き、とかだったりしたら。


いいや、それはない事は知っている。くらげは真面目だから、きっと病気の事は本当だ。


「私、ね。泳げない、の。心臓に、悪い、から。泳いじゃ、駄目、って、言われ、てる」


くらげはゆっくりゆっくり話している。なのに俺は口を挟めない。


「海月、と、同じ。海月も、自分じゃ、泳げ、ないの」


海月も、くらげも。泳げない。


暑い。窓を開けたから。


午後の熱気を追い出すように窓を閉めに立ち上がった。


くらげは、ずっと海月を見ていた。


止んでいた蝉がまた鳴き出した。水槽に付けたボンベの音が大きく聞こえる。


静かな夏。

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