第84話 ロザリーの思惑

「あなたと戦う理由がありませんが」


「Non。わたし、戦うために来マシタ。着替えてくだサイ。わたし、いつでも大丈夫デス」


「……あなた、人の話を聞きませんね」


 君が言っていいことじゃないと思う、真里菜。


 いや、そうじゃなくて。

 突然現れたロザリーは、既に柔道着に着替えている。そして、ぜぇぜぇと内川さんは肩で息をしていた。

 恐らく、僕たちが来る前に、既に内川さんと試合をしたということだろう。その結果、内川さんが負けたということだ。


「随分と遅かったデス。わたし、もう準備は元旦デス」


「一月一日はまだ遠いですよ」


「Oui。勿論わたし、今日が十一月二十二日であることは知ってイマス」


「……話が通じませんね」


 それも、やっぱり君が言っていいことじゃないと思う、真里菜。


 こうなっているのも、最後のホームルームが随分と長引いたせいなのだろうか。

 うちのクラスの担任、無駄に話が長いんだよね。その間にやってきたロザリーさんが柔道部を蹂躙して、真里菜の到着を待っていた――そう考えればいいのだろうか。

 でも、ロザリーさんは聖マリエンヌ女学院の生徒じゃないのだろうか。今日も授業だと思うんだけど。

 真里菜もそれを疑問に思っているのか、尋ねる。


「学校はどうしたのですか? そちらの学校から、ここまで来るのは随分遠いと思うのですが」


「わたし、今日はお休みデス」


「真里菜先輩……その人、私らが来たときには、もういました……」


「Oui。ちゃんと、ルールは守りマス。職員室に事情を話して、キーを借り受けマシタ」


 貸したのかよ、先生方。セキュリティどうなってるのさ。

 というか、学校を休んでいる時点でルール違反だと思うのは僕だけだろうか。


「マリナ・イズミ」


「ええ」


「あなたに勝って、わたし、フランスに帰りマス」


「……どういうことですか?」


「日本に来た意味、無かったデス。あなたと戦う、楽しみにしていマシタ。でもあなた、弱かったデス」


「……」


 あ。

 真里菜の眉根が、僅かに寄った。

 普段から無表情の真里菜にしては、珍しい反応だ。それだけ、勘に触ることを言ったのだろう。


 真里菜は、柔道に関しては、決して妥協をしないから。


「だから、最後デス」


 ロザリーが一歩、二歩、三歩、と真里菜に近付き。

 真里菜より僅かに高い背丈であるけれど、まるで見下すように。

 その細く長い指で真里菜の顎に触れ、くいっ、と持ち上げてから顔を近付けた。


「あなたに、圧倒的に勝って、帰りマス。それで、二度ともう、会わナイ」


「……」


「おおっ……! 顎クイっす……! たまんないっす……!」


 そして、何故かその光景に感動している内川さん。

 真里菜に余計なこと教えたの君か。


「武人」


「ん……え、あ、うん?」


 そして、唐突にそう真里菜が僕の名を呼んだ。

 僕、完全に空気になってたんだけど。今この状況で、僕ができること何もないんだけど。


「少し、柔道部を見学していきませんか」


「へ……?」


「私も、負けたままでフラストレーションが溜まっていました。明日、完膚なきまでに叩きのめす予定だったのですが、わざわざ向こうから来てくれたのです。少しばかり、見ていってはくれませんか」


「僕……?」


「ええ」


 真里菜がそう力強く頷き、自分の顎からロザリーの指を離す。

 僅かに内川さんが「えぇー……」と不満を漏らした。君何なの。真里菜とロザリーの絡みに興奮してるのかよ。


「武人にこそ、見てほしい。そう思うのです」


「……」


「今度こそ……勝利する私を、見てほしい。そう思います」


 真里菜が、柔道でどんな結果を出しているのか。それは僕だって知っている。

 昨年は、一年生にして個人戦では全国制覇。団体戦では柔道強豪校の栄玉学園で一年生にしてレギュラーとなり、栄玉学園の日本一に貢献したとか。

 次のオリンピックには出場選手として内定しているとか、そんな噂もちらほらと聞いている。


 だけれど。

 僕は、この目で。

 真里菜が柔道の試合で勝利する――その姿を、見たことがないのだ。


「武人の前で、私は勝ちます。勝ってみせます」


「うん……分かった」


 そして。

 そんな恋人の頼みを、僕が断るはずもない。


 亜由美、カップラーメンは台所の棚の上にあるから、夕食はそれでどうにかしてくれ。僕は暫く帰れそうにない。

 僕だって、この試合を見てみたいのだ。

 ストイックに練習に励み、自分を苛め抜き、その強さを取り戻した真里菜と。

 世界でも通用する、本当に強い選手――ロザリー・ラコートとの、この戦いを。


「ロザリー・ラコート」


「ええ、マリナ・イズミ」


「十五分、時間をいただきます。少しばかりアップさせてください」


「Oui」


 日本における最強の女子高生、和泉真里菜。

 フランスにおける最強の女子高生、ロザリー・ラコート。


 将来、満員の観衆の中で、オリンピックの舞台で戦うであろう二人の戦いが。

 観衆もいない学校の武道場――そこで、今から行われる。

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