第82話 真実

「わたし、ちゃんと言ったはずよ。『来ても何もない』って」


「……」


「事故とかじゃないし心配しなくていい、って。ただ今晩は帰れそうにない、って言っただけよ」


「……」


 僕の目の前にいるのは、梨央奈さんだ。

 そして、ここは警察署。僕は真里菜のマンションからひたすらに走って、必死に到着したのである。

 辿り着いてまず、僕は駐車場に真っ赤なスポーツカーが停まっていることをちゃんと確認して、梨央奈さんに電話をかけた。携帯電話というのは便利なもので、かけてくれた相手の番号が履歴に残ってくれる。そして、僕が連絡したその後に。

 梨央奈さんは、電話の向こうで一言告げただけだった。


 武道場にいらっしゃい、と。


「まぁ、わたしも説明が難しかったし、何て言えばいいかよく分からなかったのよ。それで武人くんに心配をかけさせたのは申し訳ないと思うけど」


「……」


 そして、僕は武道場に辿り着いた。

 というか、現状日付が変わりそうな時刻だ。この時間に、明かりの灯っている場所が一箇所しかなかったのである。無論ながら、そこが武道場だった。

 そこにいたのは、梨央奈さん。そして真里菜。さらに、多くの警察官――。


「……あの、梨央奈さん」


「うん」


「もう一度、説明してほしいんですけど」


「ええ」


「……真里菜さんは、何をしているんですか」


「うぉぉぉぉぉっ!!」


 武道場の中央で、組み合っているのは真里菜と体格の良い警察官だ。

 それを囲みながら、ウォーミングアップをしている周囲の警官たち。勿論、その全員が柔道着に黒帯を巻いている。さらに、死屍累々と倒れている警官たちの姿もみられる。

 この光景は、一体何をしているのか――。


「百人組手をしているの」


「……」


「百人組手をしているの」


「……ちゃんと、聞こえてます」


「あ、なら良かったわ。ええとね、具体的には真里菜一人で、百人の警察官を相手にしているのよ。今は六十八人目ね。最初の方に負けた人たちは復活したみたいで、ビール開けてるわね。倒れてる人たちは、真里菜にこてんぱんに伸された人たち」


「……」


 うん、僕もさ。

 なんとなくそうなんじゃないかと思ったよ。でも普通、そんな組手とかやらないよね。

 なんで一般常識があるはずの大人たちが、真里菜と連続で百人戦うとか何を考えているのだろう。普通、高校生をこの時間まで外出させておくとか法の番人である警察官のしていいことではないはずだ。


「はぁぁぁぁっ!!」


「ぐはっ!」


「はぁ、はぁ……! 次ぃっ!」


「おぅ! 今度は俺が相手だぁぁぁっ!!」


「良いでしょう! さぁ、来てくださいっ!」


 体格の良い警察官を投げ飛ばし、汗だくの額を拭って叫ぶ真里菜。

 そして投げ飛ばされた警察官を他の人が片付けて、次の挑戦者が前に出る。梨央奈さん曰く、これで六十九人目である。

 そりゃ確かに、僕が来てもすること何もないよ。そして真里菜に何かがあったわけでもないよ。さらに言うと真里菜がどうかしちゃった感じだよ。

 さらに、自分より一回り体の大きな警察官と組み合い、試合を続ける真里菜。どう見ても、僕の姿になんて気付いてないよね。


「……あの、梨央奈さん」


「うん?」


「なんで、梨央奈さんがここに呼ばれているんですか?」


「たまにああなるのよ、真里菜。ああなっちゃうと手がつけられないから、一応成年してるわけだし、保護者としてわたしが呼ばれるの」


「……」


「大体いつも途中で真里菜が倒れるから、その後わたしが連れて帰るのよね。もう時間も遅いし、わたしだって寝たいし、今日は倒れた真里菜を実家に連れて帰ろうと思ってたのよ。だから今日は帰れそうにないって言ったんだけど」


「……」


 でもさ。

 あのさ。

 もうちょっと、言い方ってなかったものかな。

 梨央奈さんの話し方だと、真里菜に何かあったって誰でも思っちゃうよ。大丈夫、事故とかじゃないから……とか言われたら僕だって物凄く心配になっちゃうよ。

 それこそ、僕の父さんがやったみたいに、正当防衛で人を傷つけていたりとか、そういう。


「でも、久し振りなのよねー。真里菜のトランス」


「……トランス?」


「柔道以外に、何も目に入らない状態になるの。考えるのは柔道のことだけ。ひたすら戦い続けるだけ。前は、週に一回くらい起こってたんだけどね」


「……どういうことですか?」


「極限まで自分を追い込んでる状態、って言えばいいのかな? 自分の動きがイメージと違ったりとか、大事な試合の前とか、そういうことがあると没入するみたいにああなるの。自分が倒れるまで、延々と試合を続けるのよね」


「は……?」


 そんなことが、週に一度?

 どれだけの集中力があれば、それほど連続で試合を繰り返すことができるのだろう。

 でも、真里菜と僕が出会って結構経つけど、こんなこと一度もなかったはず――。


「ただ、体への負担は大きいわよね。前は、ああなると翌日の朝起きられなかったから。ああなったらわたし、前日に顧問の先生に連絡して、朝練だけは不参加って形で伝えてたのよ。何せ、遅い日だと明け方の四時くらいまでやってるから」


「四時……っ!?」


「今日はこのペースなら、二時くらいには終わりそうだけどね」


 いや、それでも大概なんだけど。

 付き合わされている警察官の人たち、何とも思わないんだろうか。

 僕なら、夜中の二時や四時まで付き合わされるとか、真っ平御免なんだけど。

 というか、真実を知った今、ぶっちゃけ帰りたい。


「おう、なんだ梨央奈さん。そいつは?」


「ああ、ごめんなさいね。わたしが呼んだのよ」


「高校生かぁ? こんな時間に外出してんじゃねぇ。さっさと帰りな」


「す、すみません……」


 そんな風に梨央奈さんと話している間に、近付いてきた一人の警察官。

 強面で、がっしりとした体つきの男性だ。勿論、僕にしてみれば本人が警察であろうと、体の大きい厳つい男性は恐ろしいものである。


「そうね。それじゃ、武人くんはわたしが車で送っていくわ。二十分くらい離れるけど大丈夫?」


「ああ。今夜は早く終わりそうだぜ」


「いつもごめんなさいね。付き合わせて」


「なぁに、構やしねぇよ」


 にかっ、とそんな梨央奈さんの言葉に、男性が笑みを浮かべる。

 その目線に、なんとなく慈愛のようなものを含ませながら。


「真里菜ちゃんは、中坊の頃からここに来てるからな。俺らで良けりゃ、いつでも相手になってやらぁ」


「これから少しの間、多くなるわよ?」


「そりゃそうだろ。俺も噂で聞いたけどよ……真里菜の嬢ちゃん、負けたんだって?」


「ええ。フランス人の留学生にね」


 梨央奈さんが、僅かに影のある笑みを浮かべる。

 負けた相手――それは、ロザリー・ラコート。

 僕も、その姿を見ていた。間違いなく勝利すると思っていた真里菜が、畳の上に転がる姿を見てしまった。

 その悔しさは、身内である梨央奈さんならば尚更だろう。


「リベンジする機会は、もうすぐってことか」


「ええ。少なくとも、県大会では相対することになるわ。真里菜もそれを分かってるから、今日はトランスしちゃったのかしらね」


「春の武道館、県予選か……真里菜の嬢ちゃんが県大会で負ける姿なんざ想像もできねぇけどよ。そんだけ、強ぇ相手ってことか」


「そういうこと」


 うふふ、と微笑む梨央奈さん。

 高校生の柔道選手――その最強を決める大会、全国高等学校柔道選手権大会。

 年に三度ある、柔道の日本一を決める大会――その、『春の武道館』と呼ばれるものである。

 その県予選が行われるのは、11月23日。


 つまり、来週だ。


「武人くんも、真里菜ちゃんのことをちゃんと応援してあげてね」


「……はい」


「はぁぁぁぁっ!!」


 僕のことなんか目もくれずに、柔道に打ち込む真里菜。

 その姿を見ながら、何故か美しいと思ってしまう。


 来週には、再び行われることになるだろう。個人戦で、どちらも負けなければいつか当たらなければならないのだから。

 かつて一度、敗北を教えられた相手、ロザリー・ラコートとの。

 その、再戦が。

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