第78話 加奈子の帰り道
それは昨日の帰り道のことだった。
柔道部の練習はテスト期間で休みであり、当然のように江藤加奈子は直帰中である。
ただの一部員であり警察署での練習などに参加するほど意欲もなく、実家に道場があるほど裕福でもない加奈子だ。このテスト期間は、ある種人生の洗濯のような形でのんべんだらりと暮らしていた。当然ながら、テスト期間中であり勉学に集中するために部活が休みになっているわけなのだが、自宅で勉強するつもりは皆無だったりする。
そして、今日も今日とて帰り道で買い食いでもしてから、家に帰って漫画でも読もうかと――そう、思っていたのだが。
「おねーさん、可愛いねぇ。俺らといいことしようぜ?」
「なぁ、付き合えよ。なぁに、痛いことはしねぇからよ」
「お前がおとなしくしてりゃ、むしろ気持ちいいことしてやるぜぇ」
「へへへ」
加奈子を囲むのは、四人の男。
それぞれ金髪だったりスキンヘッドだったりする、一般人ならお近づきになりたくない人種だ。そして一般人の枠を出ない加奈子にしてみても、その感想は同じくである。
はぁ、と小さく嘆息。
まだ日も高く、こういう人種に絡まれるような時刻でもないと思うのだけれど。
「あたし、急いでんの。あんたらの相手してる時間ないんだけど」
「つれねぇな。付き合えよ。おとなしくしてりゃ、すぐに終わるよ」
「何する気よ」
「そりゃ、ナニに決まってんだろ」
ぐへへ、と下卑た笑みを浮かべる男たち。
加奈子は一応栄玉学園柔道部の一員であり、その持っている段位は二段だ。高校に入ってからは表彰台と縁がないけれど、栄玉学園という柔道強豪校で、まがりなりにも練習試合のレギュラーを貰っているだけの実力はある。
だけれど、相手が男というまず腕力からして自分より優れる四人。しかも、うち二人はそれなりに筋骨隆々であり、一端に喧嘩とかそういうことをやっているのだろうことが立ち振る舞いから知れる。残る二人は明らかな虚弱と肥満であるため数に入れないとしても、それでも四人という数の暴力に勝てる気はしない。
これが真里菜ならば、この四人程度あっさり投げ飛ばすのかもしれないけれど。
さすがに、男四人を相手に無双できると思うほど、加奈子は自分のことを評価していない。
「あのさ、あんたら」
「あん?」
「まぁ、こんな裏道抜けて家帰ろうって思ったあたしが悪いのかもしれないけどさ。ちょっと行ったらもう商店街なわけよ。あたしが思い切り叫んだらさ、さすがに気付かれるよ」
「気付いた奴がどうするってんだ?」
「警察に電話するんじゃない? か弱い女を、男四人で囲んでます、って」
「そりゃ怖ぇな。んじゃ、警察が来る前にお前を連れておさらばするか」
ひひっ、と男たちの余裕には何の変わりもない。
こりゃ、どれだけ言っても無駄だな――そう悟る。こういう人種は、自分が失敗するなんて微塵も考えていないのだ。絶対的に自分が優位にいる状態が、永遠に続くとさえ盲信しているのだろう。
「なぁに。警察にパクられたところで、どうでもいい。俺らぁまだ未成年だからな。少年法が守ってくれんだよ」
「……最悪」
「言いたいこたそれだけか? だったら、さっさとホテル行こうぜ。お前が我慢すりゃ、休憩一回分で終わらせてやるよ」
「……」
怪我をすることを覚悟に、どうにか脱するか――そう考える。
加奈子もそれなりに柔道はやってきているし、一人くらいなら不意打ちで投げられるかもしれない。だけれど、そうなると間違いなく残る三人は逆上するだろう。
そうなったとき、対処する手段をどうすればいいのか。
必死に考えるけれど、無事にこの場を脱することのできる手段が思い浮かばない。
「あぁ、もういいや。ここで始めようぜ」
「きゃっ――」
「おい、口塞いどけ。大人しくしてろ」
「――っ!!」
だけれど、そんな風に加奈子の方から攻撃を仕掛けようとしたそのとき。
最も体格のいい男の一人が、加奈子の胸ぐらを掴んできた。何かの格闘技でもやっているのか、その腕は太く力も強い。しかも男の腕を離そうとすると、他の男が加奈子の口を塞ぎ、腕を掴み、足を握り、行動を縛ってくる。
さすがに、こんな状況で加奈子には何も――。
だけど、そんな風に加奈子が絶対的な窮地に陥った、その瞬間。
救いの手は、舞い降りた。
「おい、てめぇら何やってる」
「――っ!」
「天下の往来で女一人を囲むたぁ、男の風上にも置けねぇな」
「何だてめぇ!」
頭はくるくると巻いたアイロンパーマ。
厳つい顔立ちに濃い色のサングラス、口元には僅かに髭を生やし、その口に咥えているのは紙巻きたばこだ。
一目見て高級そうだと感じるスーツに、臙脂色のネクタイを巻いている姿。そのスーツの上からでも、その下にある肉体がどれほど鍛えられたものなのか想像できる。
誰もが、こう断言するだろう。『ヤのつく自由業の方』と。
「てめぇらのような屑に、名乗るほど俺の名は腐っちゃいねぇよ」
口元からふーっ、と紫煙を吐き出す、そんな救世主は。
にやっ、と笑みを浮かべてから、ゆっくりと歩いてきた。
まるで、男四人――その数の暴力を、まるで怖がっていないかのように。
「お、おい、や、やばいんじゃねぇの……?」
「本職の奴だってのかよ……!」
「うるせぇ! ヤクザが怖くて生きてられっか!」
「なめられて黙ってられるか! おいてめぇ! 邪魔するんならぶっとばすぞ!」
「ほう、俺をぶっとばすってか?」
息巻いているのが二人、少し及び腰になっているのが二人。
痩せと肥満は目の前のヤクザに対して、さすがに恐怖を隠せないらしい。比べて、体格のいい二人はいくら本職が相手だとしても、びびったら負けとかそういう理屈があるのだろう。
だけれど、救世主はそんな男たちへと、何の準備もなく歩み寄り。
「だったら、やってみろよ。ほら、殴り方分かるか? てめぇの拳が飾りじゃなけりゃ、簡単にできんだろ?」
まるで挑発するかのように、そう言ってのけながら。
ぽんぽん、と自分の頰を叩く。
「俺が邪魔なら、ぶん殴って退散させりゃいいんだよ。ほれ、近づいてやったぞ。これで殴れもしねぇ腑抜けだってか?」
「てめぇ!!」
男の拳は、恐らく目論見通りに頰を打ち抜く。
一般的な男性よりも、遥かに体格のいいそんな男の拳に頰を殴られて。
それでも――彼は、笑みを浮かべていた。
まるで、何の痛痒も感じていないかのように。
「おぅ」
「な、なんだ、てめぇ……!」
「なぁに。簡単な話だよ」
くくっ、と笑い声を漏らすと共に。
バキバキッ、とその拳を鳴らして。
「正当防衛、成立だ」
「めっちゃめちゃかっこよかったのよ! もう、あたしこの人が運命の人なんだって思っちゃったの! しかも警察署行ったら『あれ、テツさん!』とか言われてたし、ヤクザの人じゃなかったのよね! でも警察の人に聞いても教えてくれないしさ!」
「……」
「もぉー、ヤバかった! 一瞬で二人ぶん投げてさ! 残りの二人は逃げちゃったんだけど、それでも追わずにあたしを心配してくれたのよ! おじさんやばい! かっこよすぎ!」
「……」
以上、加奈子の話を聞いて思った。
その話、つい最近聞いたことがあるんだ。
僕の父さんから。
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