第77話 今日も真里菜さんは大胆
「ふぅ……」
テストを終えて、帰り道。
今日は珍しく、真里菜と二人での昼食となった。普段は騒がしい加奈子が一緒にいるからか、どこか新鮮な気持ちではあったけれど、やはり少しばかり寂しい気持ちもある。
別に加奈子のことが好きとかそういうわけじゃなくて、普段から一緒にいる面子が欠けると、やはり違和感を覚えるものだ。
「浮かない顔ですね、武人」
「まぁ、うん……」
「テストの出来があまり良くなかったのですか?」
「僕も、そんなに勉強ができる方じゃないからね」
基本的に、平均点ギリギリの位置にいるのが僕という男だ。
真里菜ほど壊滅的な成績ではなかろうけれど、胸を張って出来たとは言えない。
「真里菜さんは?」
「特に問題ありません」
「あ、そうなんだ?」
「解答用紙は埋めました」
「……」
いや、解答用紙を埋めることは誰にでもできるんだけど。
問題は、そこに正解が書いてあるかどうかなんだけど。
一度、解答用紙を見せてもらいたいものだ。本人に自覚があるかどうかは分からないけれど、かなりトリッキーな答えが並んでいそうな予感がする。
「それにしても、加奈子来なかったね」
「柔道部の者が連絡をしたらしいのですが、少しばかり体調を崩したそうです。テストは、後ほど再試験という形で受けることができるのだとか」
「そういうのできるの?」
「その代わり、問題は全て違うものに変わるそうです。この再試験を作るのにも、手間がいるのだと先生が嘆いていました」
「だろうねぇ……」
事実、加奈子一人のために新しくテストを作るようなものだものね。
まぁ、数学とかなら数値の一つ一つを変えればいいのだろうけれど、歴史とか暗記科目についてはそうはいかない。本来のテストと同じくらいに重要なことを問題として提示しなければならないのだから。
まったく、わざわざテストの日に休まなくてもいいものを。体調不良なら仕方ないけどさ。
「真里菜さんは、今日は?」
「本日は、今から警察署での練習です。20時まで行いますので、それから夕食をお願いします」
「分かった。それじゃ、20時前に先に入って作っておくね」
「はい」
ちなみに、僕は真里菜の部屋の合鍵を持っている。
勿論、これも理由があってのことだ。真里菜が練習を終えて、帰宅してすぐに食事をすることができるように、先に用意をしておくためである。だから僕は、家主のいない真里菜の部屋に勝手に入って料理を作るのだ。
最初は僕なんかに預けていいのかと戸惑ったけれど、真里菜曰く、特に盗まれて困るものはないらしい。いや、僕盗まないけどね。それでも僕が分別のつかない変態なら、ベッドの上でくんくん臭いを嗅いでもおかしくないというのに。
……いや、しないよ?
僕、そんな変態じゃないからね?
「今夜は何がいい? リクエストにはお応えするけど」
「そうですね……魚が食べたいです。あまり脂っこくないものを」
「了解。何か探しておくね」
「はい。楽しみにしています」
にこり、と笑顔を向けてくれる真里菜。
思わずどきっとするけれど、こんな風に笑顔を見られるのって、食事の話をしているときだけなんだよね。一応、食事内容の改善はできているみたいだけれど、食事に対するストイックさは失われてしまったらしい。
そのうち、低カロリーのお菓子でも作ろうかな。できればタンパク質多めで。
「それでは、また後ほど。武人」
「うん。それじゃ」
そんな風に話しているうちに、真里菜の家の前に到着する。
名残惜しいけれど、これで一緒の下校時間は終わりだ。このテスト期間中しかできないことだし、僕としてはもう少し話していたいものだけれど。
でも、どうせ真里菜の練習が終わればまた会えるし。
そう思いながら僕は手を振り、真里菜が背を向けて。
そのまま、再びこちらを向いてきた。
「……ん?」
「ああ、失礼しました。忘れていました」
「待って嫌な予感しかしな」
真里菜は思い切り僕の後ろ襟を掴むと共に、引き寄せる。
こと柔道においては日本で最強の女子高生は、当然ながらその引き付ける力も異常なほどで、どれだけ
距離をゼロにする、僕と真里菜の唇。
ただし。
その接触の瞬間に、『ガキッ』と音を立てて。
「……う、ぐ」
「……む、む」
一瞬触れてすぐに離れて、お互いに唇を押さえる。
そりゃ、そうなるよ。
物凄い勢いで首を引けば、僕の顔は物凄い勢いで真里菜のところに行くもん。
そしてそうなれば、唇を合わせるというより、歯をぶつけるのと同じだ。超痛い。じんじんする。
「……勉強になりました。口付けはもっとゆっくり行うものなのですね」
「力任せにやるのはやめて!」
「ですが、いつも武人は拒みますし」
「人前だから! まだ下校中の生徒とかいるから!」
事実僕たちの周囲には、同じ栄玉学園の制服を着た生徒たちが何人もいる。
そのうちの何人に見られたのかは分からない。いくら恋人同士であることを公言しているとはいえ、人前でして良いことと悪いことがあるのは当然のことだ。
そりゃ、僕だってできることなら、真里菜と……うんっ、げふんげふん。
駄目だ、駄目。
今僕は、真里菜が柔道に専念するためのサポートをする立場なんだから。
「……分かりました」
僅かに顔を伏せる真里菜。
その仕草は愛らしく、まるで僕が途轍もなく悪いことをしているような錯覚に陥る。
え、僕、普通のこと言ってるよね。
「では、武人。中へどうぞ。人の前でなければ良いのだと……」
「それじゃ僕タイムセールに行ってくるから!」
「あ……」
しゅたっ、と踵を返して真里菜の前から去る。
タイムセールに行くのは事実だ。家から最も近いスーパーまで、ここから歩いて五分。そして、あと二十分もすればタイムセールが始まってしまう。
うん、十五分は余裕があるよ。確かに。それは間違いなく。
でもさ、ほら、十五分はあるから中に入ってさぁキスしましょうとはならないよね。そういうの雰囲気大事だよね。
「あー……」
はぁ、と小さく溜息を吐きながら、一人の帰り道を歩く。
別に嫌というわけじゃないんだけど、まだ気恥ずかしいのが事実である。既に何度となくしてはいるけれど、僕からしたことって、まだ一度もないんだよね。
ヘタレと笑いたければ笑うがいい!
もう考えるまい。
それより、今考えるべきは今夜のメニューだ。
確か、家の冷蔵庫には鶏肉が解凍して置いているはずだ。父さんも最近は帰りが早いし、帰ってすぐにビールを冷やしておかなきゃ。買い置きもそろそろなくなってきたから、それもちゃんと買い足しておこう。ビールって無駄に重いから、六本パック以外帰り道で補充できないんだよね。そのくせ、最近は三本くらい飲むから二日に一回くらいは買ってる気がする。
じゃ、今日は父さんのビールのおつまみに、唐揚げでもしようかな。亜由美も好きだし。
「……ん?」
と、そんな風に歩いている僕の視界に。
普段は隣の席でしか見ない相手が、いた。
普段の制服姿と違い、どことなくラフな格好をしている。とはいえ、それでも十分にお洒落な代物だと言えるだろう。
カーキ色のチノパンに英字の書かれたシャツ、その上にグレーのカーディガンという、部屋着にちょっと手を入れた、くらいのものだ。それでもちゃんと着こなしているのは、真里菜と同じく柔道部で鍛えたスレンダーな体ゆえだろうか。
「……加奈子?」
それは、今日のテストを休んだ隣の席の女子、江藤加奈子。
何故体調が悪くて休んでいるはずなのに、何故こんな場所にいるのだろう。
「あっ、千葉!?」
「加奈子、何してんの? 体調悪くて休んでたんじゃなかったの?」
僕に気付いた加奈子が、そう声をあげる。
別に責めるつもりはないし、僕が責めるべきことでもないのだろうけれど、一応そう尋ねてみる。こいつのために、先生方が再試験を作らなきゃいけないみたいだし。
と、そう尋ねた僕に対して。
加奈子が答えたそれは、あまりにも斜め上のものだった。
「あたし今、運命の相手を探してんの!」
「……」
ええと。
加奈子、頭でも膿んだの?
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