第76話 何事もない朝

「うーん……」


 翌日。

 本日から中間テストに入る我が校は、今日も今日とて通学しながら勉強している者が多い。

 さすがに、単語帳を見ながら通学するのは危険だと思うんだけど。それほど交通量があるわけじゃないけど、ここだって車が通らないわけじゃないからね。

 まぁ、いつ勉強をするのかは個人の自由ということだろう。僕はその分、家で頑張ってる、ってことで。


 だけど、そんな風に通学をしながら、僕の頭の中は普通に今夜の献立を考えていたりする。

 ああ、とはいえ、我が家のものじゃないよ。亜由美は、とりあえずパン粉か小麦粉をつけて揚げたものさえ出せば満足するから。最悪何も思いつかないときには親子丼でいいし。

 むしろ、僕が常に悩んでいるのは真里菜の夕食だ。朝食に何を出したから次は何、みたいな形で色々考えてるんだけど。栄養バランスをきっちり、でも美味しく、をテーマに毎日考えるのも至難の技だ。その分、梨央奈さんからお給料は弾んでもらえるわけだけど。


「おはようございます、武人」


「あ、おはよう、真里菜さん」


 そして、一人暮らしを始めた真里菜のマンションの前で、真里菜と合流する。

 テスト期間ということで、真里菜も朝練がないのだ。だから、一応テスト期間中はこんな風に一緒に通学するようにしている。

 最初はわざわざ真里菜が僕の家に迎えに来てくれたのだけれど、真里菜の家から僕の家って学校から逆方向であるため、話し合った結果として通学の途中に合流しよう、ということになったのだ。

 もう名実共に恋人同士であるため、周囲からどう思われても気にしない。僕も図太くなったものだと思う。


「真里菜さんは、ちゃんと勉強してる? 今日からテストだけど」


「私は立場的に、テストを白紙で出しても問題ありませんので」


「……なんかそれ、ずるくない?」


 そういえば、言ってた気がする。

 スポーツ特待生である真里菜はテストを白紙で提出しても、授業を寝て過ごしても、何の問題もなく進級できるのだとか。

 その分、柔道の試合においてかかる責任は大きいから、一概にずるい、と言うのは違うかもしれないけど。

 でも、寝る時間を惜しんで一生懸命テスト勉強をやってきた僕からすると、なんとなく納得いかないものがあるのは当然だ。


「まぁ、それなりに勉強はしています。赤点をとらない程度には抑えたいと思っていますし」


「あ、ちゃんと勉強はしてるんだ?」


「本来、勉学が学生の本分ですから。柔道にだけ集中させてくれる環境というのもありがたいですが、一般常識を伴わないわけにはいかない、と思っております」


「……」


 一般常識、伴ってないと思うけど。

 まぁ、真里菜に一般常識がないから今僕とこういう関係にある、と言われると返す言葉がない。花の女子高生が、『恋人とはどういう相手のことを指すのですか?』とは聞かないと思う。


「僕は、数学があんまり得意じゃないんだよね。歴史とかなら暗記すればすむんだけどさ」


「私も数学は不得意ですね。あの数字の羅列を見ると、何故か睡魔に襲われます」


「わかる……」


 今回のテストのネックは、完全に数学だ。

 まぁ、私大を受けるわけだからセンター試験対策をしなくてもいい、っていうのが僕の利点ではあるけど。それでも、数学はちゃんとやっておかなきゃね。

 第一志望は真里菜の推薦で行く大学と近い場所だけど、一応もう幾つか、管理栄養士の資格を取ることができる大学を受けるつもりだ。当然ながら、数学は試験の一つとして出されるものなのだから。

 少しでも、今のうちに数学への苦手を克服しておかなければ。


 そんな風に話しているうちに、学校に到着する。

 さて、あとはテストを受けるだけだ。うちの学校の中間テストは二日間であり、初日五教科、二日目五教科の合計十教科のテストが行われる。そして僕の苦手な数学は二日目だ。

 今夜は、さすがに寝る時間を削って勉強しないと。


「それでは武人、後ほど」


「うん」


 教室の入り口で真里菜と別れて、自分の席へと向かう。

 まだ加奈子は来ていないようで、隣の席には誰も座っていない。そして、加奈子以外の クラスメイトと壊滅的に関係を築いていない僕は、誰にも挨拶することなく自席へと座る。

 せめて、残る僅かな時間でも、内職をしておくことにしよう。


 すると、ふと――ぴんぽんぱんぽーん、と校内放送のチャイムが鳴り響いた。


「……ん?」


『二年B組、和泉真里菜さん。二年B組、和泉真里菜さん。おられましたら、理事長室に来てください。繰り返します……』


「……真里菜さん?」


 まだ始業時刻じゃないというのに、呼び出しとは珍しい。

 真里菜の方をふと見やると、こちらも不思議そうな顔をしていた。呼び出される心当たりがないのだろう。

 どんな内容なのかは気になるけれど、さすがに僕が同行するわけにはいかない。真里菜は目だけで「大丈夫ですよ」と言っているように、立ち上がって教室を後にした。

 後で、何の話だったのか聞けばいいか。


 そして僕は残る僅かな時間で、年号を語呂合わせしながら頭の中にひたすら詰め込む。

 本日の一教科目は、日本史だ。戦国時代とかメジャーどころなら割と知っているのだけど、ナントカ天皇のナントカの政策とかはもうわけが分からない。もうこのあたりは丸覚えだ。

 そういえば前に亜由美がやっていたゲームで、戦国武将がひたすら戦場で敵兵を斬って斬って斬りまくるものがあった。戦場で千人斬りとかできるものなのかと疑問には思ったけど、そういうコンセプトのゲームであるのだから口は挟むまい。ただ、いくらゲームとはいえ、人間がビームを放つことができるのはどういうわけなのだろう。一応、あのゲームを料理をしながら見ていたから、戦国武将の名前だけは無駄に覚えてしまった。


 そして、朝礼が始まるギリギリの時間に、真里菜が戻ってくる。

 一体どんな話をされたのか分からないが、真里菜自身は普段通りの無表情だ。何か悪いことでもなければと思っていたのだけど、真里菜の表情からそれは読めない。

 詳しくは、昼休みにでも聞くことにしよう。


「おーし、朝礼はじめるぞー」


 そして、入ってきた先生の言葉と共に、毎朝の恒例行事――朝礼が始まる。


 しかし、そこに至るまで。

 既に予鈴も鳴り、始業の鐘も鳴り響いているというのに。


 僕の隣の席は――未だに、無人のままだった。

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