第59話 修羅場……と思いきや

 真里菜の格好は、普段の制服姿でも柔道着姿でもなく、ましてや僕の渡した私服というわけでもなかった。

 その格好は、初めて僕の家へとやってきたときのもの――学校指定のジャージである。上下ともに赤紫色のそれに、肩から三本線の入ったいわゆる『芋ジャージ』。それに加えて、無地のタオルを首から下げている。

 どう考えても、ランニング中とかそんな感じだ。


「……」


「……」


「……」


 僕と真里菜と加奈子の視線が交錯する。

 一人だけ店外で、二人は店内で。かといって僕と加奈子の間に会話があるわけではなく。

 いや、これ、どうしよう。

 やばい。僕、やばい。


「……」


 ふっ、と真里菜が僕から視線を外し、そのまま背を向けた。

 かといって戻るというわけでもなく、真里菜はまるで当然であるかのように、そのまま喫茶店の入り口から中へと入ってきた。ドアのベルがリンリンと響くと共に、ウェイトレスのお姉さんが真里菜を迎えに行く。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか? 申し訳ありません、満席で……」


「ああ、いえ。向こうにいる二人が知り合いです」


「でしたら、相席で構いませんか?」


「はい」


「では、ご案内いたします」


 ウェイトレスに案内されて、こちらへ向かってくる真里菜。

 そんな僕の内心は、心から汗だくである。どくんどくんと煩いほどに鼓動が高鳴り、指先が震えているのが分かった。いや、別に僕は悪いことなんてしていないはずなんだけど。

 そう、僕はあくまで、パティシエになりたいという夢を持つ男子高校生であり、そんな僕に美味しいケーキを教えてくれるからってことで、加奈子が案内してくれただけなんだよ。そこにやましい気持ちは何一つないし、何の後ろめたさもない。

 でも、でもね。

 どう考えても、最悪のタイミングで見られたとしか思えないんだよ。加奈子が僕に「あーん」を強要している瞬間とか、もう見られちゃいけない姿ナンバーワンである。


 ああ、どうしよう。

 そう内心でざわついている僕の心などお構いなしに、真里菜は僕たちの席へと近付いてきて。


「失礼します、武人、それに江藤」


「……」


「……」


「このような場所で会うとは奇遇ですね。いえ、ここは普段から私がランニングをしているコースではあるのですけど。何やら美味しそうなものを召し上がられていたようですので、少しばかり私もいただければと思って参りました」


「ご注文の方は何になさいますか?」


「水をください。氷はなしで、なるべく常温のものを」


「え……は、はい。かしこまりました」


 謎のオーダーにウェイトレスが去ってゆき、オーダー通りに常温の水を持ってくる。

 そんな真里菜は、当然とばかりに僕の隣へと座った。当然ながら、カップル限定ケーキに与えられたフォークは二本だけであり、真里菜の分はない。だというのに、真里菜は極めて自然に僕のフォークを手に取ると共に、ケーキを口へと運び始めた。

 ブッシュ・ド・ノエルの一部を咀嚼し、目を閉じたままで嚥下し、 小さく息を吐く。


「……いや、素晴らしい。とても美味しい菓子です。ありがとうございます。ですが、少しばかり甘ったるい感じがしますね。やはり、武人の手作りの菓子が一番ということですね」


「……」


「……」


「どうしたのですか、二人とも。先程から黙り込んで」


 こてん、と真里菜が首を傾げる。

 いや、むしろ何故このタイミングでこの場所にやってきて、普通にケーキを食べられるのかな。むしろ、僕たちの反応の方が正しいと思うのだけれど。


 真里菜は僕の彼女だ。

 そして、僕はそんな真里菜に黙って別の女とカフェにやってきて、カップル限定ケーキを食べている状況である。しかもお口にあーんとかされちゃっていた状況である。

 列挙すると僕が限りなくクズに思えるけれど、きっと気のせいだと信じたい。


「……あ、あの、さ。真里菜さん?」


「はい?」


「これは、その、別に加奈子とデートしてたとかそういうわけじゃなくて、たまたま加奈子が美味しいケーキのお店を知ってたから僕に教えてくれたってだけで、やましい気持ちは全然なくてそういう事実とかも全然ないってことをまず分かってほしいんだけど」


「……? どうしたのですか、武人」


「いや、どうしたのって……」


 むしろ、あなたがどうしたの。

 え、これって、僕が真里菜に詰め寄られてもおかしくない状況だよね。冷たい目で睨まれて、「こんな場所で他の女と何をしているのですか」とか言われて当然の状況だよね。

 なのに、なんで何も言われないのさ。別に言われたいわけじゃないけど、ここまで何も言われないと逆に気になってたまらない。


「あのね、真里菜さん。僕は……」


「申し訳ありません、武人。私は、武人が何をそこまで懸念しているのか分かりません」


「え……ええ、と……?」


「友人と休日にお出掛けをしている状況ということですね。それは分かります。別に、私は友人関係にまで口を出すつもりはありません。江藤とは普段から親しくしているようですし、一緒に遊びに行くのも良いかと思います」


「……?」


「姉からも言われたことがあります。あんまり、彼氏を縛ってばかりではダメよ、と。友達と遊ぶことまで口うるさく言ってると、そのうち嫌われちゃうから、と。確かに交友関係はあるでしょうし、私はそこまで口を出すつもりなどありません。別段、遊びに行くことに私の許可を求める必要はないと考えます」


「……」


 きっと梨央奈さんは、同性の友人に関して言ったのだと思う。残念ながら、僕の同性の友人は皆無だという残念な現実があったりするのだけれど。

 そして、そんな僕と最も親しくしている相手は加奈子だ。それは真里菜も知っている、間違いない事実である。

 つまり――真里菜の中でこのことは、『親しい友人と出かけた』という事実になっている。

 梨央奈さん、ありがとう。僕は今、初めて梨央奈さんに感謝している。


「えっと……いずみん、怒ってないの?」


「何故、私が怒る必要があるのですか?」


「いや、まぁそりゃクラスメイトだし、いっつも一緒にご飯食べてるけどさ……あたしと千葉が二人で出かけてること、何とも思わないの?」


「……いえ、特に何も思いませんが」


「だ、だってさ、ほら、浮気とか思わないわけ!?」


「……浮気」


 真里菜が不思議そうに首を傾げて、それから僕を見た。


「武人、浮気をしているのですか?」


「してないよ!?」


「では、私が疑う必要もありません。武人にとっても、これは親しい友人と出かけているということに過ぎません。ならば、私から何を咎める必要がありましょう」


「……」


 心が広いのか、それとも僕のことを全く疑っていないのか。

 いや、これは。

 信頼、なのだろう。


「で、でもさ! 彼女に黙って他の女と出かけてるわけだよ千葉は! そこ何とも思わないの!?」


「なんで加奈子が僕を責める側なのさ!?」


「うっさい! 彼女からすれば、黙って他の女と出かけるとか、そんなの彼氏に裏切られたようなもんじゃん! なんでそこで何も言わないのよ!」


「いえ……」


 加奈子の言葉に、むしろ真里菜が不思議そうに首を傾げた。

 一体何をそこまで怒る必要があるのか、心から不思議そうだ。このあたりの感性も、やはり普通じゃない。

 いや、その普通じゃなさに今僕は救われているのだけれど。


「黙ってと言われてましても……私は携帯電話を持っていないもので、連絡のしようがないと思うのですが」


「……」


「……」


 うん、そうなんだよね。

 真里菜さん、携帯持ってないから僕から何の連絡もできなくて困ってるの。

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